2015.5.14産経新聞
東京国際大学教授・村井友秀
過去の世界史を見ると、国家間の力関係が大きく変化するとき(パワーシフト)、すなわち強者が弱者になり弱者が強者になるとき、強者を追い越した弱者が、弱体化した強者を一挙に叩(たた)く機会主義的戦争が発生する傾向があった。現在の日中関係を見ると、パワーシフトが進行している。2004年に中国の軍事費が日本の防衛費を追い抜き、10年には国内総生産で中国が日本を追い抜いた。
≪毛沢東思想の「持久戦論」≫
パワーシフトを中国の軍事戦略に翻訳すると次のようになろう。
資本主義的発展を続ける共産主義国家中国では国民の価値観が混乱している。しかし、毛沢東思想だけは誰も反対できない絶対的権威を持ち、共産主義体制を支える大黒柱である。中国共産党の毛沢東に対する公式の評価は「功績第一、誤り第二」であるが、中華人民共和国は毛沢東によって建国されたのであり、「偉大な愛国者、中華民族の英雄」という評価を中国共産党が変えることはできない。中国憲法にも国民は毛沢東思想を学び従わなければならないと記されている。習近平国家主席も毛沢東を重視していると思われる言動がしばしば見られる。
毛沢東思想とは人民戦争理論である。人民戦争理論を代表する「持久戦論」は日中戦争の中で執筆されたものであり、「弱い中国」が「強い日本」に勝つ戦略を構想したものである。
「持久戦論」は次のように述べている。日本は強力な帝国主義国家で、軍事力・経済力は東洋第一である。従って、中国は日本に連戦連勝できない。しかし、日本は国土が小さく、人口、資源が欠乏し、長期戦には耐えられない。
一方、中国の軍事力・経済力は日本に及ばない。しかし中国の国土は大きく、資源が豊富で人口・兵力が多く、長期戦に耐えることができる。敵が強く味方が弱いという状況の中で、速決戦を何回も展開することによって、抗戦能力を強化する時間を稼ぐと同時に、国際情勢の変化と敵の内部崩壊を促進する。このようにして戦略的持久を達成し、戦略的反攻に転じて侵略者を中国から駆逐する。
≪21世紀は戦略的対峙の時期≫
「持久戦論」は戦争を三段階に分けている。
第一段階は、強い日本軍の戦略的進攻と弱い中国軍の戦略的防御の時期である。
第二段階は、日本軍と中国軍の戦略的対峙(たいじ)の時期である。敵が最も危険だと感じているところや弱いところに向けて行動を起こし、敵を弱体化し牽制(けんせい)する。大きい力を集中して敵の小さい部分を攻撃する。この段階で中国は弱者から強者に転じることになる。
第三段階は、持久戦の最終段階であり、日本軍の戦略的退却と中国軍の戦略的反攻の時期である。最終的に日本帝国主義を包囲攻撃し、これを一挙に殲滅(せんめつ)する。
敗戦と革命の混乱を経て、1970年代に日中が再会したとき、日本は超大国米国の同盟国であり、世界第2位の経済大国になっていた。他方、中国は文化大革命で大きな傷を負った不安定で貧しい発展途上国であった。中国にとって再会した日本は、40年前とは違う形の強敵であった。
アジアの覇者を目指す中国は日本に対して再び人民戦争を開始した。第一段階は戦略的防御の時期であり、日中友好と尖閣問題の棚上げの時代であった。21世紀は第二段階の時期であり、戦略的対峙の時期である。中国は日本の力を削(そ)ぐために、対中強硬論の弱体化を狙って心理戦、世論戦を強化し、尖閣諸島の領海に漁船や公船を頻繁に侵入させてサラミをスライスするように日本の権益を削り取り、他方、米国とは「新型大国関係」を目指すなど、日中の力関係を中国に有利にしようとさまざまな手段を講じている。
≪アジアの覇者へ進む中国≫
20世紀の中国軍は基本的に国内の反革命勢力を打倒する革命軍であり、海を越えて軍隊を投入する能力に欠けていた。実質的に日米同盟に対抗する術(すべ)はなく、対日政策の基本は中国に不利な既成事実の発生を阻止し、現状を維持する「棚上げ」戦略であった。
また、日中戦争の経験者が多数存命した20世紀には、自分たちの村を焼き払った恐ろしい日本軍に対する恐怖感が年配の中国人の意識の中にあり、日本を挑発する対日政策を躊躇(ちゅうちょ)させていた。20世紀には日米同盟と中国軍の間に巨大な軍事力の格差があり、日中間にパワーシフトはなかった。
しかし、中国の経済力と軍事力の急速な拡大によって、中国人の意識の中で日本に対する恐怖感や劣等感は消えた。中国のネット世論は日本に対する優越感に満ちている。中国海軍は潜水艦70隻(日本は18隻)、水上艦艇72隻(日本は47隻)になった。
毛沢東の「持久戦論」から現在の日中関係を見ると、現段階は「持久戦論」の第二段階から第三段階に移ろうとしている時期である。中国はできるだけ早く第二段階を通過して第三段階に進み、アジアの覇者の地位を固めようとしている。(むらい ともひで)