【追悼】黄文雄(こうぶんゆう)氏
宮崎正弘
中華思想の欺瞞を、膨大な資料を読み込んだ知識を背景に誤謬にみちた通俗史論をばっさばっさと裁断して中国史の影に光を当てた。
中国人の暗黒面、そのグロテスクな醜さを日本史と比較して抉り出した。
黄文雄さんは、歴史家であり台湾独立の活動家、ユニークな思想家だった。
最初にあったのは四十年は前だろう。
小生の最初の質問は「NYプラザホテルの玄関で訪米中の蒋経国を狙撃した黄文雄とは、貴方ですか?」だった。
「ちがいます。
同名異人です。
親戚でもないのです」
氏は速筆で下書きはノートに鉛筆、その旺盛な作家活動。
ベストセラーの印税は台湾独立運動に寄付した。
二百冊におよぶ著作は中国の歴史を冷徹に述べたもので多くの読者を獲た。
酒はたしなむ程度だったが、往時は毎週のようにあっていた。
議論することが山のようにあった。
拓殖大学の客員教授として大學史、とくに台湾開拓の目的が拓殖大学の由来だから、大學でもよくあった。
井尻千男教授主催の日本文化研究所公開講座では毎月、おわって二次会は茗荷谷周辺の居酒屋だった。
氏が主催の忘年会も関係者、とくに編集者をあつめて毎年おやりになり師走の新宿歌舞伎町の中華料理は百人くらいが押し寄せた。
総統選挙の度に台北で、関係者を呼んでのパーティも主催され、台湾取材にきていた日本人記者の多くも招かれたので百人以上が会場に犇めいた。
台湾でのシンポジウムにも御一緒する機会があったが、ふたりで台湾大學で講演したとき、小生のほうは北京語通訳、黄色さんは台湾語で通訳無し。
若い台湾人は北京語しか出来ないので、分からないと言っていた。
それでも台湾語で通した。
これが氏の哲学である。
台北旅行は格安チケットを探しだし、ホテルは二つ星程度か、殆どYMCAだった。
ふたりで対談本も編んだ(宮崎正弘v黄文雄『中国人の野蛮』、徳間書店)
このところ、体調不良と伺っており、連絡が途切れていた。
七月に逝去されていた。
合掌。
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