【正論】「友好」から遠い中国の脅威拡散

【正論】「友好」から遠い中国の脅威拡散

2010.1.26 産経新聞

      国際教養大学理事長・学長 中嶋嶺雄 

 鳩山由紀夫首相が主導する民主・社民・国民新党の連立政権下で、日米同盟が大きく揺れている。当面は沖縄の米軍基地問題未解決がその原因であるが、長期的には、中国の経済的・軍事的台頭、さらにその世界的な覇権獲得への衝動にたいして、戦後わが国を支えてきた日米安保体制はどうあるべきか、という重大問題に帰着する。

 この問題を考えるうえでのヒントとして、ここで米中関係の歴史を若干ひもといてみたい。

 ≪友好的だった米中の出会い≫

 中国とアメリカが外交上最初に出会ったのは、アヘン戦争直後1844年に結ばれた望厦(ぼうか)条約の交渉においてだ。この条約は香港のイギリスへの割譲をもたらした南京条約など当時の一連の不平等条約とは違って、中国(清)側に受け入れやすいものであった。

 アメリカも通商上の「門戸開放」を迫ったものの、他の列強諸国のように中国の領土を占拠しようとはしなかった。従って、米中関係は歴史の出発点において友好的だったのである。

 この条約はどこで結ばれたのだろうか。意外に知られていない事実ではあるが、マカオにある観音寺の境内だったのである。この辺りは当時、「望厦」と呼ばれた辺鄙(へんぴ)なところで、列強諸国に気付かれずに交渉するには絶好の場所であった。カジノで有名な現在のマカオ観光ブームでも観音寺を訪れる人は少ないと思うが、そこには条約を調印した石卓が碑文とともに今も残っている。

 ≪新冷戦下の微妙な対立関係へ≫

 二度目の出会いは対中干渉の色合いがより強い。それは1900年、義和団の乱のあとのアメリカを含む列強による歴史的な軍事干渉(北清事変)であった。しかしここでもアメリカは、帝政ロシアが旧満州を席巻しようとして、日露戦争を誘発したような出方はしなかった。

 たとえば、黒竜江(アムール川)沿岸・黒河鎮の対岸ブラゴヴェヒチェンスクで起こったロシアによる中国人大虐殺の隠された悲劇については、たまたまその場に居合わせた石光真清が『曠野の花』(中公文庫)でリアルに記しているが、アメリカはこれらの情勢にも無関係であった。そして辛亥革命後の中華民国の時代、さらに中国内部で中国共産党による革命運動が進む時期でもアメリカは太平洋戦争で中国と共同戦線を張り、「援蒋ルート」への参加にも示されるような緊密な関係となる。そして国共合作下の抗日戦争を強く支援したのであった。

 こうした米中関係が完全な敵対関係になるのは、言うまでもなく第二次大戦後の1950年、アメリカ軍が国連軍として参戦した朝鮮戦争によってであった。北側から義勇軍として参戦した中国人民解放軍と直接戦ったのである。

 つまりこれは、アジアで激化した東西冷戦の結果であり、このことはベトナム戦争でも繰り返された。

 このような米中対決の構図が大きく変化したのがニクソン=キッシンジャー訪中による1971年の米中接近である。こうして宥和と敵対を繰り返した米中関係は最近、とくに2001年の9・11テロ以後は反テロ戦略の当面のパートナーとしての面を相互に利用しつつ、経済的にも金融や貿易面での相互依存関係を強めている。

 だが長期的にみると、中国や北朝鮮が共産党の一党独裁体制を維持し、アジアに依然として「冷戦体制」が残っているかぎり、さまざまな局面で新冷戦下での微妙な対立関係を続けるものと思われる。私がこれまで「米中冷戦」とか「米中新戦争」とか言い続けてきた所以(ゆえん)である。

 ≪正しい針路を決めた岸首相≫

 このように考えれば、中国や北朝鮮の独裁体制が消滅してアジア全域が民主化するまでは、その対抗システムとしての日米同盟は、単にわが国の安全保障のためのみならず、アジア太平洋地域の平和と安全のために不可欠だといえよう。

 今日の世界で中国を軍事的に攻略しようとする国などないのに、ひとり中国のみが軍事的膨張を続けている。経済成長に伴う甚大な環境破壊を地球規模でもたらし、人権や報道の自由を抑圧しネット情報を検閲して「脅威の拡散」を意に介しない巨大国家がわが国の目の前に存在しているのである。

 この台頭する中国の実像を見ずに、「日中友好」といった手垢(てあか)のついたスローガンを掲げて朝貢外交よろしく中国の指導者に擦り寄って媚態(びたい)を示したり、天皇・皇后両陛下のお心の広さを党利党略に利用するなどは、わが国の品格と尊厳を大いに損なうことになる。

 今年は、日米同盟の基礎を築いた日米安全保障条約改定から半世紀となる記念の年である。私も50年前には国会周辺で「安保反対」「岸を倒せ」と叫んでいた一人であるが、この半世紀のわが国の平和と発展を素直に見詰めれば、日米安保体制への道を開いた自民党の岸信介首相の決断がいかに正しかったかは明白である。

 今、日本の選択を誤ってはならない。(なかじま みねお)


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