【戦う日本人の兵法】闘戦経(3)

【戦う日本人の兵法】闘戦経(3) 〜兵の道にある者は能く戦うのみ〜

              家村和幸
   軍事情報別冊より転載

              

▼詭譎と真鋭

漢の文は詭譎有り、倭の教は真鋭を説く。詭ならんか詭や。鋭なるかな鋭や。狐を以て
狗を捕へんか、狗を以て狐を捕へんか。
(闘戦経 第八章)

 シナの諸文献によると、全て相手を偽り欺くのがよいとしている。これは、代々易姓
革命が行われ、度重なる戦乱に見舞われ、支配者が変わる毎にその帰趨従属を巧みに変
えて時流に便乗してきたシナ人の民族性によるものである。

 古来シナ人の日常生活は変転常なく、処世保身の術に慣れ、用心深く陰険で、しかも
修辞に富み、大袈裟な形容を好み、口先だけで巧く言うことに長じ、令色を事としてき
た。家族生活においても、一家内に多数の妻妾が同居し、実子庶子が群居生活するので
利害感情の衝突や嫉妬による足の引っ張り合いが絶えなかった。しかも外面上は礼譲恭
順をつくろい、本心を隠して腹を打ち明けず、自己の面目と利益と名声を保つことに
汲々としてきた。これらが習性となり、相手を偽り欺くことがシナ人の性情となった。

 兵法においても、孫子が「兵は詭道なり」と言い、魏武注に「兵に常形なし詭詐を以
て道となす」とあるように、権謀術数を多用して表裏をかけ、敵を欺き偽って勝つこと
を軍の常套手段としている。

 日本の教えによると、真と鋭を以て正々堂々と破邪顕正の実をあげる「まこと」を尊
ぶべしと説く。「まこと」は人の心の最も純粋なもので、万物に通じ、和し、育てるも
のである。「まこと」は「誠」であり、「真事」であり、「真言」であるとともに、言
事一致、即ち「言う事を必ず行うこと」である。「まこと」により、道理の真、道徳の
善、芸術の美は一体となり、この真によって、知・仁・勇の三徳も一に帰する。真を以
てすれば、真の理に適い、真の備えに拠り、真の力を揮い、真の時をとらえて必ず成
る。

 鋭とは鋒尖のするどく、速いことである。孫子には「鋭卒をば攻むるなかれ」「鋭は
精鋭なり」とあるが、日本においてはさらに優れた絶対的な鋭さを示す「真鋭」でなけ
ればならない。この至高無比の真鋭こそが我々日本人の『武』の本性である。

 偽って勝つのがよいというのは偽りであり、兵道は欺くことであると言うこと自体が
人を欺いている。偽り欺くことは天の理に合せず、勝利を収める手段にはならない。

鋭いのがよいというのは鋭いことである。日本の武の精神である真鋭こそが、敵を制す
るの元である。

狐を使って詭譎妖怪変化の「術」でたぶらかして犬を捕えようとするようなシナの兵法
がよいか、それとも真正率直な犬の「実力」を使って直ちに狐を捕えるような日本の兵
法がよいか。もちろん『天地を貫く至誠真鋭』を最も尊び、常に正々堂々と闘う日本の
兵法のほうが優れていることは言うまでもない。

▼正々堂々とよく戦う

兵の道にある者は能く戦うのみ。
(闘戦経 第九章)

 兵の道における必勝の要訣は、真鋭を以て正々堂々とよく戦うことである。

権謀術数をめぐらし、策を弄して敵を偽り欺いたところで、兵の道が尽くされることは
ない。兵道とは「平道」であり、この世に真の平和をもたらす道である。平和とは、
凸凹をたたき和らげて平らにすることである。これを実行する力が「兵力」である。

暴徒を鎮圧し、まつろわぬ集団を従わせるには、優れた兵器で武装した真鋭なる兵が、
その実力に適ったはたらきを与えられ、手際を強く正しくさばいて闘うことにより、
一気に勝利を得なければならない。

 このためにも、軍隊は平素から心身共に健全なる兵を徴してこれに訓練を施し(練
兵)、兵器や糧食を備蓄するとともに戦略・戦術上の必要性に応じて陣地や要塞を構築
し(造兵)、情報を収集して周到な作戦を計画(用兵)して、いざ開戦となれば持てる
力を遺憾なく発揮できるようにしておくのである。

 戦うにあたっては、木目や筋目に沿って木や竹を割るように勝つべき理と機を知り、
これに乗じて破竹の勢いを持って一心不乱に進み、正しく、速やかに勝つことが重要で
ある。

このように兵の道にある者は、運に頼らず、よく備え、理に則り、正道を踏み、堂々と
しかも一意専心よく戦いさえすればよい。そのためにも、日ごろから心身を鍛錬し、
己の勤めに力を尽くして励み、難行苦行を積み重ねることにより人より優れ、敵に勝る
実力を貯え、その場に臨んでよくこれを活用し得るようにしておかなければならない。

つまり、真の武を骨と化して識っておくことが重要なのである。

▼懼れと覚悟

孫子十三篇、懼の字を免れざるなり。
(闘戦経 第十三章)

孫子は十三篇、すなわち始計、作戦、謀攻、軍形、兵勢、虚実、軍争、九変、行軍、地
形、九地、火攻、用間を通じて戦争を論策し、兵家の道を残すところなく説くものとし
て推奨されている。

不戦、政治外交優先、万全主義を特徴として、第一に「兵は国の大事」、第二に「やむ
を得ないときでも政治的、外交的決着を図れ」、第三に「実力行使では最小限の損害で
勝利することが肝要」と強調する孫子であるが、終始を通じて「実を避けて虚を撃つ」
等の計謀を説く逃避的な考えであり、結局は敵を懼れる考えから免れることができな
い。

懼れの念は、危険、苦痛、死といった危害がその身に迫るのを覚えたとき本能的に生じ
る予感である。これに対する覚悟が無ければ、あわてふためき、逃げ隠れ、卑怯未練の
ふるまいをする。孫子の「兵は詭道なり」も、その根源はここにある。

それに対し、身に迫る危害に対する覚悟があれば、懼れの念を懐くことがない。この覚
悟は、危害を克服する自信と実力によって芽生え、殉じて悔いなき大義や理想により確
固たるものになる。実際に危害を排除し、敵を撃ち砕くことができる実力を有していれ
ば、あらゆる禍患を跳ね返す必勝の信念をもって懼れの念は一擲される。

圧倒的に優勢な敵と相対し、莫大な危害が身に降りかかっても、大義に徹し、崇高な理
想の達成という希望に導かれている場合、人は懼れの念を懐かない。たとえ自分が死ん
でも同胞と祖国を護るためであれば、それは最高の名誉であり、我が霊は常世の国に
栄えることを確信するからである。

文永の役において、元・高麗軍が対馬の小茂田浜に大挙殺到して上陸したとの急報を受
けた守護代・宗助国は、自ら八十余騎を率いて千余の敵を迎撃し、壮烈な玉砕を遂げ
た。この際、宗助国以下一族郎党は、群がる敵軍の中、これぞ男児の本懐とばかりに、
顔に決死の微笑を浮かべて切り込んでいったと伝えられている。

大義に殉ずる誠の祖国愛、民族愛があれば、死地に臨んで懼れることなく、人生意気に
感じて喜び勇んで進むのである。剛毅大胆の真勇は、『武』を骨と化して識る人だけに
具わる高い徳である。

▼最期まで意気盛んであれ

気なるものは容を得て生じ、容を亡って存す。草枯るるも猶ほ疾を癒す。四体未だ破れ
ずして心先ず衰ふるは、天地の則に非ざるなり。
(闘戦経 第十四章)

 人は体が形成されたならば、生誕し、活動する。こうした生動は、気が体を従わせる
ことにより成される。気とは、目に見えない心のはたらきである。

地上のあらゆる存在も、まず目に見える容(かたち)を得て、気が容の中に宿り、万物
が顕現してその機能を全うする。この気は、容が亡くなっても存在しつづける。気は永
久であり、容は一時的である。

薬草は枯れてもその精分が残って病気を癒やす。これは生きている間に充分な精分を水
とともに貯えてきたからである。これこそが薬草の気である。人もこの世に生を享けて
気と体を得たならば、剛毅を旨とし、生涯をかけて心を磨き、体を鍛え、技を練ること
により自己を高め、人々を愛して生きがいのある充実した生き方をすべきである。

万物の霊長たる人間ほど偉大な気を有するものは他に存在しない。然るに荘子が「哀し
きは心の死するより哀しきはなく、身の死するはこれに次ぐ」と説いているように、身
体がまだ生きているのに既に心が衰え、生きがいも死にがいも無いような生ける屍をさ
らすのは、霊魂不滅の教えに反するものである。

戦においても、平家の軍が富士川の水鳥の羽音を敵兵の喊声と聞き違えて総退却したよ
うに、古来戦わずして敗れた軍の多くは、先ず将兵の気が衰え、あるいは相手に屈して
いた。これらは天地の則に違うものである。

 戦場にあっては、湊川における楠公や大坂城下の真田幸村の如く、四体破れるといえ
ども最期まで意気盛んでなければならない。毛利元就は前後に敵を受けて莞爾として笑
いながら前の敵を破ったという。気はこのようにあらねばならない。

(以下次号)


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