【戦う日本人の兵法】闘戦経(最終回)〜なぜ、今『闘戦経』なのか〜

【戦う日本人の兵法】闘戦経(最終回)〜なぜ、今『闘戦経』なのか〜

軍事情報別冊より転載

                            家村和幸

▽ごあいさつ

 日本兵法研究会の家村です。

 8月26日以来、闘戦経全52章のうち、主に「日本人としての戦い方」に重点を
置いたものだけを抜粋して8回に分けて解説するとともに、その後は「孫子」と「闘戦
経」を表裏で骨と化すまで学び、その教えを実戦場裏で遺憾なく発揮してきた「兵法の
天才」楠木正成について2回に分けて紹介いたしました。

 いよいよ、この連載記事「戦う日本人の兵法 闘戦経」も、今回をもちまして「最終
回」とさせていただきます。

 「清く直く明けき心」を根本としつつ「剛毅」と「真鋭」を説く『闘戦経』の教えこ
そ、シナ文明や西欧文明の荒波に曝されて混迷を極めながら生きる現代の日本人に、
今、最も求められる「基本精神」である!・・・この信念をもって、2ヵ月半にわたり
長々と稚拙な文章を書き連ねてまいりました。

 偉大なる先人・大江匡房卿が九百年の時空を経て、今日を生きる我々子孫たちに伝え
ようとした「日本とは何か、日本人とは何か」という問いかけへの答え、それは『文武
一元』の教えでした。

 ごく簡単に言えば、『強い力』と『正しい心』を兼ね備えた者にしか、真の平和を築
くことはできない、ということであり、人類でこの「真理」に最も近いところに位置し
てきたのが我々日本人なのだということです。

 これらのことを不十分ながらも、こうして読者の皆様にご紹介する機会を得ることが
できたことは、兵法研究家として、また予備役軍人として、これにまさる喜びはありま
せん。

 最後までご愛読いただき、誠にありがとうございました。

(平成23年11月6日記す)

▼日本人の絶対的な平等の精神「天の分け御霊」

「平和は単なる武力紛争の不在ではなく、正義の実現である。神の恵み、賜物であり、
その実現を妨げているのは偽りである。」(ローマ教皇ベネディクト十六世)

人類の有史以来の歴史は、叡智にして善なるもの(=正義)と、狡猾にして悪なるもの
(=邪悪)との果てしなき「戦争」である。この邪悪な勢力は、巧妙な手口で弱者を目
先の利益に誘導して衆愚と成し、「叡智にして善」なるものを偽って善人を騙し、味方
に引き込むので、往々にして優勢になる。世界の現状は、こうした邪悪な勢力が支配力
を増大しつつある。正義が地上からこの邪悪を一掃しなければ真の平和は訪れず、この
邪悪を倒す「戦争」は、武力を用いる、用いないを問わず、あるいは目に見える、見え
ないにかかわらず常に行われているのである。

今、世界を席巻している西欧的、一神教的な思想や価値観ではこの「戦争」は永遠に終
わることが無いだろう。なぜか、それはこの思想・価値観が「唯一絶対の善」と「唯一
絶対の悪」の存在を前提とし、これを人間社会に実現しようとするものだからである。
しかし、強くもあり、弱くもある人間には、「絶対の善なる個」も「絶対の悪なる個」
も存在しない。存在しないものを存在すると信じ込ませるものは偽りである。

真実として存在するのは、「生成発展」という宇宙万有普遍の真理のなかに、今現在、
ここに実在する一つの霊魂を持った「個」だけである。この霊魂が清浄な状態にある
か、汚れ穢れた状態にあるか、が「正善」と「邪悪」を分かつのである。

目に見える形は無いが、間違いなく実在する霊魂であればこそ、あらゆる時間と空間を
越えて繋がることができる。それは、国土と人間を含む万物が等しく神々の子孫である
からである。個人の霊魂は、同一の根源を有する幾憶兆の無数に分かれた分霊分魂の一
つに過ぎないのである。万世一系の天皇を中心とする共同体に生きてきた日本人は、こ
のことを無意識のうちに理解してきた。だからこそ、男女を問わず、人の肌の色を問わ
ず、人も犬も猫も問わず、皆が信頼し、心を許しあう「地上の楽園」を築くことができ
たのである。

▼『直霊』(なほひ)と『禍津毘』(まがつび)

幾憶兆の無数にある分霊分魂のうち、清浄な状態の霊魂を『直霊』(なほひ)と言い、
汚れ穢れた状態の霊魂を『禍津毘』(まがつび)と言う。

『直霊』は、天地の全てが根源を同じくする同胞であるという意識(心の統一性・絶対
性)に支えられた清く直く明けき霊魂であり、万物の本性を顕現させて生成発展をもた
らす。日本人が元寇や幕末に見られたような外敵による国難に際して、天皇を中心に団
結してきたのも、地震や津波、台風などの大災害に際して、「心で繋がっている。心は
共にある」といった同胞意識が自然に芽生え、被災者救済に皆が協力し、互いに支えあ
ってきたのも、全て『直霊』のなせる業である。

国民の知らない裡に国の平安を祈り、あらゆる禍患は我が身を通れとひたすら祈念さ
れ、常に国民の心を我が心とされる 天皇陛下がおられ、その有難さに応えようと国民
一人ひとりが己れの務めを一所懸命に果たす。これが日本の国体である。皆が『直霊』
の状態にあれば、その本性を存分に発揮し、国は生成発展に向かうのである。

『禍津毘』は、この同一根源の分霊分魂という同胞意識を欠き、あくまで個人を中心と
する意識(心の分裂性・相対性)に支えられた霊魂であり、万物の本性を覆い隠して分
裂解体をもたらす。集団で社会を構成し、その一員としての務めを果たすのが人間本来
の性であるとすれば、それに反し、集団社会を離れて個人主義に走り、自我に執着して
私利私欲に走ることから邪悪が始まる。そして、集団社会の分裂解体こそが人間悪、社
会悪の根源である。それゆえ、天皇を敬う心を失うことは罪の始まりであり、この人間
社会で最も美しく尊い統一体である日本の国体を破壊しようとすることが、最大の罪な
のである。

あらゆる霊魂が根本と抹消の関係で繋がっている以上、相互に影響を及ぼしあうことは
避けられない。邪悪、穢れにより人々の霊魂が『禍津毘』になれば、天地の霊魂もまた
『禍津毘』になる。人心が悪くなれば、天地自然も悪くなり、災難をもたらす。これを
「万有一体の罪穢」という。罪とは、生成発展を延滞させ、阻害し、途絶させることで
あり、穢れとは「気枯れ」、すなわち霊魂が疲弊して、気力を失い沈滞することであ
る。

しかし、『禍津毘』は、その罪や穢れを禊(みそ)ぎ祓(はら)うことにより、『直
霊』に戻ることができる。これこそが、この世に一神教的な「絶対善」も「絶対悪」も
存在し得ない所以である。
禊ぎとは、あたかも清浄な水で汚れた体を洗い流すように、腐敗混乱した部分や癌細胞
のような病んだ部分を摘出して淘汰する「身削ぎ みそぎ」であるとともに、気枯れて
疲弊した霊魂に外部から大自然の清浄な霊気を注ぐ「霊注ぎ みそぎ」である。

祓いとは、あたかも積った塵芥(ちりあくた)を叩(はた)き落として掃除するよう
に、外見上に現れた禍患を除去する「払い はらい」であるとともに、弛緩した精神を
緊張させ、引き締める「張る霊 はるひ」である。

▼『武』の本義

我々日本人にとっての『武』とは、造化の武断によって「万有一体の罪穢」を禊ぎ祓う
ことにより、世界に類無き「日本の国体」を護持し、万物を生成発展させるものであ
る。

 それゆえ、『武』の道を説く『闘戦経』は、「真鋭」を指導原理とし、「剛毅」な精
神を尊び、「智」と「勇」を兼ね備えた「強い力」と真の平和を願う「正しい心」を強
調する。そして、自我を棄て、私欲を離れ、天地自然と一体となって大義に随うこと
が、一切の邪悪を絶つ途であることを、『孫子』と『闘戦経』を表裏で学んだ唯一の武
人である楠木正成の生き様が実証している。

 世界は今なお、正邪入り乱れた大戦国時代であり、大修理固成時代である。二十世紀
の世界では、共産主義というイデオロギーと政治体制が計画的かつ巧妙に真理を歪曲
し、おびただしい人々を搾取、殺害し、家族や共同体を破壊してきた。中華人民共和国
では、一党独裁政権を維持するために軍隊を「暴力装置」として濫用し、天安門、ウィ
グル、チベットをはじめとする国内各所で強力な破壊力をもって無辜の民衆を殺戮して
きた。『闘戦経』では、「兵の本は禍患を杜ぐにあり(五十二章)」と説き、こうした
軍隊の用い方を厳に戒めている。

又、人類は核兵器という大量破壊手段を手に入れて以来、大規模な武力戦争を行うこと
にはきわめて慎重になり、もっぱら小競り合いに類する紛争や、盗人のように相手の領
土・領海を侵食し、あるいは武力、特に核兵器による威嚇と巧みな思想戦・情報戦・宣
伝戦で相手の戦う意思を喪失させ、屈服させるような戦いを追求するようになった。こ
れは、『孫氏』の説く「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。(謀攻第
三)」の実践であり、かつて毛沢東が論じていた「心の争奪戦」の実体でもある。世界
中に核兵器が拡散しつつある一方で、こうした陰湿な戦争の傾向は益々強まるであろ
う。

このように、国際社会は、今なお専制と隷従、圧迫と偏狭に満ちた社会体制を除去でき
ず、邪悪で穢れた『禍津毘』が支配的な状態にある。

『直霊』の国であるべき日本も、国際社会との関わりが深まるにつれ、「万有一体の罪
穢」の影響から逃れることができなかった。建国以来二千六百有余年の歴史の中でも、
幾たびか内憂外患に見舞われ、時には亡国の危機と隣り合わせにもなったが、その都
度、日本人の叡智を集めてそれらの国難を乗り越えてきた。しかしながら、大東亜戦争
でアジアの同胞を欧米諸国の植民地支配から解放したことへの恨みと恐怖から、連合国
が占領統治下にあらゆる手段を総動員して日本の弱体化工作を図ったことの影響は極め
て大きく、未だにそれらは払拭されていない。連合国は日本陸海軍を解体し、日本の精
神文化を破壊して「智」と「勇」とを奪い、日本人を「気枯れ(穢れ)」させようとし
たのである。

終戦から半世紀以上たった今日になって、その罪悪汚穢が国家の指導者層の中にはっき
りと顕れてきた。国家の生存に対する脅威を直視せず、隣国の威圧にはいとも簡単に屈
しながらも、「力」の裏付けの無い「かりそめの平和」に安住し続けようとする政府高
官や高級官僚たちの霊魂は、完全に気枯れ(穢れ)ている。又、天皇を敬う心を失った
政治家たちの霊魂は、大きな罪を孕んでいる。日本は、急速に『禍津毘』に近づきつつ
ある。

▼日本再生の道

 この危機を克服するには、我々日本人が失われつつある『武』を取り戻し、日本人の
「智」と「勇」を結集した造化の武断によって「万有一体の罪穢」を禊ぎ祓うしかな
い。日本人一人ひとりの自覚と努力により、この疲弊した日本を再び「強い力と正しい
心に支えられた、かつての日本」に立ち返らせるのである。そのために重要なことは、
「国民教育」と「国防精神」の再生である。

 まずは、親から子に、教師から生徒に、天皇陛下や皇室への敬愛の念や先人に対する
尊敬と感謝の気持ち、祖国や郷土の歴史・伝統・文化を尊重する心を「日本人の常識」
としてきちんと教育することである。家庭愛、郷土愛、祖国愛、そして人類愛は、自然
に身に付くものではない。家族を、そして郷土を愛する人間を育てていくことこそが、
良き国家を創ることにつながる。世の中には金では買えない大切なもの、自らの命に代
えても守るべきものがあることを教え、「日本国民」を真の「日本人」に育てるのが国
民教育である。

 次いで、日本人の多くが、兵法や武将の生き様などを学ぶことにより戦(いくさ)と
いうものを知り、戦略・戦術的な思考や武士道の精神を身につけることである。我々の
先人が遺してくれた兵法書や、優れた武将の生き様こそ、古今東西の軍事史の中でも第
一級の価値あるものばかりである。特に、日本人が戦国の乱世を経て形成した武士道精
神は、正義感、忠節心、強くかつ優しい、己を捨てて公に尽くす・・・等、人間が作り
上げた最高の「理性」であり、その根底には『闘戦経』の教えがある。

先人の生き様に学び、志を同じくする師友と心ふれあい、自ら日々の実践に心がけるこ
とを通じてのみ、武士道精神は身に付く。こうした先人の遺した教えに学ぶことによ
り、より多くの日本人が大義のためには戦うことを怖れない「国防精神」を身につける
ことができれば、やがて日本人の総意として、日本の国体を護る真の日本国軍隊を創設
する時が必ず訪れるであろう。

 古来、一度たりとも奴隷制度の存在しなかった日本ほど、人々の自由と平等を尊重し
てきた国は無い。人類が近代以降になってようやく人種による差別を撤廃してきた歴史
的な流れを見れば、このことは自明である。日本は太古の昔から、「世界の範たる道義
国家」だった。それは、そこに住む日本人の皆が、生きとし生けるものを愛し、自己を
高め、立場を自覚し、公のために自分ができることに最善を尽くし、より良き社会を築
こうと努めてきたからに他ならない。今こそ、多くの日本人がこのことを自覚し、誇り
に思い、父祖達と同じように「正直で、元気よく、一生懸命に働く」という古来からの
日本人の美徳を大切にして生きていくことにより、真に世界の人々の模範となり、世界
の国々を引きつけ、人類社会に良い影響を与えて、やがては「正義と秩序を基調とする
国際平和」の創出へと繋がっていくことになるだろう。これこそが、我々日本人が天か
ら授けられた使命である。

 世界人類の歴史を支配してきた「正義と邪悪の終わり無き戦争」に終止符を打てる国
は、日本をおいて他に無いのである。

(おわり)


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