【李登輝講演録】「台湾と日本百年来の歴史及び今後の関係」

【李登輝講演録】「台湾と日本百年来の歴史及び今後の関係」  

                      二〇〇九年九月八日(於熊本市)
                              
                  李登輝
 
 一、はしがき

 紀伊進先生及び、熊本の台湾友好の皆様、こんばんは!
 只今ご紹介を受けました台湾の李登輝です。

 台湾と日本は同じく西太平洋に位置する島国の国家であり、北から南まで島々が連なっています。両国は最も近い近隣関係にあり、人的交流は勿論のこと、経済関係に至っては非常に密接です。
 しかし、日台両国は共にその外在の物的環境だけを重視し、内在的精神の了解に欠けているといえます。これは今日台湾と日本の文化交流における大きな問題です。私が今日お話しをするテーマ、「台湾と日本百年来の歴史及び今後の関係」は、台湾の立場に立ち、この百年来、両国の歴史発展を中心に、政治と文化の三段階に分けてお話しすることにします。

 先ずは、一八九五年から一九四五年迄です。台湾の日本植民地時代、台日関係は一国家の内部問題に属していました。第二段階は一九四五年から一九九〇年迄で、国民党が統治していた頃の台日関係です。第三段階は一九九〇年から現在に至る迄です。この三段階における様々な変化は台日間の歴史発展にどう影響をもたらしたかをご説明しましよう。

 二、日本統治下の台湾は近代社会に邁進

 日本は台湾を五十年間統治しました。この間、台湾に最も大きな変化をもたらしたのは、何といっても、台湾をして、伝統的な農業社会から近代社会へ邁進させたことです。また、日本は台湾に近代工業資本主義の経営観念を導入しました。台湾製糖株式会社の設立は、台湾の初歩的工業化の発展となり、台湾銀行の設立により、近代金融経済を採り入れました。度量衡と貨幣を統一して、台湾各地の流通を早めました。一九〇八年の縦貫鉄道の開通により、南北の距離は著しく短縮され,嘉南大しゅう(潅漑水路)と日月潭水力発電所の完成は農業生産力を高め、工業化に大きく一歩踏み出す事が出来ました。

 行政面では、全島に統一した政府組織が出来あがり、公平な司法制度が敷かれました。これら有形の建設は台湾人の生活習慣と観念を一新させ、台湾は新しい社会に踏み入ることが出来ました
日本はまた台湾に新しい教育を導入しました。伝統的な私塾は、次々と没落し、台湾人は公学校を通して新しい知識である博物・数学・地理・社会・物理・化学・体育・音楽等を吸収し、徐々に伝統の儒家や科挙の束縛から抜け出すことができました。そして世界の新知識や思潮を理解するようになり、近代的な国民意識が培われました。一九二五年には台北高等学校が成立しました。台北帝国大学は一九二八年に創立され、台湾人は大学に入る機会を得ました。ある者は直接、内地である日本に赴き、大学に進学しました。これによって台湾のエリートはますます増え、台湾の社会の変化は、日を追って速くなりました。

 近代観念が台湾に導入された後、時間を守る、法を遵守する、更に、金融・貨幣・衛生、そして、新型の経営観念が徐々に新台湾人を作り上げていきました。

 三、台湾意識の台頭 

 近代化社会に於ける、近代化観念の影響を受けて、台湾人は新しい教育を受けたため、徐々に世界新思潮と新観念を抱くようになり、台湾人の地位が、日本人に比べて低い事に気がつき、台湾意識が芽生えました。台湾意識が日増しに強くなるに連れて、台湾運命共同体を形成するようになりました。
  
 一九二〇年頃、台湾人は西側の新思潮の影響を受けて、様々な社会団体を作り、議会民主・政党政治・社会主義・共産主義・地方自治・選挙・自決独立など様々な主張をし、日本は台湾人に当然の権利を与えるべきだと要求しました。こうした台湾人の政治運動と主張は、日本の制圧によって成功しませんでしたが、台湾は台湾人の台湾であるという考えが生まれ、台湾人の一致した主張となりました。これが戦後国民党に対抗する理念と力になったのです。
  
 政治的社会運動の力に押されて、台湾文学、台湾美術、台湾歌劇なども、続々と生まれ、台湾人意識を主体とする台湾文化も樹立されました。

 四、戦後、国民党は「日本化」を抹殺し、「中国化」を導入。

 一九四五年国民政府が台湾を接収した後、「日本化抹殺」の政策をとり、台湾人に対し、日本語をしゃべるべからず、日本語を書くべからずを強要しました。日本語の雑誌、映画なども制限して、「日本化」を消し去ると同時に、国民党は中国人の観点による歴史文化を注入し、台湾人を中国人に変えようとしました。
  
 台湾と日本の関係は一九四五年以後、急速に変わり、国民党の反日政策のため、台湾の若者は徐々に日本離れをし、日本を知らなくなりました。日本が台湾を統治した歴史は、教科書には載らず、歴史学者も研究しなくなりました。日本教育を受けた先輩たちはおおっぴらに日本を語らないのは、国民党の目を恐れていたからです。
  
 国民党の大中華思想の教育のもとで、台湾人の気質にも変化が表れました。法の遵守・勤勉、清廉、責任感などの美徳は失われ、反対に中国人の投機性、法を知って法を破る、善悪転倒、賄賂特権の習性は、強くなる一方で、台湾人精神も日を追って失われていきました。
  
 国民党の強力な主導政治体制の下で、国民党が台湾を代表して日本と結ばれた関係は、日本をして国民党の歴史と観点しか知りません。台湾人の歴史や台湾人の主張は知る由もありません。ところが、台湾と日本との経済往来はかなり密接で、両国の友好関係を保っていました。

 
 五、戒厳令体勢と台湾民主運動

 一九四五年十月、国民党政府が台湾を接収した後、特権が横行した為、政治は腐敗、物価は高騰し、社会秩序は混乱を招き、一年半を経ずして、一九四七年二月、二二八事件が起こり、火種は台湾全島に拡がりました。国民党は中国大陸から兵を送り込み、鎮圧にあたり、台湾のエリート、民衆を数万人残殺し、台湾人を恐怖の底に陥れ、台湾人の政治に関わる勇気を喪失させました。
  
 一九四九年五月、国民党政府は台湾に戒厳令を布き、暫くして、中国大陸の内戦に敗れて台湾に退いて来ました。そして自らの政権を堅固なものにするため、多数の反対分子を逮捕しました。これが所謂一九五〇年来の、「白色テロ」と呼ばれるものです。国民党は更に「反攻大陸」を国策とし、独裁体制を作り上げました。そして戒厳令は三十八年間も続き、一九八七年になり、やっと解除されました。これは前代未聞の事であり、台湾人が如何に言論思想や結社の自由を剥奪されていたか、不安と恐怖の中での生活だったか、皆さんも想像できるでしょう。
  
 戒厳体制を打ち破るため、台湾のエリートたちは長い時間をかけ、多数の犠牲者を出し、倒れてもやまず、絶えず奮闘した結果、国民党も遂に譲歩せざるを得ませんでした。私、李登輝が台湾人として、初めての總統に就任してからの十二年間は、何とかして台湾の人民の期待に沿うことが出来るよう、「民主化」と「台湾本土化」の政策を実行しました。先ずは、いわゆる万年国会を解散、終結させ、中央民意代表(国会議員)を全面改選しました。さらに、一九九六年には歴史上初めての人民による總統直接選挙を実行しました。その結果、「主権在民」の観念を徐々定着させる事ができ、自由民主の社会が打ち立てられ、台湾人民は国民党の統制から離れて、台湾主体の観念をもつようになりました。
 

 六、一九九〇年後は台湾に新国家建立の潮流現る

 下から上へつき上げる民主の力こそ台湾を変える原動力です。この力は、台湾内部の政治構造を変えたばかりでなく、台湾と中国の関係も変えました。過去の内戦型対立状態から国と国の関係に変わりました。台湾は平等互恵の立場で、中国と平和互恵の関係を樹立したいと思っております。
  
 このような力の源は、実は日本統治時代に遡ることができるのです。台湾意識が芽生えた後、台湾人はすでに自決独立の主張を提出しました。戦後、台湾人が二二八事件の災難に遭った後、この独立運動が始まり、一九九〇年代になり、国内と海外の力が交わって、新国家建設の原動力となりました。
  
 多くの日本人が、中国の宣伝や脅しに乗って、「台湾は中国の一部であり、台湾は独立の条件が整っていない」と思っておられるようです。しかし、一度台湾に来られて、台湾人の考えを聞き、活気溢れる台湾の社会を見て、、台湾の自由民主を感じた方ならば、台湾人が何故、新国家を建設するのか、自ずと分かっていただけると思います。

 台湾は海峡を挟んで中国と向き合っていますが、それでも「台湾正名」運動(台湾の国名を正しくする)、「国民投票による憲法制定」、「新国家建設の主張」などを、敢えて唱える活力を有しています。これらは台湾精神から来ているのです。台湾人は、質実剛健・実践能力・勇敢・挑戦的天性の気質に加えて、日本時代に養われた法を守る、責任を負う、仕事を忠実に行うなどの精神を備えています。これが即ち台湾人の長所であり、窮すればするほど強くなり、権威統治のもとでも、台湾人としての主体意識を確立することの出来る最高の精神なのです。

 七、日本が台湾新国家建設の動力を理解してこそ、両国の未来関係が構築できる

 日本の若い世代は安定した社会で育ちました。外敵はなく、内乱もありません。生活は豊かで保障されています。その反面、危機意識がなく、改革意識も失われているようです。中国に対しては何も言えず,不公平や不義に対して、胸を張って正す事が出来ないようです。昔の日本人が持っていた公に尽くし、責任を負い、忠誠を尽くして職を守る日本精神はどこへ消えてしまったのでしょう。これは日本の社会の最大危機です。
  
 台湾はこの百年、日本統治時代と国民党時代の歴史を経てきた訳ですが、この間、台湾人の主張は圧迫され続け、一度として台湾人が主人公となったことはありません。しかし、台湾人が長期にわたって奮闘、犠牲を払った結果、一九九〇年以後、台湾は台湾の主体性観念を持つことが社会の主流となりました。日本の方には、この勢力が台湾の社会を変える力であることを認識していただきたいと思います。

 両国間の将来は台湾と日本の平等互恵関係の上に成り立ちます。台湾を中国の一部であると見てはなりません。日本と台湾は生命共同体なのです。即ち台湾なくして、日本はありえない。と同様に、台湾も日本なくしては存在しえないことを、じっくりと考えていただきたいのです。
  
 最後に、台湾と日本の両国の国民が、この百年来の台湾歴史の発展をよく理解し、相互理解の上に立って、両国が新時代の未来関係に邁進することを心より願いつつ、本日の私のお話を終わりたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。


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