小林正成 台湾独立建国聯盟日本本部顧問
国民党の馬英九が退任を前にして、総統府の大ホールに、国家に多大な業績を残した先人として、蒋経国の名を冠したと聞き、私は、大きな驚きと怒りを感じました。総統も議会も、過半数を獲得した台湾議会がこの事を容認したとたら、台湾人は底抜けのお人好しと言わざるを得ないでしょう。
救国団と言う自己の親衛隊ともいう違法な集団を作り、白色テロと相俟って、台湾人民を恐怖のドン底に落し入れ続けた独裁者を、崇め奉る様な事は絶対に阻止すべきです。
喉元過ぎれば熱さ忘れる。と言うような、簡単な問題ではありません。
台湾人民が、台湾人としてのアイデンティティを高く掲げ、真の民主国家建設に邁進するには、悪しき過去を徹底的に排除しなければなりません。
「蒋経国は、台湾の民主化を計ってはいない」
台湾人が、国民党の不条理な政治に反発、目覚め、潮目が変わったのは中壢事件でした。1977年12月に行われた統一地方選挙で、桃園県長選挙に於いて、国民党側の不正が発覚し、大衆暴動が発生。国民党は軍隊を出して鎮圧しようとしたが、大衆に「台湾軍隊は、台湾人を殺すのか!」と叫ばれると、銃口を下にさげ、引き揚げていった。 この事は、心ある台湾の人達が、一つの突破口を見出すきっかけとなり、1979年8月には月刊誌「美麗島」が刊行され、民衆の共感を呼び、一つのうねりが出来、民衆が覚醒していき、1986年に民主進歩党の結成に至りました。
その時国民党は、力で解散させると暴動が起きると考え、容認ではなく、黙認と言う形で受け入れました。
国際社会で孤立が深まる中、経国は鰹節を削るように、台湾人民に権力の譲渡を行いました。戒厳令の解除・政党の成立も、そうせざるを得ない状況に追い込まれて行ったもので、蒋経国の自発的民主化に依るものではありません。
「台湾の経済発展は、蒋経国の功績だけではない」蒋経国に依る十大建設とは?
大陸反攻の虚言スローガンも使えなくなり、対外的にも孤立化が進み、民衆の不満も高まってきたとき、彼らの不満を和らげる政策のヒントとしたのが目覚ましい日本の経済発展でした。
十大建設なる政策を唱え≪開発独裁≫を推し進め、アジアの≪4匹の小龍≫の一つに数えられるまで台湾経済を発展させました。
しかし、この台湾経済の発展は、蒋経国の功績に依るものだけではないと、私は考えます。
インフラ整備・教育に依る勤勉な民度の向上等、総て、基礎は日本時代に出来ていた。その上に、独裁権力による≪開発独裁≫が機能し、相乗効果で成功したのです。蒋経国の功績は、その一部に過ぎないのです。
私は、1971年、台湾独立運動のために戒厳令下の台北でビラを撒き、逮捕されました。1971年7月6日、台湾警備総司令部の獄舎で、蒋経国と会見した折り、台湾独立建国聯盟に身を置く者として、彼を最大の敵と位置付けて対峙しました。今もその考えに変わりはありません。
敢えて蒋経国の功績をあげるとすれば
(一) 副総統に李 登輝を抜擢した
(二) この世界から早く去った
以上が私の揺るぎなき確信的意見です。