【レポート】李雪峰先生の講演と懇親晩餐会

【レポート】李雪峰先生の講演と懇親晩餐会

日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載

度重なる変更にもかかわらず李雪峰先生の講演と懇親晩餐会は大盛会

◆李雪峰氏の講演に200名以上が聞き入る

 5月10日、李登輝・台湾元総統並びに蔡焜燦(さい・こんさん)李登輝民主協会理事長の
名代として李雪峰(り・せっぽう)台湾高座会会長が登壇し、「来日講演と懇親晩餐会」
が東京目黒区の目黒雅叙園にて開催されました。

 李登輝元総統と代理の蔡焜燦氏が体調不良により来日中止となり、開催そのものが危ぶ
まれましたが、当日は200名を超える方々が参加し、中には遠くアメリカや沖縄などからも
駆けつけられました。

 午後2時の定刻を少し回って始まった講演会は、李雪峰氏が今年の春の叙勲で旭日小綬章
を受章されたことから「旭日小綬章受章記念」と銘打たれ、叙勲を祝しての催しはこれが
最初となりました。

 本会理事の王明理・台湾独立建国聯盟日本本部委員長の司会により進められ、小田村四
郎会長は開会の挨拶で、李雪峰氏の叙勲を祝すとともに台湾少年工の歴史などを手短に紹
介しました。

 続いて、今回の経過について柚原正敬(ゆはら・まさたか)事務局長が報告。李元総統
の日本招聘が一昨年から始まり、昨年9月には快諾されていたにもかかわらず、3月末から
体調を崩し回復に時間がかかっているが国内での行動にはほとんど支障がないことや、蔡
焜燦氏の体調も回復しつつあることなどを説明しました。

 次に渡辺利夫(わたなべ・としお)拓殖大学総長と田母神俊雄(たもがみ・としお)元
航空幕僚長が来賓として挨拶されました。

 渡辺総長は、拓大に留学している台湾人学生の両親から東日本大震災に300万円の義捐金
をいただいたことや、拓殖大学が台湾協会学校として始まったことなど台湾と深い関係を
持っていることを述べ、個人としても台湾の存在が大きくなっていると述べられました。

 また田母神氏は、昨年12月に初めて台湾を訪問したおりに初めて李元総統閣にお会いし
て戦闘機購入にまつわる話を聞いて一流の政治家であることに感銘した話や、日本人を神
様として祀る飛虎将軍廟や富安宮などを訪問して台湾の人々の親日ぶりに触れた感銘につ
いて述べられました。

 続いて、この日のために来日した李元総統秘書の早川友久(はやかわ・ともひさ)氏が
李登輝元総統からのメッセージを代読し、杉本拓朗(すぎもと・たくろう)本会青年部長
が蔡焜燦氏のメッセージを代読(下記に別途掲載)。また小池百合子・衆議院議員からの
懇篤な祝辞が司会から披露されました。

 いよいよ李雪峰氏の登壇。前日に神奈川県座間(ざま)市で開かれた「台湾高座会留日
70周年歓迎大会」や当日の?國神社参拝の疲れも見せず、「日本と台湾・友好の絆─台湾
高座会と日本」と題した講演に臨まれました。

 李雪峰氏は冒頭、叙勲について「この叙勲は私一人に与えられたものではなく、会員全
員に与えられたもの」と受章の意義を述べ、続いて昭和18年5月9日に高座海軍工廠に入廠
した台湾少年工の生活ぶりなどついてお話しいただきました。

≪台湾で全国大会を開くたび、当時、高座海軍工廠があった大和村の人々から芋を分けて
もらったりセーターや手袋などをいただくなどの暖かい気持ちを「高座の情」と皆が言い
表すようになり、大和を第二の故郷と呼ぶようになりました。機会があれば第二の故郷を
訪れたいと思っていました。≫

 訥々(とつとつ)とした話しぶりに誠実な人柄がうかがえる李雪峰氏の話で、来日50周
年にあたる平成5(1993)年には1400名もの台湾少年工と一緒に訪問したこと、名古屋で九
死に一生を得たこと、来日するたび60名の仲間が祀られている靖國神社を参拝しているこ
となどについても話されました。

 李雪峰氏は李登輝民主協会の常務理事をつとめ、本会から毎年贈っている河津桜の担当
役員でもあることから、これまで烏山頭ダムなどに植樹してきたことなどを紹介するとと
もに、現在、日月潭の湖畔に植樹する計画もあることを披露されました。

 その後の質疑応答で、子供たちに日本統治時代のことをそれぞれの家庭で伝えてきたこ
とや、9日に開かれた台湾高座会留日70周年歓迎大会については石川公弘(いしかわ・きみ
ひろ)高座日台交流の会会長が詳しく説明、閉会の時間をオーバーするほどでした。

 閉会の挨拶は黄文雄副会長。日本が台湾少年工を強制連行して日本に連れてきたという
誤った説を正すのは台湾高座会の方々であり、安倍政権下で日台関係はますます深まると
話し、約2時間にわたった講演会を締めくくりました。

◆150名が着座して清宴

 引き続き開かれた懇親晩餐会は、目黒雅叙園の中でもっとも広い「舞扇」の間で開か
れ、本会常務理事で前仙台市長の梅原克彦・国際教養大学教授がつとめました。

 150名ほどが18テーブルにそれぞれ分かれて着座する中、岡崎久彦・副会長は開会の挨拶
で、これまで李元総統がなぜ台湾独立について積極的に話さず、台湾の民主化に重点を置
いてきたのか最近になってようやく得心が行くようになったと述べました。民主化した台
湾が一党独裁の中国に制圧されることを建国の精神を持つアメリカが許さないことはこの
国民党の6年間ではっきりし、台湾の民主化が独立につながっていると解説を交えて挨拶し
ました。

 続いて、来賓として西村眞悟・衆議院議員と斎藤毅・台湾協会理事長が挨拶。西村議員
は主権回復の意義について述べ、回復すべきは軍隊と日本と運命共同体である台湾を取り
戻すことと力強く述べ、斎藤理事長は李雪峰氏の叙勲について、叙勲は憲法に定める天皇
の国事行為の一つであることを明かして祝意を表されました。

 乾杯の発声は明石元二郎総督令孫の明石元紹(あかし・もとつぐ)氏がおこない、日本
人が一番心を開いているのは台湾の人々であるとして、李登輝元総統と蔡焜燦氏のご健勝
ならびに李雪峰氏の叙勲に対し祝意を表して杯を挙げ清宴の開糧となりました。

 李雪峰氏や小田村会長、岡崎副会長が同席するテーブルをはじめ、田久保副会長や金田
秀昭(かねだ・ひであき)元海上自衛隊護衛艦隊司令などのテーブル、アパグループ代表
で理事の元谷外志雄(もとや・としお)氏と元谷芙美子夫妻のテーブル、吉田信解(よし
だ・しんげ)・埼玉県本庄市長や大宮の清水園代表で理事の清水志摩子(しみず・しま
こ)氏、橋本理吉(はしもと・りきち)・高座日台交流の会事務局長のテーブルなど、旧
交を温めたり台湾訪問の折に李元総統にお会いしたことなどの話が飛び交い、また料理の
うまさが一層各テーブルの話を盛り上げたようで、途中からはテーブルを超えての交流も
はじまりました。

 最後に、田久保忠衛(たくぼ・ただえ)副会長が閉会の挨拶として、李登輝元総統がメ
ッセージの中で「台湾なくして日本なく、日本なくして台湾は存立し得ない」と述べられ
ていたことについて、この一言を確認できただけでこの会を開いた意義は尽きるとして、
李雪峰氏に御礼を述べるとともに、二転三転して開催した李雪峰先生「来日講演と懇親晩
餐会」を締めくくり、盛会裡に終了しました。

 なお、参加者には、李登輝元総統の講演草稿「第三の道─ワシントン・コンセンサスと
北京コンセンサス以外の選択肢」と、自ら「我是不是我的我」(私は私でない私)と書い
てサインされたオリジナル文鎮がもれなくプレゼントされています。

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2>> 李登輝元総統と蔡焜燦氏からのメッセージ

 李雪峰先生「来日講演と懇親晩餐会」には李登輝元総統と蔡焜燦・李登輝民主協会理事
長からメッセージが寄せられ、先のレポートにあるように、早川友久・李登輝元総統秘書
と杉本拓朗・青年部長がそれぞれ代読して披露されました。ここにその全文をご紹介しま
す。

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日本李登輝友の会の皆様へ

 日本李登輝友の会の皆様、台湾の李登輝です。

 このたびは小田村四郎会長からのお招きにもかかわらず、体調が整わず、皆様とお会い
できなくなったことをとても残念に思っています。皆様もさぞかし落胆されたのではない
かと思い、お詫びの言葉もありません。今後は体調を整え、次の機会に備えたいと思います。

 私は、祖国であり母国の台湾の行末が気に掛かり、案じられてなりません。しかし、日
本で安倍晋三さんが総理大臣に就任されてからは、台湾を基本的価値観を共有する重要な
パートナーと位置づけられました。私の悲願でもあった台日漁業協定の締結に象徴される
ように、台日関係はよりいっそう深くなっています。

 台湾と日本は運命共同体です。台湾なくして日本なく、日本なくして台湾は存立し得な
い関係です。

 その点で、日本李登輝友の会の本年度の政策提言「日台関係基本法の制定」は大変重要
な提言であり、一刻も早く制定されることを待ち望んでおります。

 本日講演される李雪峰先生は、台湾少年工の時代からリーダーの資質を発揮し、台湾高
座会の会長を長年つとめる、私もよく存じ上げている方です。昭和天皇の「ふりつもるみ
雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ」という御製の精神を見事にその人生で
体現されている方でもあります。

 本日の李雪峰先生による講演会のご盛会と日本李登輝友の会のますますのご繁栄、そし
て会員の皆様の御健勝を台湾からお祈り致します。

 2013年5月10日

                               台湾元総統 李 登輝

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ご参加の皆様へ

 このたびは李登輝元総統からのお声掛かりで名代として訪日することになり、5年ぶりの
訪日を私自身大変楽しみにしていました。しかし、急に体調を崩して出席できなくなり、
皆様にご迷惑とご心配をお掛けしてしまいました。誠に相すみません。

 心電図やCTスキャン、超音波などで検査し万全を期したつもりでしたが、服用してい
る薬の副作用で低血圧症を発してしまいました。しかし、症状は徐々に収まりつつありま
すのでご安心ください。ご心配いただいた多くの方にこの場をお借りし深く御礼申し上げ
ます。

 私は現在、日本李登輝友の会のカウンターパートである李登輝民主協会の理事長の立場
にあります。日本李登輝友の会は民間ながら、台湾の大使館以上の役割を果たしてくれて
いるといつも感心させられます。また設立当初から台湾正名運動に取り組み、外登証問題
を解決して台湾出身者の国籍を中国から台湾に改正し、教科書執筆者も参照する資料の新
高山の標高を訂正させるなど、その活躍は目を見張るばかりです。そして昨年からは「政
策提言」を政府に提出し始め、今後ますます日本における日本李登輝友の会の重要性が増
してきているようで頼もしい限りです。

 このたびピンチヒッターで講演いただく李雪峰さんは、1988年に台湾高座会発足と同時
に会長となり、今も会長を務めています。その一方で、李登輝民主協会発足のときから常
務理事をつとめています。私より一つ年上ですので普段は親しみを込め「叔父さん」と呼
んでいますが、その毅然とした姿勢に敬服し、心から信頼する方です。

 今般は皆様と親しくお話しする機会を逸してしましたが、台湾においでになりましたら
歓迎いたしますので、ぜひお声を掛けてください。講演会のご盛会と皆様のご多幸を遥か
台湾よりお祈りしています。

 2013年5月10日

                         李登輝民主協会 理事長 蔡 焜燦