【黄文雄】日台友好を阻害する国民党の時代錯誤

【黄文雄】日台友好を阻害する国民党の時代錯誤

『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』より転載

● 日本人による寄付で再建された神社 国民党幹部から批判噴出/台湾・屏東

台湾南部にある屏東県牡丹郷高士村の高士神社をめぐって一騒動起こっています。神職の佐藤健一さんが、民間からの寄付金で神社を再建したところ、台湾野党である国民党の政策委員会の蔡正元執行長から批判を受けているということです。

神社を再建した資金の多くが日本人からの寄付であり、それを受け取って神社を再建することは「日本統治時代の功績への賛美だ」といって批判しているのです。さらに蔡正元氏は、自身のフェイスブックで次のように延べました。

同神社の所在地は、1874年に明治政府が台湾南部に軍を派遣した「台湾出兵」で、日本人が先住民を殺害した場所だと説明し、民進党が当時の戦闘で死亡した集落酋長を顕彰するのでなく、日本の神社を建てたことは非常に不思議だ。
いかにも国民党が言いそうなことです。歴史を歪曲し、過去のことと現代の現象と無理やり結びつけて、日本鬼子と日本を悪者に仕立て上げる常套手段です。

蔡正元氏の狙いは、与党である民進党批判で、民進党が日本人の資金で神社を再建したと批判しているようですが、この村の村長が言うように、神社を再建したのは民進党ではなく神社です。的外れもいいところです。

この蔡正元氏の発言によって、村には国民党支持者および悪ノリした者たちによる嫌がらせが相次いでいます。そうした人々による極めて悪辣な態度によって、それまで穏やかだった集落の雰囲気は険悪となり、村民は恐怖やストレスを感じる日々となっている被害も出ているといいます。

村には先住民も多く住んでおり、騒動に便乗した先住民いじめのようなこともあるのです。業を煮やした村長は、蔡正元氏に反論しました。この村長の言葉はじつに真実を突いていて、私はとても感動しました。

こんな僻地の集落でも台湾人の民度は高い水準を保っていることを嬉しくも思いました。村長は、「民進党が再建した」とする蔡正元氏の指摘について、神社は日本の民間からの寄付金で建てられたものだと事実関係を否定した上で次のように発言したのです。

日本の功績を称美しているとの見方について、神社は「もつれた歴史に対する集落と日本人の間における許しであり、紛争の解決、友好樹立の象徴」である。
過去に起こったことの責任を追求しても無意味であり、重要なことは互いに許すことだということは、誰もが知っていることです。村長は当然のことを言ったまでです。

村長の毅然たる対応を見ると、根拠のないことで日本や民進党を批判している蔡正元氏は滑稽にしか見えません。
中国が日本に歴史がらみのことで難癖を付けてくるたびに、安倍首相は「過去よりも未来を向くべき」と反論してきました。村長も安倍首相も当然のことを言っているだけです。そして、その当然のことが通じないのが中国であり台湾の国民党です。

そもそもそれほど過去のことで日本を糾弾するならば、戦後、日本に代わって中国から台湾に乗り込み、我が物顔で台湾を支配し、2・28事件で多くの台湾人を虐殺した国民党の罪こそ改めて糾弾されるべきです。ちなみに今年は2・28事件から70年になります。いずれにせよ、もはや台湾には国民党の残党が活躍する場がないことがこの事件ではっきりしました。

米国の非政府組織(NGO)「フリーダムハウス」の発表によれば、2017年の「世界の自由」報告の自由度格付けで、台湾は2006年以来11年ぶりに最高評価を獲得したとのことです。報道によれば、この結果を受けて総統府は、「台湾が民主、自由、人権を長年追い求めてきたことが国際社会で誰の目にも明らかになったことの証明」だとコメントしたそうです。

● 台湾の自由度、11年ぶりに最高評価獲得 総統府「長年の努力が明白に」

この調査では、台湾はアメリカを抜いて「政治的権利」と「市民の自由」の格付けで最高評価を得たようで、台湾の民主化がいかに人々に浸透しているかが証明されました。その時代の波に乗れないのが国民党の残党たちです。

話を神社に戻しましょう。屏東県牡丹郷高士村の村長から反論された蔡正元氏は、再び的外れな反論を繰り返し、「村の先住民には祖先を祭る独自の伝統儀式があるにもかかわらず、日本の神社を用いたことについて疑問だ」と述べました。もちろん、先住民の伝統儀式は今でも尊重されています。それとは別に神社があるというだけの話です。この支離滅裂な反論には、村長もさすがにお手上げのようです。
もともと蔡正元という人物は思考回路と発言に問題がある人物ではありました。以前もフェイスブックで「日本人が領台時代に台湾の樟脳をすべて奪った」と発言し、ネットユーザーから猛反発を受けたことがありました。

これは、日本が領台時代に樟脳を得るために台湾のクスノキを伐採しまくったという主旨の発言でしたが、史実はまったく逆です。ネットユーザーから、「日本は樟脳の専売制度を実施し、乱伐はせず森林の保護や造林を進めた。日本の台湾での伐採事業は、台湾の近代化林業の基礎となった」「国民党のほうがよっぽどクスノキを伐採した」などと正しい史実を突きつけられる始末でした。

● 日本人が台湾の樟脳をすべて奪った…台湾国民党の議員の投稿にネット民が一斉反発―台湾紙

では、問題となっている神社は、どのような場所なのでしょうか。その点については、蔡正元氏が言う通り、かつて明治政府が軍を送り込んだ「台湾出兵」があった所です。

● 台湾出兵

この「台湾出兵」について少し詳しく見ていきましょう。

1871年、台湾南部の先住民が、漂着した琉球人を殺害した事件がありました。これを捜査するため、明治政府が軍を台湾に派遣したのが「台湾出兵」です。琉球人の殺害事件を含めると「牡丹社事件」または「台湾事件」などと呼ばれ日本でもよく知られています。

この事件の被害者となった琉球人たちは、琉球王朝の首里王府に年貢を収めて帰途に着いた宮古島の船の乗員でした。この船が台風のため漂着した場所が悪かった。そこは台湾の八瑶湾といって、牡丹社の先住民と漢人とが土地争いをしていた場所でした。

そこへ漢人に似た顔の宮古島の住民が漂着したために、先住民たちは漢人が襲来してきたと誤解して殺戮をしてしまったというのが事の顛末です。

漢人と台湾先住民との土地争いについては、台湾出兵に従軍した樺山資紀の『樺山資紀日記』にも記述があります。樺山資紀は、海軍大将になる前は陸軍に所属していました。そして、日清戦争前に台湾の土地調査を行ったことがあり、その詳細が『樺山資紀日記』に記述されています。

牡丹社での土地をめぐって、漢人の集落が募金で集めた金を持って樺山に台湾先住民の征伐を依頼してきたこともありました。牡丹社の台湾先住民たちは、それほど強敵だったということでしょう。

アメリカの黒船も、日本の下田に現れる前に台湾南部に上陸しようとしましたが、先住民に撃退されて上陸できなかったといわれるほどです。そして前述したように、琉球人たちは漢人と間違われて殺されてしまったわけです。そして日本側は台湾に出兵したというわけです。

もっともこのとき、日本側と台湾側での小競り合いはありましたが、戦闘による死傷者よりも、マラリアなどの風土病での死者が多かったというのが事実です。

また、その後の日本領台時代、日本軍と先住民の戦闘はほとんどなかったという一面もあります。台湾先住民といえば「霧社事件」ばかりがクローズアップされて、野蛮で凶暴な人種だというイメージが定着していますが、それは戦後台湾を統治した国民党によるイメージの捏造です。

事件の真相を全く無視して、結果だけを大げさにアピールしながら先住民を「野蛮人」「抗日の英雄」などと勝手なイメージを押し付けたのです。日本領台時代の先住民は、日本軍と平和の条件を文書で交わし戦闘を避けた集落もあったのです。先住民が「抗日の英雄」などとは全くの歴史の捏造です。
今回の騒動を引き起こした国民党の政策委員会の蔡正元執行長は、国民党内の内ゲバの真っ最中で、不正汚職問題で叩かれています。そのため、自分の不正から人々の目を逸らす目的で、今回の神社問題をわざわざ引き起こしたのだろうというのが専らの下馬評です。

神社がある場所に居住していた牡丹社の先住民たちは、昔から漢人と抗争を繰り返してきた集落なだけに、漢人を知り尽くしていました。

井伊直弼と日米修好通商条約を締結したハリスも、「牡丹社蛮は深化をとげた最高の先住民」と讃えていましたし、日本領台時代は新渡戸稲造の「武士道」を日本人と共有するなどで台湾先住民の代表蛮とされていました。

また、台湾南部の屏東は、先住民と客家人がもっとも多い地域であり、台南学園都市の古代遺跡があったとも言われています。蔡英文総統の出身地でもあります。そうした要因を総体的に見て、台湾南部の地域的な特色は日本の長州か薩摩に似ていると言えるでしょう。

そんな地で、神社をめぐってレベルの低い論争を繰り広げるとは愚の骨頂。神社について心と魂の問題を語るなら別ですが、国民党による嫌がらせのネタとして神社を利用するとは言語道断。時代錯誤もいいところです。

台湾の国民党員は、このような姑息な手はもはや台湾では通用しないことを知っておくべきでしょう。