【宮崎正弘】宗像隆幸さんをしのぶ会

【宮崎正弘】宗像隆幸さんをしのぶ会 
           

 コロナ禍のため、のびのびとなっていた「宗像隆幸さんをしのぶ会」が開催にこぎ
つけた。なくなったのは2020年7月6日、享年84歳だった。
2022年4月24日午後、会場のアルカディア市ヶ谷は二百余名がかけつけ、ひと
りひとりが遺影に献花。中央舞台は『台湾独立建国聯盟』の旗。受付ではウクライナ
国旗を形取ったマスクが交付された。

 宗像氏は紹介するまでもないが、薩摩隼人、義のために国民党圧制下の台湾独立に
連帯し、「台湾青年」の編集に携わってばかりか、あらゆる台湾独立の地下運動を支え
た。独立運動のカリスマ彭明敏の海外亡命の段取りを組み、壱年余の秘密工作のあと
亡命に成功。そのことは長らく秘密だった。

 詳しくは氏が残した『台湾独立運動私記』(文芸春秋)参照。

 さて小生が宗像氏と知り合ったのは35年ほど前で、雑誌『自由』の何かのパー
ティだった。出された名刺は「宋重陽」とあり、てっきり中国の人からと思ったら、
『台湾青年』に寄稿したペンネームの由。名付け親は王育徳博士。
 会は山田智美さんの司会で始まり、黙祷につづいて、同聯盟日本本部委員長の林建良
氏、前委員長の王明理女史が挨拶、追悼挨拶は金美齢、櫻井よしこ両氏、つづいて前
駐日大使の許世楷氏ら。
また故人が登場する映画が上映された。
弔電は小池百合子都知事らから届いた。

 氏と小生は何十回も会って飲んだり、台湾でも選挙観戦でおなじホテルだったりし
たが、一度尋ねたいと思いながら、果たせなかった疑問が一つあった。
それは筆名「宋重陽」の由来で、なぜ王育徳博士は、この名前を選び、何を託そうと
したのか。 

しのぶ会で配られたパンフレットから氷解した。
宗像氏の誕生日は9月9日。そうなのだ。重陽は「じゅうよう」と呼ばず「ちょうよ
う」と発音すれば菊の節句のことである。
 陽数の最大値「9」が重なる9月9日を「重陽」と呼び、五大節句の一つ。菊が美し
く咲く時期で古来より菊は「仙境に咲く霊薬」として、邪気を払い長寿の効能があ
る。
 国民党の台湾圧政の邪気を払え、それが命名の由来だろう。
 合掌。


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