【NHK訴訟】「島田尋問」報告(下)―焦点は「人間動物園」を巡る台湾取材の記録

【NHK訴訟】「島田尋問」報告(下)―焦点は「人間動物園」を巡る台湾取材の記録

メルマガ版「台湾は日本の生命線!」より転載

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■視聴者に衝撃を与えた「人間動物園」に焦点

「JAPANデビュー」第一回放送の「アジアの“一等国”」のディレクター、島田雄介氏の証人尋問で、最も焦点が当てられたのが「人間動物園」を巡る「被害者」家族に対する島田氏の取材のやり方だった。

それを報告する前に、まずは番組が「人間動物園」なるエピソードをいかに取り上げたかを振り返りたい。

番組はパイワン族青年の集合写真を映し出し、それこそが「五十年間の日本の台湾統治を象徴する」とも強調した上で、次のように解説した。

「台湾領有から十五年後の一九一〇年。日本は統治の成果を世界に示す絶好の機会を得ます。ロンドンで開かれた日英博覧会。……特に人気を集めたコーナーがありました。台湾の先住民族、パイワン族。日本は会場内にパイワンの人々の家を作り、その暮らしぶりを見世物としたのです」

「当時、イギリスやフランスは博覧会で植民地の人々を盛んに見せ物にしていました。人を展示する人間動物園と呼ばれました。日本はそれを真似たのです」

ついで画面は現代の台湾に。

「台湾南部、高士村。パイワン族が暮らす村です。およそ百年前、日英博覧会に連れて行かれたのはこの村の出身者でした」

「展示された青年の息子、許進貴さん。そして娘の高許月さんです。父親の名は、チャバイバイ・プリャルヤン。チャバイバイさんは生前、博覧会のことについて子供達に語ることはありませんでした」

画面では父親の写真を見せられた「高許月」(正しくは高許月妹。日本名は黒崎はま子)さんがパイワン語でつぶやく。字幕が映り「悲しいね。この出来事の重さ語りきれない」と。

その横から通訳の日本語(顔は映らないが、日本語通訳を務めた隣人の陳清福さんのもの)が入る。「「悲しいね、語りきれないそうだ。悲しい。この重さね。話しきれないそうだ」と。

父親が百年前に日本人から受けた惨い仕打ちを初めて知り、嘆き悲しむ娘さんお姿に、おそらく多くの視聴者は衝撃を受け、あるいは目頭を抑え、あるいは日本の先人の非道を恨んだに違いない。

番組は「人間動物園」が「五十年間の日本の台湾統治を象徴する」と話しているのだ。「きっと台湾の人々にとっては地獄のような五十年間だったに違いない」との印象は間違いなく広く持たれたことだろう。

しかし周知の通り、放送後にさまざまなことが判明したのである。

■すでに明らかな歴史捏造と恣意的編集

まず、当時人々を「展示」すること(「見世物」にすること)を「人間動物園」と呼ばれていたとの事実は確認できないことがわかった。

また日本が「見世物」にしたのではないということも。そもそも日英博覧会は日本人ではなく英国のユダヤ人が運営し、日本人の暮らしぶりもまたパイワン族と同様に「見世物」にされたのである。

さらには、高士村でのはま子さんたちに対するチャンネル桜の取材、原告側弁護団の調査、そして通訳の陳清福氏の法廷での証言により、英国から戻ったパイワン族の青年たちは英国で優遇されたことを喜んでいたこと(「動物」扱いを受けたとは伝えられていない)、そして取材を受けたはま子さんも陳清福氏も、取材者から「人間動物園」「見世物」「展示」と言った話を聞かされた覚えがないことなども明らかになった。

はま子さんの「悲しいね」との言葉も、自身の手元には一枚も残っていない亡き父親の写真を見せられ、パイワン語で「懐かしい」という意味で発せられたこともわかった。

そしてそれらの結果、番組は「人間動物園」をでっち上げるため、はま子さんの「感慨にふける姿」を、あたかも「悲しみに打ちのめされた姿」のように編集した疑いが高まったのである。

しかしそれに対してNHK側はあくまでも、はま子さんは「人間動物園」の話を聞かされ、「悲しいね」と嘆いたと主張する。もしそれが事実なら、そのやり取りの録画や録音が残っているはずだが、それを証拠として出すことはしないのだ。なぜならその場面は撮影していなかったからだそうだ。

プロとして、そのようなことはあり得るのだろうか。

取材を行ったのが他ならぬ、この島田ディレクターなのである。そこで法廷では、本当に撮影していなかったのかが追求されたわけだ。

■はま子さんは「見世物」の説明を聞かされたか

島田氏が「日本は昔どんな政治を行ったかを取材している。知っていることがあればお話しください」として、はま子さんの自宅を訪れたのは〇八年十二月のことだそうだ。

島田氏によれば、部屋のテーブルの周りに、はま子さん、許進貴(日本名は黒崎次郎)氏、陳清福氏、そしてNHKの島田氏、カメラマン、録音マン、台湾人コーディネーターらが並び、撮影が始まった。そしていよいよ島田氏は父親の写真を見せながら、「人間動物園」の話をすることに。

およそ次のようなやりとりがあったそうだ。

―――イギリスへ連れて行かれた青年たち一人一人の写真を見せ、「これはパイワン族の写真。イギリスの博覧会で撮られた。お父さんたちはイギリスへ連れて行かれ、会場で普段の様子を見世物にされた」と説明した。

―――「人間動物園」との言葉は使わなかった。その言葉はその時点で知らなかったから。文献では「展示」とあったが、平易な「見世物」という言葉を用いた。

しかし、はま子さんは、そのような説明は聞いていないと話している。その一方で、必ずしも日本語が堪能とは言えないことから、説明を聞きとれなかったのではとの見方も出ている。だが島田氏はそれらについて、こう反論した。

―――説明にふんふんと軽く頷き、真剣な表情で聞いていた。理解していたと思う。「わからない」とも言わなかったし、「悲しい」という言葉もあった。

■誰も聞いていなかった島田氏の「説明」

島田氏によると、はま子さんに写真を見せながら説明を始めるとき、「カメラマンは写真も映るよう、カメラの位置を変えることにした。カメラを三脚から外し、肩に担ぎ、映しやすい位置を探した。音声マンはカメラマンの後方で位置を探した」という。

そのため撮影はされなかったというのだ。

通訳の陳清福氏も、説明はなかったと証言しているが、これについては、

―――陳清福さんは聞いていない。コーディネーターと話をしていた。話には加わっていなかった。

―――次郎さんは耳が遠いので、話を聞いていない。

―――(その時は)休憩のような感じで、ざわめく雰囲気だった。

島田氏によれば、説明が終わった後に撮影が再開された。そしてはま子さんに対し、「写真を一枚一枚示し、どれがお父さんかを確認してもらった」そうだ。

そして「お父さんの写真を見てどう感じますか」と尋ねると、映像にある通り、パイワン語で「悲しいね。この出来事の重さ語りきれない」と答えたのだという。

■克明だが信用できない島田氏の証言

はま子さんのその言葉を聞いた島田氏は、次のように感じたらしい。

―――お父さんを含むパイワン族の人々が見世物にされたこと、そしてそれをご家族に話さないでいたことなど、さまざまを思って発した言葉と感じられた。話している時の表情が厳粛で、「その重さ」との言葉もあり、「重く受け止めているのだな」と感じた。

―――「懐かしい」という意味とは考えられない。一番上のお兄さんの戦死を「悲しい」、と言っていたし、その遺骨が家へ戻らなかったことも「悲しい」と言っていたから。

―――番組ではま子さんが「悲しい」と言うとき、笑みを浮かべているようにも見えるが、無力感のときにそのような表情になるのはおかしいことではない。

島田氏は、はま子さんが言う「この出来事」とは、「お父さんが見世物にされたこと」「それが話されずに今に至っていること」を指すと主張する。

このように克明に話をした島田氏だが、わたしはどうしてもそれを信用できないのだ。

それと言うのも昨年五月、私は弁護団に同行して台湾へ渡り、はま子さんを訪ねた際、「悲しい」は「懐かしい」という意味で発したことを、本人から直接聞かされている。

「お父さんの死後、初めてその顔を見ることができたので、とても嬉しかった」と、その時の話を笑顔でしてくれたのも、はっきりと覚えている。

また、はま子さんが「見世物」という言葉の意味を理解できないのも確認しているのである。

■一番大事な場面をなぜ撮影しなかった

ここでどうしても拭えない疑問は、はま子さんに「見世物」の話をする時に、なぜカメラを回さなかったのか、あるいはカメラを回しながら話をしなかったのかだ。

これについて島田氏はこう説明する。

―――(私たちは取材の際)全部は撮らない。ディレクター、カメラマンは「必要であろう」と考えた時、適宜に撮影する。段取りを説明する場面(写真を見せながら、「見世物」の話を説明した場面)では必要性を感じなかった。写真で説明する場面も必要性を感じなかった。

原告側弁護士から「カメラを回したり、止めたりするのはよくあることか。『もう一度回すから話して』とお願いするのもよくあることでは。そうしなかったのは重要とは思わなかったからか」と追及された。

最も重要であるはずの場面を「必要性を感じなかった」と強調する島田氏の話を、誰も信用することはできないのだ。

「見世物の説明を、はま子さんは冷静にうんうんと頷いて聞いていた。ご理解いただいていた」とも繰り返し証言した島田氏。弁護士から「本当に説明したのか。(はま子さんはそのような衝撃的な話を)冷静に理解できたのか」と質されても、「(取材前に)コーディネーターが説明していたこともあり、そう思った」と答えた。

番組の中で映ったのは、次郎氏とはま子さんの二人のみで、陳清福氏の「悲しい」と通訳する声は出ても姿は映らず、視聴者には次郎さんがはま子さんの通訳を行ったように感じさせた(悲しみに暮れる兄妹の姿をクローズアップさせる印象操作か)。そこで弁護士は「故意に許進貴さんの発言にしようとしたのか」と質問したのだが、答えはもちろん「違う」。

何を聞いても不自然な回答しか見せない島田氏に対し、我々の疑問は尽きることはなかった。

島田氏はパイワン族が「見世物」されたという話を、はま子さんにしていないのではないか。そこでその証拠となる録画、録音を隠匿するため、「撮影しなかった」と言い張っているのではないのか。

閉廷後、原告団の水島総・チャンネル桜社長は映像のプロの観点から次のように述べた。

「一番大事な場面でカメラを回さないというなら、島田氏は嘘を言っているか、本当に無能なディレクターであるかのどちらかだ」と。

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●NHK訴訟「島田尋問」報告(上)―判明!「台湾総督府文書26000冊を読み込んだ」は嘘だった
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●NHK訴訟「島田尋問」報告(中)―歴史捏造の責任追及に反論できないディレクター
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