【台湾で学んだこと3】台湾の夜明けが始まろうとしている

【台湾で学んだこと3】台湾の夜明けが始まろうとしている

        阿部伸一郎 (岐阜李登輝友の会 東濃分会)

欧米列強の「採取型植民地支配」とは真逆の、
「内地延長型」であったことを前回記した。

この「内地延長型」とは、
統治国を自国と同等に扱うことである。

その2で記した様に、1895年以前の台湾は、
清国が「化外の地」と呼ぶほど荒れ果てていた。

そこにやって来た日本は、先ずは教育が大切と考え、
統治が始まって一か月後には、日本全国から集めた
優秀な7名の教師を台湾に送り込み、
台湾史上初めての公立の小学校を作った。

今回、実際に我々もその場所へ足を運んだ。

当然だが、貧しい食うに精一杯の環境の中で
学校が出来たからと言って、生徒が集まる筈がない。

ところが、集まった。

否。集めた。

何と、学校に来て学ぶ生徒にはお金を出して集めたのである。

この学校を皮切りに、
日本は台湾中に学校を建てて行く。

話しは戻るが、前述の7名の教師の内、6名は後に匪賊に
殺されてしまう。https://goo.gl/S0wqZ0

実は、彼らは匪賊が襲いに来るから逃げろと
台湾人からの情報を得ていた。

しかし。

「死して栄誉あり、死に甲斐あり」と教育の場を離れなかった。

その亡骸は「6士先生の墓」として学校のある丘にあり、
今尚、台湾人の手によって丁寧に管理されている。

台北を訪れた際には、
是非お寄り頂き説明を受けてもらいたいと思う。

きっと、涙されると思う。

さて、日本は学校同様に、各地に病院も建設し解決不能と言われた
衛生状況を一変させ、アヘン吸引の根絶にも成功した。

また、ダムや灌漑用水を建設し、全域に電気を供給した。

その功労者として台湾の教科書に載り、
台湾中で知らない者はいないと言われ英雄が、
八田與一である。https://goo.gl/21D2nu

この八田與一や児玉源太郎、後藤新平の名は、
台湾の人が日本人と親しくなれば、必ず出す名前である。

ところが、戦後はGHQによる「戦争の罪悪感を日本人に植え付ける」
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)が
https://goo.gl/raBWvA
見事に功を奏し彼らの名を教えることはタブー視されてしまった。

八田與一に関しては、彼の偉大さが解る動画を発見したので
是非ご覧いただきたい。https://goo.gl/MIqAkp

こうして、不毛の地と言われた
地域は、アジア有数の穀物地帯となって行った。

後に、後藤新平は初代東京都知事となり、
関東大震災後の東京を甦らせることに成功するが、
台湾では、台北の都市計画を指導し、東京に水道が
引かれる前に台北に水道を引いてもいる。

また、後藤新平は、アメリカに居た新渡戸稲造を台湾に呼ぶ。

北大の二期生で農業のスペシャリストでもあった
新渡戸稲造は、砂糖キビ生産、製糖業の近代化をもたらし
台湾経済発展の礎を築いた。

今、記したことは、日本が台湾にした
「内地延長型」統治のほんの一部に過ぎない。

欧米列強が植民地化した手法とは、訳が違う。

ゆえに、あの東北の大震災の時も
台湾国民は、200億円以上もの寄付金を寄せてくれたのである。

無論、日本の台湾統治を全肯定するつもりはない。

しかし、1945年に日本に代わって台湾を統治した
蒋介石の国民党政府と比較すれば、その差は一目瞭然である。

日本が去った僅か2年後には
国民党による大虐殺「二・二八事件」が起こる。
https://goo.gl/UYR9X0

私も今回の訪台で知ったことだが、
先の選挙で大敗した馬英九まで続く国民党の酷さはまた追って書く。

だが、幸いなことに国民党は、
間違いなく、近々に雲散霧消となる。

正に今、台湾の夜明けが始まろうとしている。


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