【王様は裸だ】「二国一制度」VS「一国二制度」

【王様は裸だ】「二国一制度」VS「一国二制度」

「ヴェクトル21」3月号より転載

    鈴木 上方人(すずき かみほうじん)中国問題研究家

 柯文哲台北市長はアメリカの外交専門誌「フォーリン・ポリシー」のインタビューを受け、「一つの中国」政策に疑問を投げかけた。彼は台湾と中国の将来を「一国二制度」ではなく「二国一制度」にすべきだと主張した。

●柯文哲の爆弾発言に狼狽える米・中・台

「一国二制度」とは中国が香港に適用させた政治制度であり、聞きなれた用語である。しかし「二国一制度」とは今まで誰もが口にしたことのない言葉だけに大きな波紋を呼んだ。この発言の直後、環球時報などの中国官製マスコミはこの発言を強いトーンで批判し、台北市と上海市の都市間交流を中止せよと柯文哲を恫喝した。

 柯文哲の主張は「一国二制度」で台湾を併合する中国の国策に対し、真正面から挑戦したのだから、中国のヒステリックな反応はわかなくもないのだが、興味深いのはアメリカも台湾政界もこの発言に慌てふためいたことだ。

 アメリカの台湾政策に大きな影響力を持つリチャード・ブッシュ元在台アメリカ協会理事長は、台湾には「一つの中国」を前提とした「九十二年コンセンサス」を遵守する義務があると中国に同調してけん制し、同時に台湾の朱立倫国民党主席は「両岸(台湾・中国)関係は長いスパンで考えなければいけない」と批判した。ただし、中国国民党は中国共産党と同様に台湾を中国の一部としているのだから、朱立倫国民党主席の発言は党の立場からして矛盾はしていない。問題は、「一つの中国」を認めないはずの蔡英文民進党主席が柯文哲の発言を「ノーコメント」で逃げていることだ。

台湾最大紙である自由時報は社説で「よくぞ、言ってくれた」と賛意を示している。これが大半の台湾人の声であろう。

●存在しない「一国二制度」

台湾を「一国二制度」で併呑しようとする中国の批判は当然だとしても、そもそも柯文哲の発言は波紋を呼ぶほどのものなのだろうか。それを理解するためにはまず中国が堅持する「一国二制度」とは何かを検証しなければならない。

一国とは「中国」のことを指し、二制度とは中国の中で「共産党一党独裁」と「民主主義」が共存する制度である。ここで忘れてはいけないのは、「民主主義」の部分も「中国共産党」の管理を受けなければいけないことだ。

1997年から中国の一部となり、「一国二制度」の下で苛まれる香港はその良い例である。選挙はできても候補者は中国が指定する候補者でなければならず、所謂中国的特色のある「民主主義」しか許されないことだ。分りやすく言えば、中国が香港に与えたのは共産党一党独裁という大きな檻の中にある「民主主義」なのである。それは果たして民主主義と言えるのかと率直な疑問を持って立ち上がったのが、昨年9月に雨傘革命を起こした香港の若者たちだ。

●現実と理想を兼ね備える「二国一制度」

 では、柯文哲の言う「二国一制度」とは何か?二国とは、中国と台湾の紛れもない現状である。この事実を誰よりも強く感じているのが中国であるからこそ、中国はしきりに「台湾は中国の一部である」と宣伝したり、他国にこの主張を強要したりするのだ。しかし本来、自国の領土など宣伝する必要もなければ、他国に認めるように強要する必要もない。日本なら「沖縄は日本の一部である」と執拗に宣伝することも、他国に認めるように強要することもない。

 真実は何よりも強い。柯文哲が「二国」を口にした途端に、中国があたふたしたのは、「王様は裸だ」と言われたからだ。「一つの中国」という衣装は実は存在しないのだと柯文哲が口にしてしまったので、それまで「王様の衣装」を口揃えて賞賛してきた政治屋たちはどうして良いかと右往左往になって狼狽えた。そんな彼らのできることといえば、条件反射的に柯文哲の口をふさごうとすることだけである。

 柯文哲が言う「一制度」とは当然「共産党一党独裁制度」ではなく、「民主主義制度」であろう。「民主主義制度」は「共産主義一党独裁」の対極に位置するので、中国が柯文哲の発言に反発するのは分るが、アメリカまでもが反発するのは理解に苦しむ。もっとも分りにくいのは民進党蔡英文主席の逃げの姿勢である。

●ありもしない「王様の衣装」を褒めちぎる日米

 台湾人の心情を無視し、中国に協力して「裸の王様」政策を推し進めるのは、アメリカと日本である。日米は目の前のパワーゲームのために国是の民主主義を犠牲にしていることを自覚していないのだ。国際秩序は力による支配をすべきではなく、法による支配をすべきだと声高に主張する日米は結局のところ、力による支配を容認している。

 1895年以来、台湾は一度たりとも中国に属されたことはないのにも関わらず、戦後70年間にわたり「一つの中国」に束縛され続けている。この存在するはずもない「一つの中国」を日本が「理解して尊重」し、アメリカが「認知」(acknowledge)している。ありもしない「王様の衣装」を褒めちぎる讒臣(ざんしん)と何ら変わりがないのである。

 しかし、実際、多くの識者は「王様は裸だ」と柯文哲が一喝しても「大人の対応」と称して「一つの中国」の虚像を主張し続けている。この偽善者的態度は、実は日本の国中に蔓延しており、日本国憲法そのものこそがその象徴であろう。

●70年間のエネルギーが蓄積されている言葉

 言葉には大きな力が秘められている。真実を語る言葉なら更に強力になる。だからこそ「二国一制度」と発された途端に「一つの中国」という虚像が一気に萎んだのだ。戦後70年もの間、誰一人として口にできなかったこの「二国一制度」という言葉には70年間のエネルギーが蓄積されている。それを子供のように純真なこころを持つ柯文哲が爆発させたのである。

「二国一制度」には中国にも民主主義を贈る、という強いメッセージが込められている。日米も含めて中国人の幸せを願うすべての国々が「二国一制度」に反対する理由もなかろう。台湾も日米両国も本気でアジアの平和と安全を念じるのならば、何時までも中国の一党独裁国家を容認し続けることはできないはずだ。

 共産党一党独裁を支持する中国人は、一握りの既得利益者に過ぎない。ゆえに国益の観点から日米両国は共産党を支持するよりも圧政に喘ぐ多くの中国人を支持すべきだ。そのもっとも明確なメッセージは、民主主義国家の台湾を支持し、柯文哲の「二国一制度」に呼応して中国の民主化を促すことである。


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