酒井杏子(エッセイスト)
黄霊芝著 /下岡友加編 (溪水社 2200円+税)
2012年6月20日発行
本書は、文芸家・黄霊芝の集大成ともいえるベストセレクションである。
黄霊芝氏は台湾を代表する俳人として台北俳句会を主宰し、台湾における日本語の俳句の存在を内外に知らしめるとともに、戦後の台湾の日本語文学および文芸を牽引してきた第一人者だ。
日本ではそうした氏の功績から、台湾ならではの季語を選定・解説した『台湾俳句歳時記』刊行によって2004年・第三回正岡子規国際俳句賞を、また2006年には「日本文化紹介に寄与した」として旭日小緩賞を授与し、高く評価してきた。
そのため我が国内においては、文芸家・黄霊芝というよりむしろ日本語を自在に駆使する台湾の俳聖としてのイメージが定着し、実際には氏が俳句の他に川柳・短歌・随筆・評論・翻訳・小説の幅広い分野で日本語作品を創出し、また中国語、フランス語での創作も手がけているのを知る人は思いのほか少ない。
本書では、
・生き残った同窓生三人の複雑な友への思いと死を見つめた『古希』
・「家」と「血(血脈)」に鋭く迫った『「金」の家』
・自伝ともとれる長編傑作『豚』 の他小説6編。
・短歌だけで綴った短歌小説『蟇の恋』
・評論 『違うんだよ、君』―私の日文文芸―
の11編が収録されていて、俳句の世界とは趣を異にする分野での活動の一端を知ることができる。
いずれも力作ぞろいで、その表現手法や構成の斬新さは、氏が非凡なアイデアマンであるのを証明しているし、あるいは実生活に至るまでいかに芸術家的な素質を性格に宿し、不屈の反骨精神とともに、飽くなきチャレンジャーであるか、を読む者にみせつける。
ただ、黄霊芝氏はこのように多才で広範にわたる文芸活動に携わってこられたが、その割には認知度が低いような気がする。
理由は、ひとつには“売文”を目的に本を書いてこなかった(作品の多くは非売品である)ことと、表現手段として操ってきた言語が、戦後使用禁止された“日本語”であったことの二点が大きく影響している。
本書掲載の評論『違うんだよ、君』のなかでは、後年「黄めは日本人の糞を食べて生きている男だ」と評されたと告白しているが、実は氏は自身の生い立ちから「私は親日派でもまして親中派でもなく、あえていうなら“親日本語派”だ」とかつて私にキッパリと断言したことがある。
上記のような蔑視に耐えながら、それでも日本語にこだわり続けたわけは、「日本語がかなりしたたかな言語で奥の深いことがわかってきた」からであり、「日本語のややこしさ(以下省略)・・・これこそが日本文化の根元的なたたずまいを孕む財宝なのであり」と理解したからに他ならない。
また彼は言う「私はしばしば人が物を書くとはどういうことかを考えていた。そして書くとは考えることの異名だと悟った」。その思考の工程を表すのに最も便利だったのが日本語だったのであろう。思考をするのに聞き手(読者)の介在は別に必要としない。従って純粋に考える過程を表現するのと引き換えの読者からの代価は、氏にとってはどうでもよいことなのだ。
「人類の文化に貢献するのに国籍の必要があるであろうか」とする持説とともに、俗世の既存の枠におさまりきらない黄霊芝という文芸家の大きさを私は感じる。
長くなったが、最後にもうひとつだけ言っておきたい。
本書を読む限り、この作家につきまとう例えば「冷たい」などのマイナスイメージは払しょくされるはずである。
自伝的な要素の強い小説『豚』の中で、堵殺場へと担がれていく“豚め”によせる作者の慈悲のまなざし。その豚を家族同様に思い、豚が唯一の友であった一人娘の心情を黙して思いやる温かな作者の親心を見るとき。
そして(短歌で綴った小説)『蟇の恋』の道ならぬ恋?におちた主人公の“人の子”としての葛藤や苦悩の詩を聞くとき、私に深い感情が湧いてくる。
『蟇の恋』にあるフレーズ・・・
・夢といふはかなきことに真向かひて妻子を捨つることも思へり
・神にしてなほ許さるるものならば我も雄たけく人奪はんに
など口ずさめば、いかな冷静で淡泊な私とて人間黄霊芝氏に惹かれてしまいそうである。
つまるところ売文ではない書評など、作家と作品に惚れなければ書けないものなのかもしれない。
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