【文部科学省の大罪】歴史教科書検定の真相!

【文部科学省の大罪】歴史教科書検定の真相!
 

 歴史を捏造して反日・自虐史観の教科書をつくらせた文部科学省の大罪

【メルマガ軍事情報】より転載

                日本兵法研究会 会長 家村和幸

 文部科学省に暗躍する「反日国家公務員」の跳梁跋扈を再び許し
てはならない!正しい歴史教育を取り戻し、子供たちに祖国日本への誇りと
自信を取り戻すためにも、今年の教科書検定は、国民が厳しい目でこれを監視
しなければならないだろう。・・・

 平成二十五年四月十日の衆院予算委員会で、下村文部科学相は現在の
教科書検定制度について見直しを検討すると表明し、安倍首相も同様の
認識を示した。
そして、同年十一月十五日の記者会見で、下村文部科学相は小中高校の教科
書検定基準と教科書採択を見直し、「愛国心を育む」などとした教育基本法
の趣旨を徹底するための「教科書改革実行プラン」を発表した。
今後、文部科学省はこのプランに沿って、必要な制度改正を行っていく
ことになる。

 平成十八年、第一次安倍内閣の下で教育基本法が改正され、国と郷土
を愛することを教育目標とし、これを受けて学習指導要領も「我が国
の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」とされた。
しかし、民主党政権下の平成二十三年に行われた教科書検定において
文科省はこれらを全く無視し、『日本国民としての意識だけでなく、
地球に生きる人間(地球市民)としての意識を持つことが求められて
(東京書籍)』いることを強調し、反日・自虐史観に貫かれた歴史教科
書をそのまま合格させた。
その一方で、教育基本法や学習指導要領を遵守し、歴史の主体を明確に
「国家・国民」とし、全編を通じて歴史を「国史」として捉えて記述
された自由社や育鵬社の歴史教科書には大幅な書き換えを命じた。

 こうした文科省による歴史教科書の反日・自虐化という「事実」を
直視し、再びこのような国家と国民に対する裏切りを許さないため、
本稿では、当時の文科省の検定官から最も目の敵にされた自由社版の
歴史教科書について、申請本における記述が検定によりどのように
修正・削除されたかの一例を紹介する。

 まず、中世から近世についてであるが、文科省の検定官は自由社が
提出した申請本に対し、元軍司令官を震え上がらせた鎌倉武士の勇猛
果敢な戦いぶりや、秀吉にバテレン追放令を余儀なくさせたキリスト
教宣教師の煽動による神社や寺の破壊活動、さらに秀吉による朝鮮
出兵の背景となったスペインの中国大陸征服計画などの史実を削除させた。

 自由社の申請本では、元軍の日本占領を阻止した武士たちの戦い
ぶりを「1274(文永11)年10月、元・高麗連合軍が3万余り
の軍勢で、対馬と壱岐に押し寄せたとき、およそ200人の武士は、
敵に後ろをみせず戦い、全員討死にしました。(改行)元軍の大将、
忻都(キント)は、その戦いぶりをみて、『日本の兵士は、大軍を
前に死ぬことが分かっていても、戦いを挑んでくる。私はいろいろ
な国と戦ってきたが、こんなすごい敵に出会ったことはない』と
驚きました。」と記述していた。
しかし、検定官は「(改行)」以降の敵将による日本の武士に対する
絶賛に近い評価を「全て削除」させた。

 また、秀吉がバテレン追放令をだした原因について、申請本では、
「日本は聖徳太子以来、仏教も日本の神々もともにおがむことが
認められる、宗教的に寛容な国柄でした。そこに初めて、他の宗教との
共存を許さない、(傍点は筆者、以下同じ)キリスト教という一神教の
思想が入ってきたのです。(改行)秀吉の追放令にあるように、改宗さ
せた信者に神社や寺を破壊させ、仏像・仏具・経典を焼き、僧侶を侮辱
するなどの行き過ぎた行為がすでにありました。右近(筆者注、秀吉配下
のキリシタン大名・高山右近)らの考えを認めてしまうと、日本はいずれ
はキリスト教だけの国になってしまうでしょう。それは実質上、日本が
ヨーロッパの国に支配されることにもなります。」と記述していたが、
検定官はこの文章前半の傍点部分を削除させるとともに、「(改行)」
以降を「日本の文化に無理解なキリスト教の宣教師の活動を認めることは、
古い信仰と新しい外来宗教が融合しながら共存させてきた日本の宗教的
伝統に大きな衝撃を与えることになります。キリスト教に改宗した信者が、
神社や寺を破壊し、仏像・仏具・経典を焼き、僧侶を侮辱するなどの
行きすぎた行為もすでに起こっていました。」とさせ、神社仏閣の破壊
活動へのキリスト教宣教師の関与を抹消させた。しかし、実際には近世の
日本を襲った最大の脅威は、ヨーロッパ人の世界進出であり、その尖兵と
なったのが、当時のキリスト教宣教師だったのである。

 次に近代史について、紹介しよう。自由社の歴史教科書に対する検定
意見の七割以上は近代史、とりわけ韓国併合、満州事変及び支那事変
(日中戦争)に集中しており、その中で検定官は「近隣諸国条項」に則り、
日本を侵略国とする歴史観への書き換えを強要した。

 申請本では、「日露戦争後、日本は韓国に韓国統監府を置いて近代化を
進めていった。1910(明治43)年、日本は武力を背景に韓国内の反対
をおさえて、併合を断行した(韓国併合)。欧米列強は、イギリスのインド、
フランスのインドシナ、アメリカのフィリピンなど、自国の植民地支配を
日本が承認するのと引きかえに、日本の韓国併合を承認した。」としてい
たが、検定官はこれを「日露戦争後、日本は韓国統監府を置いて保護国と
し、近代化を進めていった。欧米列強は、ロシアの北満州・蒙古、イギリ
スのインド、フランスのインドシナ、アメリカのフィリピンなど、自国の
植民地支配を日本が承認するのと引きかえに、日本による韓国の保護国化
を承認した。1910(明治43)年、日本は武力を背景に韓国内の反対
をおさえて、併合を断行した(韓国併合)。」として「併合」と「承認」
の順序を逆転させ、欧米諸国が「併合」を承認していないとも読めるよう
にさせた。

 また、申請本では、「併合後におかれた朝鮮総督府は朝鮮で鉄道・灌漑
の施設をつくるなどの開発を行い、土地調査を実施した。また、学校も
開設し、日本語教育とともに、ハングル文字を導入した教育を行った。」
としていたが、検定官はこの文章の前に「植民地政策の一環として、」と
いう不要な文言を、後には「これらの近代化によって、それまでの耕作地
から追われた農民もすくなくなく、また、その他にも朝鮮の伝統を無視し
たさまざまな同化政策を進めたので、朝鮮の人々は日本への反感をさらに
深めた。」という史実とは全く逆のでたらめな文章を加えさせた。
このように、検定官は日本による朝鮮の「合邦」を、欧米列強による東南
アジアでの「植民統治」と同一視させて、日韓併合の素晴らしい側面を
一切否定させようとしたのである。

 満州事変では、張作霖の爆殺を関東軍によるものと明記させ、リットン
調査団に「日本の行動を中国側の破壊活動に対する自衛行為と認める者も
いた」という記述を削除させた。

 こうした史実の捏造が最も甚だしいのが、支那事変勃発の経緯である。
史実では、支那事変は、「盧溝橋事件」の現地解決から一ヵ月後に起きた
「上海事変」に始まったのであるが、検定官はあくまでも支那事変の発端
を「盧溝橋事件」であるとして、申請本から「上海事変」という名称と
事変当初の日支両軍の兵力差を削除させた。

 申請本の記述は、「1937(昭和12)年7月7日夜、北京郊外の
盧溝橋で、演習していた日本軍に向けて何者かが発砲する事件がおき、
翌日には、中国軍と戦闘状態になった(盧溝橋事件)。事件そのものは
小規模で、現地解決がはかられた。(改行)しかし、1か月後には、
上海で、二人の日本人将兵が射殺される事件がおこり、日中戦争(当時
は「支那事変」)の発端となった。当時、上海には、英米など各国の租界
がもうけられ、居留民保護のため、各国とも数千人の兵力が常駐していた。
日本は、海軍陸戦隊が駐留していた。(改行)8月13日、12万人の
中国軍が4000人の日本海軍陸戦隊をおそい、日本人居住区を包囲した
(上海事変)。日本は3万人の在留日本人保護のため、陸軍を逐次派遣し
たが、戦意旺盛で近代化された蒋介石の軍隊に苦戦し、3か月後に平定
するまでに、4万の死傷者を出した。」というように、史実に根ざした
数値的な根拠を明示したものであった。

 しかし、検定官はこれを「いっぽう、日本軍は満州国の維持や資源確保
のために、隣接する華北地方に親日政権をつくるなどして、中国側との
緊張が高まった。また、日本は、義和団事件のあと、他の列強諸国と同様に
中国と結んだ条約によって、北京周辺に5000人の軍隊を駐屯させていた。
(改行)1937(昭和12)年7月7日夜,北京郊外の盧溝橋で、演習し
ていた日本軍に向けて何者かが発砲する事件がおき、翌日には、中国軍と
戦闘状態になった(盧溝橋事件)。事件そのものは小規模で、現地解決が
はかられたが、日本は派兵を決定し、中国側も動員令を発した。その後も
戦闘は絶えず、翌月には、外国の権益が集中し各国の租界がある上海で、
二人の日本人将兵が射殺される事件がおこり、中国軍が日本人居住区を
包囲した。日本は日本人保護のため派兵した。こうして日中戦争(日本は
当時「支那事変」とよんだ)が始まり、拡大した。」に書き換えさせ、
あくまで「盧溝橋事件」の現地解決を望んだ日本を、反対にこの「小規模な」
事件をきっかけに支那への派兵を決定するような侵略国へと仕立て上げたの
である。

 実際には当時、日支間の戦争拡大を望んでいたのはソ連のスターリン
であり、そしてコミンテルンの指針で動いていたのが支那であったが、
文科省の検定官はこうした史実の一切を隠蔽して、日本を悪逆非道の国に
する教科書づくりに努めたのである。

 これが、「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を
育てる」という学習指導要領を具現するための最初の教科書検定の偽らざ
る「真相」である。このような、反日・自虐的な歴史観に染まりきった
文部科学省の是正こそが、正しい教科書検定制度、さらには教育改革の
第一歩ではないだろうか。

(おわり)

【初出:二宮報徳会機関紙「ほうとく」平成26年初春号】

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http://okigunnji.com/1tan/lc/toiawase.html

● 著者略歴

家村和幸 (いえむら かずゆき)

1961年神奈川県生まれ。元陸上自衛官(二等陸佐)。

昭和36年神奈川県生まれ。聖光学院高等学校卒業後、昭和55年、二等陸士で入隊、第10普通科連隊にて陸士長まで小銃手として奉職。昭和57年、防衛大学校に入学、国際関係論を専攻。卒業後は第72戦車連隊にて戦車小隊長、情報幹部、運用訓練幹部を拝命。
その後、指揮幕僚課程、中部方面総監部兵站幕僚、戦車中隊長、陸上幕僚監部留学担当幕僚、第6偵察隊長、幹部学校選抜試験班長、同校戦術教官、研究本部教育訓練担当研究員を歴任し、平成22年10月退官。

現在、日本兵法研究会会長。

http://heiho-ken.sakura.ne.jp/

著書に

『真実の日本戦史』
⇒ http://tinyurl.com/3mlvdje

『名将に学ぶ 世界の戦術』
⇒ http://tinyurl.com/3fvjmab

『真実の「日本戦史」戦国武将編』
⇒ http://tinyurl.com/27nvd65

『闘戦経(とうせんきょう)─武士道精神の原点を読み解く─』
⇒ http://tinyurl.com/6s4cgvv

『兵法の天才 楠木正成を読む (河陽兵庫之記・現代語訳) 』
⇒ http://123direct.info/tracking/cr/9pxu56HK/149716/11484494

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【第16回 軍事評論家・佐藤守の国防講座】

国防を語らずして、日本を語るなかれ!

 軍事評論家としてブログやチャンネル桜などで活躍中の当会顧問・佐藤守が
「国防」を熱く語る連続シリーズの十六回目です。

 外務省が沖縄返還に関する日米間の外交文書を一般公開したことにより、
東西冷戦が緊迫化した昭和30年代、対共産圏の防波堤・沖縄の返還を
かたくなに拒否する米国に対し、岸信介首相が執念を燃やして米国との会談
に臨んでいたことが明らかになりました。その後、中ソ対立が深刻化し、
ニクソン大統領が訪中した昭和47年、ようやく沖縄返還が実現しましたが、
我が国の国防上、重大な問題点が置き去りにされたままでした。

 沖縄返還後の南西諸島防空は、航空自衛隊の態勢整備が間に合わないた
め、約一年は米空軍が担当し、領空侵犯機には撃墜を前提とした「交戦規範」
で対処していましたが、日本政府は対外的に自衛隊の領空侵犯措置と同じ
「警察行動」であると偽りの説明をしていたのです。

 今回の国防講座では、日本の防空についての第一人者である佐藤顧問に、
返還交渉当時、戦闘機パイロットとして航空自衛隊の第一線で活躍し、
返還後は南西航空混成団司令を務めた体験などを交えて、こうした問題に
ついて「新たな視点」から分かり易く解説していただきます。

 さらに、中国による尖閣諸島上空への防空識別圏設定や、米軍普天間飛行場
の辺野古移設が争点となる名護市長選などで混迷を極めつつある沖縄の現状と
将来、そして、我が国の防空体制のあるべき姿などについてもお話いただきます。

 脱線転覆を交え、大人気の佐藤節が唸ります。どうぞご期待下さい。

演 題:
防空識別圏問題と南西諸島の防空 〜沖縄返還時の外交文書公開に思う〜

日 時:
平成26年1月25日(土)12:30開場、13:00開演(15:30終了予定)

場 所:
 靖国会館 2階 偕行の間(東西線、半蔵門線、都営新宿線:九段下駅1番出口)

講 師:佐藤 守(日本兵法研究会顧問、元南西航空混成団司令・空将)

参加費:1,000円 (会員は500円、高校生以下無料)

お申込:
 MAIL info@heiho-ken.sakura.ne.jp
 FAX 03-3389-6278
 件名「国防講座」にてご連絡ください。なお事前申込みがなくても当日受付けます。