【黄文雄】八田與一像破壊の裏に日台離反を画策する中国の影

【黄文雄】八田與一像破壊の裏に日台離反を画策する中国の影

『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』より転載

● 台湾で「日台の絆の象徴」八田與一像の頭部切られる ダム建設指導の技師

八田與一の像が壊されました。ノコギリで頭部を切断したようです。このニュースの第一報は、事件発覚を知らせるもので、まだ犯人は捕まっていませんでしたが、その数時間後には犯人が判明しました。

犯人は、元台北市議だった男で、女と二人で犯行に及んだとのことです。本人がFacebookで犯行を白状し、自ら出頭したようですが、案の定、中国との統一支持派で日台友好を快く思っていない輩です。以下記事を一部抜粋しましょう。

男は1958年生まれで、現在は台湾の急進統一派の団体「中華統一促進党」に所属。94年に統一派の政党「新党」から台北市議に当選し、1期務めた。任期中、市幹部を殴り起訴された。また、2016年には急進的な台湾独立派の団体の敷地に放火し逮捕、起訴されている。男は自身を日本統治時代の義賊になぞらえる発言も投稿。像の頭部を指すとみられる「八田さん」を、中華統一促進党の「党本部に届ける」などとする記載もあった。

● 台湾・八田像損壊犯は元台北市議だった FBで公表し出頭

この中華統一促進党というのは、台湾の三大マフィア組織の一つ、「竹聯幇(ちくれんほう)」の元幹部で、「白狼」という異名で呼ばれる張安楽氏が2005年に自らが総裁となって結成した政党です。

とはいえ、張安楽は台湾にいたのではなく、有価証券偽造などの罪で台湾当局から追われていたため、1996年から17年にわたって中国に潜伏していました。そして2013年に台湾に突然帰国し、台湾当局に逮捕されたのです。

● 伝説の大物マフィア「白狼」を逮捕・保釈 台湾

しかし、多額の保釈金を支払って保釈され、以後、中華統一促進党の活動を展開しているのです。張安楽は中国で逮捕されたわけでもなく、中国潜伏中に中華統一促進党を結成しました。そのため、台湾の撹乱組織として中国政府の意向を受けている可能性は十分にあります。

実際、中華統一促進党は、旧日本軍の軍服を着て、民進党本部に「感謝状」を届け、民進党を「媚日」だと批判するパフォーマンスを行うなど、たびたび騒動を起こしています。

ここで少し八田與一についておさらいしておきましょう。日本統治時代の台湾に土木技師として台湾に渡り、各都市の上下水道の整備に従事した後、発電と灌漑事業に従事しました。

八田の台湾での功績は数えきれないほどありますが、何より台湾に貢献したのは嘉南平野に造ったダムです。正式名称を「烏山頭ダム」といい、八田はその設計・監督を務めました。嘉南平野はもともと洪水、干ばつ、塩害にあえぐ地域で不毛地帯でした。そこへダムを造ることで、穀倉地帯へと変貌させたのです。

烏山頭ダムの満水貯水量は1億5,000万トンで、これは黒部ダムの75%に相当します。さらに、八田はダムを造るだけでなく、「三年輪作法」という農作方法を採用しました。これは、1年目には稲を栽培し、2年目にはあまり水を必要としないサトウキビ、そして3年目には水をまったく必要としない雑穀類の栽培をするという輪作農法です。

これにより15万haの耕地を灌漑することができ、米栽培、そして砂糖栽培が飛躍的に成長し、台湾南部は大穀倉地帯となりました。水田は30倍に増加し、ダム完成から7年後の1937年には生産額は工事前の11倍に達し、サトウキビ類は4倍。ダムの規模は東洋一でした。

その業績は国民中学の『社会2・農業の発展』に詳しく記載されており、最後まで貿易が赤字だった朝鮮とは異なり、台湾が早くから黒字に転じたのは農産物のお陰であると言い切っています。

● 台湾経済を変えた日本人 ‐ 八田與一(はった よいち)の偉大なる功績

また、八田は台湾の現地人を差別することなく、現地人従業員をとても大切にしたと台湾で伝わっています。台湾人からも慕われていた八田ですから、ダムの完成時には銅像建立話が持ち上がりました。しかし、八田はこれを固辞しつづけました。

そこで、八田の思いを忖度した地元民や周辺の者たちが、偉そうな立像ではなく、ダムを見下ろしながら思案にふける八田の姿の銅像をつくったと言われています。

八田與一は1942年5月、フィリピンの綿作灌漑調査のために広島の宇品港から大洋丸に乗船して出航したものの、途中でアメリカ海軍の潜水艦により撃沈され、八田も死亡したのです。そして八田の妻・外代樹は、1945年9月、八田の後を追うように烏山頭ダムの放水口に身を投げました。

八田の台湾への貢献および、台湾人に分け隔てなく接した態度は、台湾の人々からも非常に尊敬されています。蒋介石時代には、大日本帝国の建築物や顕彰碑が次々と壊されましたが、八田與一の銅像は地元の人々の協力で隠され続け、守られてきたのです。そして、1981年に、八田ダムがよく見渡せる場所に、八田與一の墓とともに設置されたのです。

そのような、台湾人にとっても思い入れのある八田與一像の首が、中台統一を主張する統一促進党の幹部によって切断されてしまったわけです。ちなみに、統一促進党は、中国で沖縄の中国領有を主張する「中華民族琉球特別自治区準備委員会」という組織ともつながりが囁かれています。もちろんこれは中国政府の息がかかっています。台湾独立阻止と沖縄独立を目論む中国とつながりのある統一促進党が、日台の絆の象徴である八田與一の像を破壊したということは、ある意味で、わかりやすい構図です。

5月8日には八田與一の命日にあわせて式典が予定されていることもあり、今回の事件によって壊された銅像の修復が急がれますが、そこで登場したのがわれらが奇美グループの創始者である許文龍氏でした。ダムに設置されている銅像を模したものを奇美美術館が所蔵していることから、切断された頭部に美術館所蔵のものの頭部を接着させると申し出たのです。

● 壊された八田與一像、台南・奇美博物館が週内に修復へ/台湾

台湾経済はこうした名士に支えられている面があります。彼らは、戦後何もない状態から財を築いて現在の台湾経済を支えてきました。もちろんそれは、彼らの血のにじむような努力の賜物ですが、その努力ができたのは、八田ダムのような日本統治時代に築かれた国家としてのベースがあることも忘れていません。だからこそ、彼らは日本に感謝し、日本を愛し、日台友好のための支援を惜しまないのです。このメルマガでも以前に取り上げたエバーグリーングループの創業者であり、東日本大震災のときにポケットマネーで10億円の寄付をした張栄発氏もその一人です。

それに比べて、今回の事件を起こした人物の幼稚さは際立っています。台湾では、統一派と独立派の対立は常に存在していますが、こういうバカげたことをするのはいつも統一派です。前述したように、中国の意向を受けて日本人の台湾へのイメージを貶め、日台離反を画策しようとしている可能性もありますが、かえって逆効果ではないでしょうか。

台湾人にしてみれば、中国に対する嫌悪感が増大しますし、日本人にしても台湾に対する知識がここ数年で深まっていますから、大陸派が行ったということはすぐに分かるでしょう。中国が「一つの中国」を声高に叫べば叫ぶほど、台湾での独立気運の高まり、そしてそれをぶち壊そうとする大陸派がいるということが、日本人にも意識されるようになっています。

台湾の大陸委員会は、中国の人権活動家による難民申請を検討する用意があると発表しました。政治亡命者は受け入れられなくても、長期滞在を提供することはできるとの見解を公式に示しました。台湾は、統一派たちの幼稚な言動に少しも動揺ないばかりか、中国の人権活動家を支援しようとしています。

李登輝から始まった民主国家台湾は、今、蔡英文総統に受け継がれ民主国家としてあるべき姿を引き続き追い続けています。中国との差は広がるばかりだし、独立こそ認められていませんが、国家としてあるべき姿は具現化しています。今後も統一派による嫌がらせは何度もあるでしょうが、台湾は揺るぎません。

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