【読者便り】鄭南榕記念館に行ってきた

【読者便り】鄭南榕記念館に行ってきた

         佐藤 千枝

台湾の声様

ゴールデンウイークに台湾に行ってきたのですが、前から行こうと思っていた鄭南榕記念館に行ってきました。

まず、台湾に行く前に台湾ヤフーで検索して鄭南榕基金のホームページを見てみると、営業日は火〜土 営業時間は10時〜17時まで、要予約か。
記念館の地図をプリントアウトしてから台湾に出発!
台北のホテルに着くとさっそくホテルの人に頼んで電話してもらって翌日10時から予約する。

翌朝、最寄り駅の中山国中站を降りて地図の通りに進んでいく。セブンイレブンの角を曲がるとマンションが並んでいる。
シマッタ!てっきり雑居ビルだと思っていたから、看板があると思っていたが、マンションだと どの建物か解らんぞ!
と、不安になりながら3階を見上げると基金の看板を発見C=(^◇^ ; ホッ!
その建物の入口に呼び鈴ボタンが並んでいるが基金のボタンには表示がしてあるのですぐ解る。でも、ボタンを押した途端インターホンで北京語をまくし立てられたらどうしようと、ドキドキしながら押すとガチャンとロックが開き、中に入って3階へ。

記念館に入ると、美人な女性と初老のお爺さんが出迎えてくれた。
とりあえず、日本李登輝友の会のバッチを見せる。これでなぜ日本人が来たのか説明しなくても解ってくれたと思う。

私は、北京語が解らないのだが、記念館には写真に中文の説明書きがあるだろうから漢字の拾い読みで、だいたいのあらすじが解るだろうと思っていたが、甘かった。

初老の陳さんが付きっ切りで北京語と豊富な英語(マイ イングリッシュ ベリーベリーリトルの私にはほとんど解らない)と、私の北京語&台湾語と同じくらいのカタコトの日本語と筆談で写真や展示物を詳しく説明してくれた。

まずは、子供の頃の鄭南榕氏の写真。お父さんは外省人、お母さんは台湾人か。可愛いなぁ。大人になってからの写真しか今まで見たことなかったけど、子供の頃は美少年だったんだな。

大学は孫文の国父思想の単位を拒否した為卒業できなかったとか、自由時代が発禁になるとすぐに別の名前で発行し、また発禁されるとすぐ別の名前で発行と繰り返していたらしい。

大学を卒業しなかったので鄭南榕氏が発行人になれなかったとか、説明が続いていく。
日本でも見たことのある鄭南榕氏が写っているデモの写真の説明では、このときデモの人数は数人だけ!そうなの?てっきり写真に写ってないところにデモの群集がいるもんだとばかり思っていた!

じゃあ、数人のデモに何十人の警官が警備してるわけ? たった数人に何を恐れているんだ国民党!と、思ったが、よく考えれば民衆がデモに加わらないようニラミをきかせてたんだな。おぉ、許世楷さんが若い頃の写真がある!台湾憲法草案も展示されている。

ガラス張りの向こうは焼け焦げた部屋だ。ここが鄭南榕氏が自決した場所か。当時の火の勢いが想像できる。

写真には黒焦げの鄭南榕氏の遺体が写っている。台湾だとタブーじゃないのだな。
葬送のパレードの写真にはパレードに参加している群衆が写っている。鄭南榕氏はこれだけ大きな影響力を台湾に与えたのか。

そしてそのとき起きた鄭南榕氏の友達の焼身自決の写真。炎に包まれた鄭南榕氏の絵画。
当時の台湾人の自由への渇望と怒りが始めて感じられる。
日本にいたとき、メルマガや講演で聞いて知っているつもりでいたが、やはりここに来ないと解らなかたったな。

鄭南榕氏が志望した当時8歳だった娘さんの詩が展示されてある。
漢字の拾い読みと勘で訳すと
「パパは太陽だった。もう太陽は見られない。私は泣く。私は叫ぶ。太陽はもう登らない」
だろうか?大体の意味はあっていると思うが、たった8歳でこれだけのものが書けるのか!
私の小学生時代とは雲泥の差だな。やはり頭のいい人の子供は違う!

そろそろお暇する時間だ。

鄭南榕氏のDVDをいただいたが、2年前に文京区民会館で見た映像かな。
「我看了時候2年前」
と言ったら、『それより新しいのだから』ともう一枚いただく。
さらに週間自由時代の本がある。復刻版かな?漢字の拾い読みでも読みたいといただくが、鄭南榕氏没後20周年の記念本でいろんな人の文章や詩、式典のDVDが付いていた。
DVDを3枚も貰ってしまったのだが、いいのだろうか?入場料も払ってないのに・・・。

見学の説明の中で史明が『台湾四百年史』(メチャクチャ高価らしい)の台湾での出版権を鄭南榕氏に譲ったとかで、その収益で自由時代を出版していたそうだが、基金の活動費も・・・かな?

それから鄭南榕氏の焼身自決を掲載したフライデーのコピーもくれた。
えぇー、フライデーってたけしの彼女を取材で怪我させたり、芸能人を追い掛け回しただけでなく、真面目な記事も載せてたんですか?
なにー! 鄭南榕氏自決二日後に台湾大学で行われた座り込みで彼の一人娘鄭竹梅ちゃんが硫酸をかけられただと!

外省人&国民党の権益を守りたい人間の仕業か?脅しか?それとも弱いものに攻撃する個人的な鬱憤晴らしか?
彼らの低能さが良く解るな。

帰国後DVDを見てみると、あれ?鄭南榕氏が演説しているシーンで「外省籍的台湾人」で「タイワンラン」と聞こえる。「獨立」も「ドクリツ」と言っているように聞こえる。
鄭南榕氏は台湾語で演説してたのか!

やはり、写真よりも映像のほうが、今の台湾には無い当時の人々の怒りのエネルギーが感じられる。

今の台湾は民主化が進み現在の自由で満足し守りに入ったのだろうか?
でも、あの時代の怒りエネルギーは火種として台湾人の中に残っていると思う。
そして何かあったら96年の陳総統銃撃事件のときのように爆発するだろう。


投稿日

カテゴリー:

投稿者: