2015.6.11 産経新聞より
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【編集長の一言】なかなか鋭い分析、
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東京国際大学教授・村井友秀
現在、中国の対日戦略の重点は日本国民への世論戦(心理戦)である。中国の対日世論戦が効果的に機能する構造を分析する。
≪新たに生まれた疑似階級闘争≫
民族主義と階級闘争という視点から日中を比較すると、中国は民族主義が強く階級闘争が弱い国である。他方、日本は民族主義が弱く階級闘争が強い国である。この構造が対日世論戦を支えている。
中華人民共和国では既に資本家階級は打倒され、労働者が権力を持つ国家になったのであり、階級闘争は存在しないことになっている。現在の中国では体制を打倒する「革命」という言葉は禁句である。現在の中国は階級闘争がない国家であり、政府と国民が一体になって行動できると中国共産党は主張している。
元来、共産党の目標は世界の労働者を結集して世界革命を達成することであったはずだが、現在の中国共産党の目標は世界革命ではなく、「中華民族の偉大な復興」を実現することである。中国共産党のスローガンを見る限り、中国は民族主義を鼓吹する国家である。他方、第二次世界大戦後の日本では、国民が一致団結して行動する民族主義を軍国主義の一種として嫌悪する傾向がマスコミと教育界にあった。
ソ連が崩壊し共産主義の正当性が地に堕(お)ちた後、階級闘争史観から抜けられない日本の左派は新しい階級闘争を創り出した。古典的な労働者階級による階級闘争とは異なる形態の、階級に準(なぞら)えた「リベラルな市民」が「反動的な政府」と闘うという疑似階級闘争である。
日本の左派の歴史をみると、第二次世界大戦以前の日本で左派を弾圧したのは、天皇制に対する脅威であった共産主義や社会主義を排除しようとした軍国主義的な日本帝国政府であった。敗戦によって大日本帝国が崩壊し、日本の左派にとって最大の敵は消えた。民主主義が根付いた戦後の日本では右派も左派も共存できる社会が実現した。
しかし、戦後の日本の左派にとって自らの生存に最も深刻な脅威を与える敵は軍国主義的な日本の復活である。従って、戦後の日本の左派にとって第一の敵は日本の軍国主義であり、中国の軍国主義ではなかった。
≪進められる左派との共闘≫
他方、歴史的に「一つの山に二匹の虎はいない」と考える中国にとって、東アジアという一つの山にいる日本は中国が生き残るためには屈服させるべきもう一匹の虎であった。特に、中国に屈服することを拒否する日本の右派は打倒すべき敵であった。すなわち、日本の軍国主義と右派を重ねることができれば、中国共産党が主張するように「日本軍国主義は中日両国人民の敵」なのである。
元来、共産主義者にとって味方は各国の労働者階級であり、敵は自国を含む世界の資本家であった。しかし「中華民族の偉大な復興」という民族主義をスローガンにする現在の中国共産党政権は、民族対民族という構図で国際関係をとらえている。日本の左派も日本人であり、屈服させる日本の一部ではあるが、敵の敵は味方である。
日本の左派と中国という国家は、左派の敵である過去の日本軍国主義と中国の敵である現在の日本を重ねることによって共闘できるという側面がある。従って、中国は日本の左派を取り込んだ形で日本という国家との競争を有利に展開しようとしている。
≪米国には機能しない日本主敵論≫
中国は米国に対しても同様の戦略をとっている。中米には日本軍国主義という共通の敵が存在し、中米は共闘できると主張している。しかし、現在の米国にとって主敵は米国の覇権を脅かす中国であり、過去の日本軍国主義ではない。中国の日本軍国主義主敵論は日本に対して効果をあげているが米国に対しては機能していない。
日中関係では、中国政府が自国を階級闘争を卒業し国民と政府が一体化した民族主義国家として行動するのに対して、日本の左派は日本を「市民対政府」という疑似階級闘争が進行中の国家であると見做している。日中対立は、一体化した中国と分裂した日本の対立という構造になっている。この点が中国の対日世論戦(心理戦)が有効に機能するポイントである。
ただし、表面的には階級闘争のない民族主義国家である中国が、階級闘争があり民族主義が弱い日本に世論戦を仕掛ける形になっている。しかし、日中両国の基本構造を見れば、日本は中流意識を持つ国民が多く階級矛盾の少ない国であり、自然災害その他で社会が不安定になっても、低所得者層による暴動が発生せず、きっかけがあれば一致団結する民族主義を内に秘めた国家である。
一方、中国では豊かな共産党員と貧しい労働者の格差が拡大して階級闘争の圧力が高くなっており、漢民族と少数民族間の矛盾も拡大して大漢民族主義は不安定である。表面的な日中間の前提が突然逆転する可能性も視野に入れておかなければならない。(むらい ともひで)