【台湾を取り戻す】中国国民党の二度目の終焉

【台湾を取り戻す】中国国民党の二度目の終焉

                 台湾独立建国聯盟日本本部委員長 王 明理
                            

過去70年にわたり、台湾に君臨してきた国民党、正式名称「中国国民党」の命運も尽きようとしている。

今年1月16日の選挙の結果、民進党の蔡英文氏が当選し、立法院議員も民進党が過半数を占め、さらに強く台湾人アイデンティティーを前面に出す若者の党、時代力量党員も5名当選した。

戦後70年目にして、やっと台湾人は自らの手で台湾の政治を行えることになったのである。

今や少数野党となった国民党の支持者は、年金や退職金制度を通して多大な恩恵を得てきた公務員や軍人、及び利権のからむ商売人が主体である。国民党はこれまで、莫大な資産をバックに政治を思うように動かしてきた。例えば、選挙の度に買票、つまり金で票を獲得していたことは、台湾人なら誰もが知っていることであった。

国民党の財源は、終戦後、中国からやってきた彼らが、日本から接収した国家資産を、全て党の私有財産にし、それを基に築きあげたものであった。日本統治時代、日本は国力をあげて台湾を近代社会に作り上げたのだが、そのインフラや社会事業、企業等、日本人と台湾人が50年間精魂傾けて作り上げた国家財産を、中国人は濡れ手に粟と略奪したのである。

その額は、かつて6000億元(約2兆円)とも言われ、世界一金持ちの党であった。かねてより、民進党は国民党の党産は、「国庫に返すべき」であり、「正当な政党間競争を阻害している」と批判してきた。

そして、この7月25日、ついに台湾の立法院本会議において、国民党の資産の解体と回収を求める「不当党産条例」が賛成多数で可決された。まさに戦後70年にして、台湾人が勝ち取った勝利である。すでに政権を奪われる可能性が出てきた時点で、かなりの資産が持ち出されたという噂もあり、今年3月時点で、資産は166億元(約550億円)と言われているので、今後、解明が必要である。

「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉もあるように、金の力だけで人を繋ぎとめてきた国民党は、まもなく歴史の舞台から今度こそ消え去ることであろう。

そもそも、国民党は67年前に消滅していたはずであった。

1949年、中国大陸において、蒋介石率いる中国国民党は、毛沢東率いる中国共産党に負けた。選挙ではなく、武力闘争の結果である。こういう場合、負けた側はどういう末路をたどるか。党のトップや幹部は捕まって処刑され、下の兵士たちや民衆は、征服者に従って新しく生き直すのが、歴史上の常であった。つまり、蒋介石、宋美齢、主要幹部は処刑され、中国国民党は終焉を迎えるはずであった。すでに、国民党内部は腐敗し中国人民からの信望も失って、存続する意義もなかったのである。

 しかし、蒋介石は逃げおおせた。200万の国民党の残党を引き連れて、対岸にある台湾へ。もし、台湾に確固たる国家があれば、弱体化した蒋介石軍は入り込む余地は無かったはずである。もし、日本が台湾に君臨していたら、可能性はゼロであった。また、もし、日本による近代化がなされていなかったら、体力のない中国軍はマラリヤ等の熱病や跋扈する勇猛な台湾人や原住民の襲撃に合って上陸は容易でなかったであろうし、仮に上陸できたとしても、近代国家建設などできなかったであろう。

しかし、当時の台湾は国際法上、一つの空白地帯であり、実態としては、終戦後、中国国民党軍が連合国占領軍として軍政を敷き、そのまま我が物顔で居座っている状態であったから、蒋介石はたやすく、まるで我が家に入るかのように、台湾に逃げ込むことができたのである。中国で作った中華民国憲法と共に。

台湾人の抵抗はなかったか? すでに、それより2年前の1947年2月28日、中国人に抵抗しようとして立ちあがった台湾人を、蒋介石は大陸から大軍を送り込んで大虐殺し、台湾人を恐怖政治で弾圧していたから、台湾人は抵抗のしようがなかったのである。

そして、国際社会はその蒋介石の行状を見て見ぬふりをした。アメリカは1949年に一度、蒋介石に見切りをつけ、支援を止める決断をしたが、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、台湾の地理的重要性を再認識し、自由陣営の不沈空母として存続させる必要性から、蒋介石政権への支援続行を決めた。つまり、その独裁政権下であえぐ台湾人の人権は無視されたのである。 結果として、台湾人は、自分の島の中で、ナチスの収容所に囚われた民のように、38年間にも及ぶ戒厳令下の厳しい弾圧の下で息を殺して暮らしていく以外なかったのである。

更なる悲劇は、中華人民共和国が唯一の中国政府として国際承認されるに従って、各国が中華民国との国交を破棄し、蒋介石が国連からも脱退してしまったことである。
この事態により、台湾人の声は、ますます外部に届かず蓋をされる結果となった。
どう考えても、世界から孤立した島の中で、他民族に強権統治されている被支配民族が、自分たちの力で自由と尊厳を取り戻すことなど不可能な話ではないか?

しかし、その不可能を可能にし、一滴の血も流さずに台湾人は自らの手に台湾の政治を取り戻すことに成功したのだ。我慢に我慢を重ね、根気強く民主主義の力を活用して。それが、台湾の奇跡、2016年1月の台湾の選挙の持つ歴史的意味である。

ここに至るまで、台湾人はどのような努力で、自由と民主主義を手に入れる苦労をしてきたのか。一口では言えないが、一つは、留学生として台湾を出た人たちが海外で展開した台湾独立運動、もう一つは李登輝元総統による民主化移行政策、この二つが無ければ、今日の民主化は実現できなかったであろう。そして、忘れてならないのは、国民党の一党独裁政治の下で、凄惨な弾圧に遭っても不屈の精神を持ち続け、決して妥協しなかった人々の民族意識のことである。台湾人の故国と同胞への想いが原動力となり、ついに、台湾を自らの手に取り戻すことができたのである。

今の台湾が置かれている状況は、決して生やさしいものではない。中国が統一しようと虎視眈々と狙っている上に、国際機関から閉めだされ、主要国家とは正式な国交関係がない。

しかし、成熟した民主主義の下、民意の高い国民に正々堂々と選ばれた蔡英文総統の政治は、しばらくの間は安定し、多少の政策のミス位では揺るがないものである。

台湾人は今、70年を掛けて取り戻した自らの国を、ゆっくりと育てながら、過去の不正を正しているところである。


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