【傳田晴久の台湾通信】国軍歴史文物館

【傳田晴久の台湾通信】国軍歴史文物館 

◆はじめに

 ちょうど1年前、「台湾の歴史と日本統治時代の文化遺産」(2013年3月1日〜4日)というタイトルのツアー(主催:日本エアービジョン社)に参加し、最終日に「国軍歴史文物館」を見学する予定でしたが、あいにく展示物の入れ替え中とのことで閉館、見学できませんでした。その後1回訪問したのですが、カメラが不調で不満足。秋に再び訪問したのですが、またまた閉館中。どうも相性が悪いようですが、今年(2014年)2月の中旬に訪問叶いました。意外に“面白い”展示物をいろいろ見ることが来ましたので、ご紹介させていただきます。

◆パンフレットによれば・・・・

 国軍歴史文物館は1961年に創立され、中華民国軍(陸軍軍官学校)設立から東征、北伐、抗日戦争、台湾海峡防衛などの各時期に関する文物史跡および現在の国軍の状況などを紹介しています。3階建て、総面積450坪、6つの展示室があります。

 第一展示室は「黄埔建軍と北伐統一」と銘打ち、中華民国建国当初の軍閥割拠の状況から北伐、中国統一までを展示しています。

 第二展示室の「八年にわたる苦難の対日抗戦」では、抗日戦争を中華民族が民族の存続と国家独立をかけて戦った聖戦と謳い上げています。

 第三展示室の「反乱鎮定と台湾海峡戦」では国共合作、抗日戦勝利後、中共に追われ、台湾に移り、古寧頭の戦いに勝利し、中共の台湾進出を阻止し、台湾の安定繁栄の基礎固めをしたとしています。

 第四展示室は「軍備の整備」で、国軍は将来の有事に備え、軍事武器の研究開発、国防制度改革に力を注いでいる姿を展示しています。

 第五展示室は「国軍兵器室」で、ライフル銃、機関銃、重兵器、刀剣などを展示し、射撃体験コーナーも設けています。

 特展室という展示室があり、現在「飛虎薪傳−中美混合團成立70週年紀念特展」(「フライング・タイガースの伝承―中米混合空軍団成立七十週年記念特展」)が開催されています。

◆フライング・タイガース

 ウィキペディアではフライング・タイガースを「日中戦争時に中国国民党軍を支援したアメリカ合衆国義勇軍(American Volunteer Group; AVG)の愛称であるが、戦闘機(100機)やパイロットは米国政府が用意しており、実質、義勇軍の名を借りた米国の対日戦闘部隊であった。また、実際に戦闘に参加し始めたのは日米開戦後であり、「義勇軍」の意義もうやむやになった」と紹介しています。

 当展示では米国陸軍航空隊を退役したシェンノートが蒋介石と宋美齢に請われて中華民国空軍を育成し、フライングタイガースの「永遠不朽」の精神は中華民国空軍に引き継がれていると称しています。

◆興味ある展示(1)竹林遺書

 この「竹林遺書」は冒頭に述べたツアーの目玉の一つでありました。2階の第二展示室の片隅、ガラスケースの中に、直径10センチほど、高さ20センチほどの古びた竹の筒が展示されており、そこには、「終有一天將我們的青天白日旗飄揚在富士山頭」と彫られています。訳せば、「何時の日か我々の国旗青天白日旗を富士山頂にはためかせる」ということ、日本を征服するという意味でしょうか。

 そういえば一昨年(2012年9月末)、ある中国人が軽装で、食料も持たず、幼い2人の子供に「釣魚島は中国領」と書いた横断幕を持たせて登山し、危うく遭難しかけた事件がありましたね。世界文化遺産「富士山」は日本の象徴ではありますが・・・・。

 この竹筒は、1940年中華民国の「広西学生軍」が日本軍の「南寧作戦」で玉砕したが、戦闘終了後、日本軍が戦場処理をしているときに、竹林の中に文字が刻まれている竹を発見した。そこに上記のような文句をきざまれており、これは学生軍の誰かが刻した遺書であると判断し、その忠誠心を観じ、竹のその部分を切り取り、日本に持ち帰った。そして26年後、日本神道国際友好代表団が台湾を訪れた際に、この「竹林遺書」を台湾に返還したと言います。

 私は書かれている内容に少々違和感を持ちますが、まぁ、見方によっては、この展示は学生の精神を讃えているということも出来るでしょう。

◆興味ある展示(2)100人斬りの軍刀

 2階の第二展示室に大きなパネルが、例の日本兵が軍刀を振り上げ、正に捕虜の首を刎ねようとしている写真がありました。いわゆる「南京事件」に関心ある人であれば必ず目にしたことがある写真です。

 この写真について、電脳日本の歴史研究会のHPに「単なる現地の苦力(クーリー)に頼んで記念撮影。右後ろの人はスリッパはいてまして、ヤラセと解っているから笑ってます」と解説しています。

 国軍歴史文物館の展示室のパネルは次頁の写真の様になっています。私がこのパネルを見た瞬間、何か違和感を持ったのですが、刀の構え方が人を斬る姿かと思いました。左利きのバッターのようです。映画やテレビドラマで切腹の介錯をする人は確か右に立つのではなかったでしょうか。パネルの軍人は左に立っています。改めてよく見ますと、このパネルの写真は左右が逆になっているのです。さぁ、どちらが本物でしょう。

 真偽はともかく、問題はこの刀ですが、展示室の音声ガイドでは次のように解説しています。
「この刀は日本軍の九八式軍刀で、刀の刃を柄に固定する銅板に『南京の役 殺 107人』と刻印されています。日本の仮名文字『の』の字が書かれていますから、この刀は日本の物であるという重要な証拠です」。

写真の振り上げた軍刀に合わせて、実物の軍刀がぴったりと貼りつけられており、刀の柄の部分にレンズがセットされ、銅板の文字が読めるようになっています。

 私の感覚では、戦前の記念刻印であれば、「の」ではなく「之」、「ノ」を使うのではないでしょうか。将校たるものが軍刀の記念に平仮名の「の」はいささか考えにくい。

 さらに「殺107人」とは書かないのではないでしょうか。当時の東京日日新聞の記事(1937年12月13日)には「百人斬り“超記録”」の見出しがありますから、「百人斬リ」、あるいは「一〇七人斬リ」かと思います。

 もう一つ解せないことがあります。音声ガイドは「日本軍の九八式軍刀」と解説しています。九八式とは皇紀二五九八年すなわち昭和13年制定と言うことです。「南京の役」は昭和12年12月ですから、翌年制定の軍刀を使用するのは不可能です。何ということでしょう。(この軍刀について「草莽崛起―PRIDE OF JAPAN」というサイトに藤田達男氏の詳細な、専門的な分析・解説が載っています)

◆どう考えたらいいのか

 「フライング・タイガース」の特別展示で中米の協力関係を謳い、「フライング・タイガース」の精神が中華民国空軍に引き継がれていると説明するのは、中華民国国軍の事ですし、「竹林遺書」は戦前(1940)の学生軍の一員が祖国への忠誠心を表現したものでしょうから、いろいろ異論があることは承知しておりますが、それはそれでよろしいかと思います。しかし、「100人斬りの軍刀」の展示はいただけません。

 写真をあべこべに使い、存在し得ない刀(制定年度)を実物として展示し、後から刻印したと言われても仕方ない代物を平仮名が使われているから日本の物と決めつける、このような誰が見ても「いい加減な」展示を以って、日本人、日本軍が残虐非道なことを行った歴史的証拠と言われては・・・・・。

 時あたかも「慰安婦像」を海外に設置する国があるのです。恐ろしいことです。

◆おわりに

 たまたま「国軍歴史文物館」を覗いた時に、「トンデモ展示」に出くわしたのですが、これがもし素通りしてしまったり、肝心なこと(あべこべ写真、制式年度、刻印の文字)に気づかなかったらと考えると空恐ろしい気がいたします。

 只今、台湾では「課綱」(学校の指導要領)が問題になっています。高校の歴史、地理、等の教科書の指導要領を“微調整”(改訂)しようという教育部(日本の文科省に相当)の方針ですが、多くの台湾の人々が反対しています。知らないうちに少しずつ変えてしまいますと、いつの間にかとんでもないものに変わってしまうかもしれません。嘘も百回言えば……心しましょう。

2014.3.13 8:00


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