【黄 霊芝氏を偲んで(五)】—–台湾の俳聖逝く—–

【黄 霊芝氏を偲んで(五)】—–台湾の俳聖逝く—–
【黄 霊芝氏を偲んで(五)】—–台湾の俳聖逝く—–
                 

              酒井杏子(さかい あんずっこ)

(3)――曇癖(くもりぐせ)――

 父(てて)無(な)しの泣寝入りぐせ王爺祭(おうやさい)    霊芝

 「泣寝入りぐせ」は人間の行為の習慣を表した言葉だが、「曇癖(くもりぐせ)」とは曇りやすい傾向にある天候のタイプを詠むときの俳句用語である。
 黄霊芝氏の一生を例えると、この「曇癖(くもりぐせ)」という一語に尽きるだろう。
曇がちな人生となった要因は「病」「時代」「行く末」で、これらは常に複雑に絡み合いながら氏の生涯に影を落とした。

* 「病」について
 生前、聞き逃してしまったことがある。氏の俳号「霊芝」の由来である。
通常「霊芝」は、古来仙薬とも神薬ともあがめられる漢方薬か、または吉兆の瑞(ずい)草としての意味をもつが、氏の場合はすがるような思いで、命を養う霊妙な働きのある漢方生薬に名を託したかと思えるほど、病につきまとわれた一生だった。
 数多(あまた)の病名のうちで、最も影響を与えたと思われるのは結核だ。当時不治の病とされた結核に年若くして罹患したことが、後年の俳句作家・黄霊芝ならびにその人間性を決定づけたと私は考える。
 十九歳で発症し、十六年にも及ぶ闘病の末、三十五歳で大吐血した時に医者から「もう治らない」と宣告された。死を覚悟した氏は一切の結核治療を止めて、台北郊外の山に隠棲し、生活のために豚の飼育や果樹栽培を手探りで始める。
 けれどこの生活は貧困と苦しみの連続だったにもかかわらず、何が功を奏したか、結核は自然治癒したのであった。
 私が知っている晩年の氏は医者嫌いで、西洋医学に全面的な信頼を置いていなかったのも、多分この当時の体験に根差したものだろう。近代医学の知識を鵜呑みにせず、不治の病を克服した自負は、やがて自己の叡智を最大の拠り所として物事を判断・処理しようとする癖を習慣づけたのかもしれない。
 病気を悪化させたくない一念から、ありとあらゆる手段と可能性を模索したであろうし、そのことが独自の行動規範を作らせたことは十分に考え得る。
 黄霊芝氏を「気難しい人」「変わり者」と評する人たちは少なからずいる。
「気難しさ」は、氏を半病人と断ずれば理解できないこともない。この気質は病人一般に通じる、思うに任せない自己へのもどかしさの裏返しである。それと共に、我儘を通さなければ、余力のある健常者と同等もしくはそれ以上に活動できないことを、氏が一番自覚していたからに他ならない。
 先に述べた合理的な一面も、消費エネルギーの無駄を省き、最短・最速の効率よい方法を無意識のうちに選択してきた結果ともいえる。
 また、「変わり者」との評もこの延長線上に位置付けられはしまいか。
その代表的なエピソードに「(氏に)贈り物をしたら『私に物をくれないで下さい』と断られ、不愉快な思いをした」というものがある。
誠に贈り主の心中は察するに余りあるが、これとても氏の年齢や健康状態・生活環境を慮(おもんぱか)れば、嬉しく有り難いと感じる以前に贈答の煩雑さ自体が重いのだと想像がつく。
まして氏のように礼儀を重んじた戦前の日本の教育を受けた者なら尚更に、返礼が思うに任せぬことは心苦しくあったろうし、贈答という習慣は時に苦痛に感じたであろう。
 病人や虚弱ゆえの辛さと強引さは、氏は人より顕著だったかもしれないが、そこには本業から離れた世俗的な雑事や煩雑さに時間をとられまいとする、作家としての処世術を私は見る。
 それでも病気によって“土砂降り”の人生模様にならなかったのは、結核を患っても死ななかったのと、自然と共生した生活を送る中で思わぬ拾い物をしたからだ。
 作物の豊凶にかかわる天候や、移り変わる季節の遅速、自然界の動植物の営みを具(つぶさ)に観察するうちに、俳句への関心が芽生え、自然を師とする俳人的な観察眼と感性が自ずから身に備わっていった。後にこうした体験がこの人に“台湾俳句の先(せん)達(だつ)”という大きな役割と、俳人としての才能を開花させることになろうとは、一陣の風や野に咲く小さな花々はその頃知る由もなかったが。
 こうして死と向き合った若き日の結核は、氏の人生を狂わせたが、他方で氏の歩むべき別の道を作った。もし死病を得なかったならば、あれほどの強い信念、鋭い観察眼、繊細な感情、日本語への執着と探究心を氏が持ち得たかどうかは疑問である。
 ただ、せっかく氏が病の淵から這い上がったにもかかわらず「曇癖(くもりぐせ)」の後半生となったのは、皮肉にも俳句を培った繊細で鋭い観察眼が、自己の身体に向いてしまったという置き土産を残したためである。
 氏は神経質なほどに体に現われる変化と諸症状に敏感だった。氏と交流した十年の間も、不眠症による体の不調・低体温症・皮膚病・足腰の衰えによる歩行困難等々、病名は枚挙に暇なく、電話やFAXでもそうした不定愁訴を訴えない時はなかった。
 私の方としては少しでも氏の苦痛や心配が軽くなればと、何度懇意にしている漢方の薬剤師や医師に相談を持ちかけたことか。
 しかし諸症状の多くは加齢または体質によるもので、問診の限りでは重症とは言えず、対処法を氏に返信するにとどまったが、それでも良いといわれたことは密かに実践していた節もあり、時々結果報告をしてくるところなど、ごく普通の可愛らしい老人という一面ももっていた。

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