林 建良 様
渡邉 巌(農学博士)
『「台湾の声」博学にして無知な日本人』(2013・6・5) を拝読してことごとく心底同意いたしました。本来、知識と知性とは全く別物であるがために、豊かな知識をみすぼらしい知性が脚色する結果、異常な対策や行動を生んでしまっているのが日本の現状だろうと思います。私は戦後左翼の方々の思考過程が、私のそれとどう違うのかを自分の究極の問題意識として常に考え続けてきました。その答えは未だに集積途中ですが、建良様がここで指摘されておられる日本人の欠点はまさに私が戦後左翼の思考過程の欠点だと思い始めている特性と驚くほど良く一致しているように思えます。
日本人の思考過程の欠点と、日本人左翼の思考過程の欠点とがどの程度重なるのか不明の部分もありますので、ここでは後者、すなわち日本人戦後左翼の思考過程の欠点として列挙してみたいと思います。
左翼の平和主義は「祈る」平和主義であり、平和を維持するために「行動する」平和主義ではありません。原爆の日には広島で、長崎で、核兵器の廃絶を多くの人々が祈りますが、過去の実績を振り返えれば分かるように、祈っても何も改善されません。例えば国連総会に働きかけて削減に応じない常任理事国は理事会のメンバーとして失格する決議をするよう働きかけるなど、行動すべきことは多々あります。小学生が殺害されたことをうけて、生徒を集めて命の大切さを説いたところでトンチンカンな行動であることと共通するものがあります。行動の効果について全く評価せずに、対策として何かをやっているというみせかけの努力を社会に宣伝したいだけなのです。
NHKの討論番組でよくあるように、子供や孫を戦争で失ったお年寄りを集めて、「戦争はいやだ!軍隊があるから戦争が起こるのだから軍隊は放棄すべきだ!」と合唱をさせても、問題意識は情緒の段階にとどまり、戦争回避には全く役にたちません。世界の平和は合従連衡により軍事力のバランスをとることにより実現されるという現実を見ようとしません。
学校教育の目的は二つあります。知識の伝達と競合の場である社会への適応力の付与の二つです。知識だけを与えていては片手落ちです。生物が生き延びるために競合に耐えてゆくことの必要性と、強い心を持つことの重要性を教えなければなりません。徒競争のゴール直前でいったん立ち止まり、手をつないで仲良く一斉にゴールさせるような、欺瞞の悪平等を再現させることが教育だと誤解している教師がいます。運動部の生徒が、指導教官に何を言われようが、仲間内からどんな意地悪を仕掛けられようが、きちんと耐え抜いて行く勇気を持つことを教えなければなりません。社会は悪質であり、特に国際社会は悪意の塊りであることを実体験から学ばせなくてはいけません。このあたりの教育が全くおろそかにされてきたのが日教組の方針だったわけで罪深いものがあります。
左翼は美しい言葉が好きです。私の中学時代の先生が卒業アルバムに書いた座右の銘は「戦争は人の心から始まる。友を大事にする心を持ち続ければ戦争は起こり得ない」というものでした。当時私はこの言葉に違和感をもちませんでしたが、こんな言葉に満足していたら絶対に平和にありつけないことに次第に気がついてきました。美しい言葉に満足したら、具体的な行動は起こりえないわけで、美しい言葉に酔いしれる自己満足から卒業する知性こそが平和への第一歩であることに思い知らされたわけです。
戦後の東大経済学部の教授が殆どマルクス経済学に汚染され、学長は殆ど全て左翼でした。仏文科の教授や学生もサルトル・ボーボワールにあこがれ、社会全体が左翼化したのは必然的な結果でした。最近やっとこの病から回復しつつあります。私たちは情緒的な判断からは何も得られないことを思い知らされた半世紀でした。この時期、安倍晋三首相が現れ、長期にわたって与えられてきた社会のひずみが徐々に改善されつつあるのを知って嬉しく思うこのごろです。日頃のご指導を感謝しつつ。
『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html