【門田隆将】日本学術会議への「訣別」

【門田隆将】日本学術会議への「訣別」

門田隆将ブログより

科学者の役割とは何か。人類の進歩に寄与し、平和の実現をはかり、人々の幸福に貢献すること。そのために努力を惜しまず、常に技術革新をはかり、持ちうる能力を可能なかぎり発揮する――そのことに異論を差し挟む向きは少ないだろう。

しかし、最近、私は驚くべき報道に接した。日本の科学者が集結する「日本学術会議」が、「私たちは、軍事研究を行わない」という声明案をまとめたというニュースである。思わず、「えっ?」と目を剝(む)いた向きも少なくないだろう。

日本に向けた中国や北朝鮮からの弾道ミサイル等、連日のニュースを見ていると、素人でも「いよいよ自分たちの命が危ない」という危機意識が切実なものになっていることを感じる。朝鮮中央通信は7日、前日におこなった弾道ミサイル発射について、有事の際に在日米軍基地への攻撃を担う朝鮮人民軍戦略軍火星砲兵部隊による「訓練だった」と報じた。

ついに北朝鮮が「在日米軍基地」をターゲットにしていることと、そのために運用されている特殊部隊の存在を明らかにしたのである。
力による現状変更を東アジア全域で堂々とおこなう中国と、血のつながった兄弟でさえ暗殺し、人民の殺戮(さつりく)をなんとも思わない独裁者に率いられる北朝鮮。そんな国をすぐ隣に抱えた日本は、彼らが持つ弾道ミサイルから自分たちの命をどう守るか、という真剣な課題に向き合っている。

そんな中、当の科学者たちの総本山である日本学術会議が、「軍事研究は行わない」と声明するのだそうだ。「おいおい、何をバカなことを言っているのか」と声を上げても、彼らには通用しないだろう。
なぜなら、彼らの頭の中は、いまだに70年前のままで、目前に迫っている核攻撃や弾道ミサイルの恐怖、あるいは、国際社会が直面しているテロとの闘いという現実が、どこか「別の世界」のことと考えているようなのである。

私には、いつも言わせてもらっている「DR戦争(Dはドリーマー、夢見る人。Rはリアリスト、現実を見ている人)」という言葉が今回も浮かんできた。

彼らドリーマーたちは、移り変わる国際情勢も、進歩する軍事技術も、日々、危険に晒されていく人々の命も、なにも考慮はない。ただ、「軍事研究」とは、人を殺害する武器を「つくるものである」という小学生並みの単純論理しか、存在しないのである。
アインシュタインも後悔した核兵器の研究・開発。核兵器とは、科学者がつくり出した究極の悪魔の兵器であり、このようなものをつくり出した「科学者という存在」を本当に恨みたいと思う。だが、一方で、もし、その核兵器を「無力化」する研究をおこない、人類の平和と幸福に寄与する科学者がいたとしたらどうだろうか。

虎視眈々と日本を狙う核ミサイルをどう「無力化」するか。直接これを空中爆発させる百発百中の迎撃システムを開発するのか、それとも電磁波をはじめ、あらゆる電波、もしくは波動を利用した無力化の新システムを構築するのか。それをおこなうのは、悪魔の兵器をつくりあげた「科学者」に課せられた「使命と責任」でもあるはずである。
あのロバート・オッペンハイマーが率いたマンハッタン計画の科学者たちを「悪魔の集団」とするなら、それを「無力化するもの」を開発し、人類の生命と生存空間を守る科学者たちは、まさに「神の科学者」というべき存在になるだろう。

しかし、軍事研究イコール殺戮の武器研究という「単純正義」に基づくイデオロギー集団と化した「日本学術会議」には、そんな科学者としての「使命や責任」を理解するレベルにはない。それは、人類史における科学の真の意義を放棄したものとも言える。
国民は、自分たちの税金がこんな「日本学術会議」のようなイデオロギー集団のために一銭たりとも使われることを拒否すべきだと思う。一方で、平穏に暮らす私たちの子供たちの命を守ってくれる科学者たちの研究には、本当にどれだけの税金が使われても構わない、と思う国民は多いだろう。

本来の科学者の「役割と使命」を知る人々が、こんなドリーマー集団からは早く抜け出して「新団体」をつくって欲しいと思う。なぜなら、私たちにとって自分たちの命を守るために許された時間は、実はそう長くはないからだ。

北朝鮮が、核弾頭の小型化と起爆装置の開発を果たしたのかどうか。中国のネットで飛び交う「南京虐殺の次は“東京虐殺”」というやりとりを見る度に、私は、「日本の科学者は何をやっているのか」と思う。志ある科学者と、彼らが集結する新科学者団体の登場を心から待ちたい、と思う。

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