2016年5月31日世界日報より転載
平成国際大学教授 浅野和生
中国が主張する「一つの中国」原則とは、台湾も中国の一部であると認めることである。中国は、「一つの中国」原則の承認が、中台間の交渉、交流の基礎であると繰り返し表明している。しかし1月の総統選挙で示された台湾の民意は、台湾は台湾であって、中国の一部ではない、ということであった。
馬英九政権は、「中国」が何を意味するかに留保条件を付して、「一つの中国」原則を認めた。こうして中国との経済交流を緊密化、さらには政府間定期協議の道を拓いた。これに対して蔡英文総統は、選挙の最中から、中台関係については「現状維持」とのみ述べて、「一つの中国」を認めなかった。
そこで中国は、蔡英文候補の総統当選が決まると、「一つの中国」原則を認めさせようとの圧力を高めた。就任式の直前には、中国人民解放軍が台湾の対岸、厦門で上陸演習を実施するなど示威行動も見せた。
しかし、5月20日、蔡英文総統は就任演説で、92年からの中台間の交渉、交流の事実を認め、評価したものの「一つの中国」には言及しなかった。このため、中国政府は「これでは未完成の答案だ」と批判し、さらに台湾弁公室の馬暁光報道官は、このままでは「台湾側との対話・連絡メカニズムは継続できない」と言明して、新政権に「一つの中国」を認めさせる圧力を強めている。
また、新政権発足前の5月16日、中国の王毅外相は、ケリー米国務長官に、アメリカが「一つの中国」原則を厳守するよう通告、就任式当日には、中国外務省の華春瑩報道官が、「『一つの中国』原則は中国と世界各国の関係において重要な政治的基礎であり前提だ」と強調して、台湾ばかりでなく関係各国にも圧力を加えている。
ところで、蔡英文総統は、台湾が一つの国家であると主張し、台湾を一つの国家として中国にも承認して欲しいと願っているが、中国が「現在は承認したくないのなら、それはそれで構わない。それで直ちに戦争が発生するとか、往来が断絶することを意味するものではない」(『週刊東洋経済』2008年11月1日号のインタビュー記事)とし、「世界には直ちに解決できない問題がたくさんある」と述べていた。
確かに、中国と台湾が台湾海峡を挟んで対峙する状況は、1949年から始まって、すでに67年経過しているが、まだまだ「直ちに解決できない」問題である。
他方、蔡英文総統は、台湾は「民主・自由・人権を共有する日米との関係を重視し、優先すべきだ」との考えを示してきた。さらに、台湾が東アジア地域の安定に関与するため「米国とその東アジアでの同盟諸国(つまり日本)との連携も強化せねばらない」と語っている。昨年10月に来日した際にも、日本の安全保障法制について「日本が地域の平和に重要な役割を果たすことを期待している」と述べている。つまり、中国の軍事的、経済的圧力が増大する中で、日米台協力による東アジアの安定が蔡英文総統の持論である。
対する安倍政権も、蔡英文総統の当選が決まった1月16日夜に、岸田外相が「基本的な価値観を共有し、緊密な経済関係と人的往来を有する重要なパートナーであり、大切な友人」と台湾を評し「祝意」を表した。2日後には、参議院予算委員会で、全閣僚出席の下、安倍首相が蔡英文当選に祝意を示し、「台湾は古くからの友人だ、自由な言論の上に選挙でリーダーを決める総統選は台湾の自由と民主主義の証しと考える」と述べた。さらに、5月20日の就任式当日には、菅義偉官房長官が蔡英文政権発足を「歓迎する」と述べ、台湾との「協力と交流のさらなる深化を図る」と表明した。
蔡英文政権は、行政院長(首相)、民進党主席などの経歴がある謝長廷氏を駐日代表に据えた。また、台湾政府の対日関係担当部局である亜東関係協会の会長も民進党の軍師、邱義仁氏に替わった。邱氏といえば、民進党秘書長、国家安全会議秘書長、総統府秘書長、行政院秘書長を歴任した、いわば舞台回しの最高実力者である。
これらの人事からは、蔡英文政権が日本を重視していることが明らかである。蔡英文総統と安倍首相の平仄が合っている今、日台関係はレベルアップの好機である。
中国が南シナ海を中国の海にしようとし、西太平洋への進出を図っている現在、日本にとっても、東アジアの平和と安定のためにも、日米台の紐帯の強化、とりわけ安全保障協力の強化が急務である。
蔡英文総統が、就任演説で「一つの中国」原則を認めなかったことは、むしろ予想通りであった。中国は、これからも陰に陽に、民進党政権への圧力を高めていくだろう。問題は、台湾の人びとが中国との軋轢の高まりをがまんできるかどうかにある。それは日本やアメリカが、台湾を支援する姿勢をどれだけ明快に示せるかにもかかっている。陳水扁政権の末期、アメリカも日本も、中国に気兼ねして、台湾をトラブルメーカー扱いにし、政権の求心力を失わせた事実がある。真のトラブルメーカーは、「一つの中国」原則に固執する中国ではないか。