菊地 英宏
参議院選挙は安倍政権の勝利で終わった。これをもって、長期政権となったと多くの諸兄が胸をなでおろしたことと思う。
しかし、戦いはこれからだ。問題は山積みである。
外交安保問題、原発問題、少子化問題、財政問題、TPP、枚挙にいとまがない。
しかし、どれから手を付けるかを誤れば、簡単に政権は崩壊する。安堵は禁物だ。マスコミがマッチポンプをし、
諸外国が干渉し、国民が動揺すれば、何が起こるかわからない。
選挙結果では、安倍政権が参議院で2/3を超えなかったことをもって、憲法改正は難しくなったと考える人たちも
多いと察するが、今から、筆者は敢えて、安倍政権が9条に立ち向かわなければならない理由を浮き彫りにする。
筆者は敢えて9条を窮状と評するが、その言葉通り、日本の問題、悪の中枢は全て9条に通じている。
憲法を引用する。
第九条 戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は
武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
�前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
以上を素直に読むとどうだろうか。自衛隊の存在は憲法ではいかなる位置づけなのか。
はっきり書こう。この憲法は日本だけが戦争を始める悪い国だと規定し、日本は軍隊を持って戦争してはいけないと
言っているのだ。これ以上若者から、夢、勇気、誇りを奪う憲法があるだろうか。
私はこの憲法の存在は日本にとって恥辱だと思っている。
若者から、夢や希望や、勇気、そして誇りを奪う憲法ならそんなものは一片の紙くずの価値もない。
一刻も早くお払い箱にする必要がある。
そして憲法で規定するのは、
「日本国は主権を守るため国軍を有する」
「日本国は侵略を目的として軍隊を動かしてはならない」
の二点で十分である。
ここまで、説明しても諸兄の中には憲法は、だるまの目だ。最後に手を付ければよい。
今はできることをしようと考えている方々がいるだろう。
それは、間違いである。9条は日本の癌だ。癌を取り除かなければあらゆる細胞に転移を開始する。
そして、枝葉末節の治療に手間取れば、癌の転移は致命的になり、命を落とす。
9条は人々のマインドに大きな負の力を与えている。9条は歴史問題とも直結し、言うまでもなく、
日本を犯罪者の国家と断罪する役割を負っている。
このため、9条を「進歩的」と考える人物は間違いなく、自虐史観をもっている。
このため、実は少子化の根も9条にある。
明治期の日本は今よりとても貧しかった。子育ても、支援されてするのではなく、各家庭が努力で行っていた。
ここまで書いても筆者は一部の統計論者のようにしたり顔で、少子化は贅沢国家の贅沢病ですなどと
断じる気はさらさらない。
ただ、明治期の日本と、安倍政権直前までの現代日本で決定的に異なっていることがある。
それは、国家と、国民に共有する夢があったかということである。明治期の日本国民は、国家と夢を共有し、
その夢に向かって日々、一歩一歩前進し、昨日よりも今日は良く、今日よりも明日は良くなると強く強く信じていた。
このため、生まれてくる子供たちはきっと、私たちよりほんの少しでも笑顔で幸せで、
素晴らしい人生を送れるに違いないと信じることができたのだ。
翻って今はどうか、希望、夢、誇り、全てがとは言わないが、多くが失われてしまった。
指導者はありとあらゆることをしなければならないが、筆者が敢えて重要なものを一つ挙げるとするならば、
それは国民に「希望」を与えることである。
それができない理由は何か。それは窮状(9条)の為である。この悪が、指し示す日本国家悪玉論こそが
日本を根本的に揺さぶっている。
勿論、外交安全保障、原発、その他の問題も重要である。
しかし、それぞれ、保守の意見が割れるのである。そして、その割れる原因を探っていくと9条に行きつく。
例えば原発、筆者は工学系出身の為、技術的議論もできるが敢えてそれは書かない。
百歩譲って原子力で人命が失われたとき、それでも我々は原子力を推進すべきか。
断固として推進すべきである。それは、日本が核武装するにあたって必要不可欠なものであり、
電力はお釣りで来るものであり、それを貰わないのはただの、愚か者であるからだ。
現状でも日本は潜在的核武装の能力を有している。しかし、それを活かすためには、再処理工場を改造し、
MOXをやめ、プルトニウム単独での抽出を可能とすることが不可欠である。
原子炉を使わないタイプの爆弾、ウラン型はどうか。これはNPT体制がある限り、
日本が核武装を宣言すると同時にウラン235の輸入がストップするため、濃縮は不可能である。
日本が一流の国家たらんと欲すれば、核武装は自分の国を自分の力で守るために必須なものだ。
あらゆる犠牲を払ってもこれは実現すべきことである。
今こそ、日露戦争時、乃木将軍が勇気をもって行った旅順要塞への突撃を実施しなければならない。
ロシア側の記録によれば白襷隊の玉砕と引き換えに日本は旅順要塞のロシア兵に多大な精神的敗北感を与えたのであり、
日本が再びZ旗を掲げるならば、いかなる犠牲をも乗り越える強い意志を持ってでの核武装を実施すること以外ありえず、
このことに対する後退は国家として許されない。
我々は安っぽいヒューマニズムが技術の後退を囁いても、それが間違いであることを潜在的に知っている。
例えば、自動車事故では原子力災害よりも遥かに多くの人が亡くなっているが、だれも車をやめろとは言わない。
それはあまりに露骨に真の目的「日本国家の衰退」を指しているため、邪な者たちも躊躇するからだ。
しかし、原子力という国の屋台骨に関わりながら、恩恵を実感できる機会が少ないものについては真の目的を隠して、
脱原発をヒューマニズムで偽装できるため、日本国家の衰退を画策できるのだ。
そして、それらを画策している人物の背後関係を探ると必ず、9条に突き当たる。
9条が言うところの二度と日本に力を持たせないという巨大な悪意の小さな結実が脱原発なのだ。
ここで、日本を変える戦略について述べる。
狙撃はあらゆる軍事作戦の基本である。はるか遠方から、相手の重要なものの頭を吹き飛ばす。狙い撃ちこそが、
そしてそれを使える状態に持って行くことが戦略の要諦であると言える。
9条はあらゆる癌細胞を組織している。いわば、敵の将官である。であれば、
この局面に打ち勝つためにはあらゆる努力を払って9条の頭を吹き飛ばさなければならない。
今こそ、ミッドウェーで敵将スプルーアンスが日本の空母部隊を狙い撃ちしたように、9条の首を挙げなければならない。
英語に狙撃の心得として、「aim small, miss small」ということばがある。意味は簡単で、的を小さくよく狙えば、
ミスは少ないという意味である。
今までの保守は、左翼という大きな人形のどこに弾を当てても良いと思って戦っていた。
だから、命中すらしないことも多かったし、当たっても左翼の被害は致命的ではなかった。
これからは、保守は、この思想戦争に戦略的に勝たなければならない。
そのために、必要なのは「aim small, miss small」の発想である。
同志諸兄、敵の心臓を、頭を狙い撃とう。敵の最大の弱点であり、もっとも重要な司令塔は9条である。
これから、靖国神社の季節に入る。英霊に応えるためにも、逞しく、したたかに、日本の敵を狙い撃ちして行こう。