【戒厳令解除30周年に寄せて】解除は蒋経国のお蔭ではなく、台湾人民の地道な努力の成果である

【戒厳令解除30周年に寄せて】解除は蒋経国のお蔭ではなく、台湾人民の地道な努力の成果である

                台湾独立建国聯盟日本本部委員長 王明理

去る7月15日、台湾は38年間続いた戒厳令(1949〜87年)が解除されてから30周年を迎えた。この日を記念して、台北の総統府前の「白色恐怖政治受難者記念碑」の前で式典が行われた。

式典には、白色テロ受難者の一人である蔡焜霖(さいこんりん)氏が登壇した。7月17日に亡くなられた蔡焜燦先生の実弟である。蔡焜霖氏は、1950年のある日突然、学校帰りにバス停で捕えられ、20歳から30歳までの10年間をいわれなき罪で火焼島(緑島)に収監された。釈放後は苦労を重ねながら、社会人として成功を収めたが、一方で、白色テロ時代の真実を社会に知らせることを自分の責務と考え、今も国家人権博物館の運営や若者たちへの教育に尽力している。

式典での蔡焜霖氏の発言の要点を紹介したい。

「世界記録にも及ぶ長期戒厳令が解除されたのは、独裁者の徳政や施しによるものではなく、沸き起こる人民の力と、国際政治情勢の圧力があった結果である。
第二次大戦後、中国大陸の内戦で敗北し、台湾に逃げ込んで来た国民党政権は、怨念や恨みや疑心暗鬼に満ち、戦争や動乱のない台湾に38年間もの戒厳統治を敷いて、何世代もの台湾人民の基本的人権、思想、言論、集会の自由を奪ったのである。
政権は、人々の愛情や親心や友情を最大の脅威と見なし、人々が真実や善や美を求める気持ちさえ敵視したのである。」

「特務(秘密警察)に追われる息子を助けようとしたある父親は投獄され、二人の息子のうち一人は銃殺され、もう一人は緑島へ収監された。
台南師範高校を卒業し小学校の先生になった18歳の青年は、ほどなく捕まり緑島に送られ、17歳の女子受刑者を慰め応援していたが、結局、処刑された。
新竹女中の17歳の女子高生は獄中で熱心に勉強していたが、そのノートが原因で処刑された。」

「国民党政権は30年前にやっと人民の力と国際社会の圧力によって、やむなく戒厳令を解除したが、依然として国安法を使って、人々が憲法によって持てるはずの権利を制限し続けた。

今日、ここに私たちが集まったのは、白色テロの時代に犠牲となった先輩や友人たちに報告するためだ。30年前の今日、戒厳令は人民の力によって解除され、民主自由の追求の風雲が沸き起こったのだと。我々は移行期正義が必ず実現すると信じ、公儀和平の国家を必ず作り上げる、たとえ、その道は歩き難く、往年の残党による抵抗があったとしても、と。

又、このようにも報告しよう。今の若者達は、当時の私たちよりも、理想があり、情熱と行動力と国際観を持っている。だから、勇気をもって未来に向かう若者達に、私たちは安心してバトンを渡すことができると。」

このスピーチをする時、普段は穏やかな蔡焜霖氏は、実はかなり怒りを込めていたと自戒を込めて告白している。それは、前日、国民党の幹部が「蒋経国総統が30年前に戒厳令を解除することによって、台湾は今日の民主自由を実現できた」と述べたからである。国民党系である台湾のメディアもそう宣伝しているが、日本のマスコミや評論家の一部にも、それを鵜呑みにしているところがある。戒厳令下で人権を弾圧された受難者達にとって、この評価は到底受け入れられるものではない。

無実の台湾人の人権を奪い、徹底的に弾圧した国民党の国防や警備の指揮権を一手に握っていたのが蒋経国だったからである。

1987年に蒋経国が戒厳令を解除せざるを得なくなったのは、国際情勢と国内情勢とアメリカからの圧力のせいであった。国際情勢としては、各国の中共承認、1972年の中共の国連加盟に伴い、台湾(中華民国)は国連から脱退し、国際的な孤児になっていたという背景がある。国内情勢としては、海外に活路を見いだせなくなった蒋政権が、この島の大多数を占める台湾人の不満を弾圧しきれなくなって、ある程度のガス抜きや妥協をせざるを得ない空気が生まれていた状況をいう。だが、何と言っても一番大きかったのは、アメリカの議会からの圧力であった。アメリカ議会は、弾圧されている台湾人の人権について注文をつけたのである。アメリカの議会を動かしたのは、在米台湾人の力である。台湾独立派団体FAPA、(Formosan Association for Public Affairs=台湾人公共事務会)がアメリカで地道なロビー活動を行った成果である。

唯一の頼りであるアメリカから見捨てられるわけにはいかない蒋経国は、台湾人の登用を計り、1986年の民進党の結党に目をつぶり、1987年、戒厳令を解除したのである。
蒋経国が登用した李登輝副総統が、1988年の蒋経国の急死を受けて、総統に就任したことが、台湾を大きく民主国家へ変貌させる結果を生んだ。

つまり、台湾の民主化への道筋は国民党や蒋経国の自発的な行為ではなく、諦めずに自由と正義を求め続けた島内、海外の台湾人の努力の賜物なのである。

非常に困難な状況の中から、自由と民主化への道を勝ち取った経験を持つ台湾人は、もっと誇りを持っていい。自信を持って、独立国家台湾を運営していくべきなのだ。それが、228や白色テロで非業の死を遂げた先人たちへの唯一の慰めとなるはずだ。

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