靖國神社「社報」3月号より転載
日本李登輝友の会事務局長 柚原正敬
現在、靖國神社には台湾少年工出身の戦没者六十柱が祀られている。しかし、日本を「第二の故郷」と慕う台湾少年工たちでさえ、桜の季節には靖國神社を参拝し、大村益次郎の銅像の下で「同期の桜」や「台湾軍の歌」を歌いながらも、戦歿した仲間が祀られていることを知らなかったのである。
それを知ったのはつい十年ほど前で、台湾少年工たちと交流を続けている野口毅氏(高座日台交流の会前会長)の尽力による。海軍少尉として台湾少年工の寄宿舎で寝起きを共にした野口氏が、戦歿台湾少年工の数が資料によって違っていることに気づき、靖國神社崇敬者総代を務める小田村四郎氏から、軍属なら_國神社に祭られているという助言を得、靖國神社に台湾少年工出身の戦没者が祀られていることを確認したことによる。
平成十一(一九九九)年四月、野口氏らは台湾少年工出身者とともに初めて靖国神社に昇殿参拝している。その後、彼らは来日するたびに参拝しているという。
台湾の人々が靖國神社について知る最もおおきな出来事はさらに後で、李登輝元総統が平成十九(二〇〇七)年の来日時に参拝されたことに求められるだろう。
実兄が祀られる靖國神社に遺族として初めて参拝した六月九日、境内は早朝から報道陣や歓迎の人波であふれ、上空には数機のヘリコプターが舞うという騒然とした雰囲気の中に、静かな緊張感が漲っていたことを思い出す。
李氏は曾文恵夫人や作家の三浦朱門・曽野綾子夫妻などを伴って到着し、貴賓室に通されると、南部利昭宮司に「兄貴と僕は二人兄弟で仲がよかったんです」と話し始め、「父は兄貴が死んだことを死ぬまで信じませんでした。気になって気になって仕方がなかった。今日、六十数年ぶりにやっと兄貴の慰霊ができます。ありがとうございます」と、くぐもる声で、目を潤ませながら静かに語った。隣室に控えていた私は込み上げて来るものを抑えられなかった。昇殿参拝が終わって貴賓室に戻ってくると、李氏は南部宮司に「長い間お世話になりました」と頭を垂れた。