【黄 霊芝氏を偲んで(二)】—–台湾の俳聖逝く—–

【黄 霊芝氏を偲んで(二)】—–台湾の俳聖逝く—–
                
 酒井杏子(さかい あんずっこ)

ひとは多面体である。対峙する相手によって見せる顔も、付き合う深さも違う。
私の知っている黄霊芝氏の印象が他人と同じとはかぎらない。それぞれの人が握る1ピースを集めた後、初めて黄霊芝像の全容が描かれたジグソーパズルは完成するのである。
 従って、ここではあくまでも私個人の黄霊芝像であることを前置きしたうえで、稿を進めていきたい。

(1)「人嫌い」「仙人のような」
 
 電話口での氏は(息が続かないこともあって)いつもゆっくりとした口調で、短いセンテンスに区切りながら慎重に言葉を選んだ。安易な妥協はしなかったが、人の話は最後まで黙って聞き、その上で自己のフィルターを通した忌憚の無い意見や率直な感想を直球で返すような人だった。
 その内容は言葉数が少ないだけに鋭くて濃密。まるで会話自体が俳句の手法を体現されているのでは?と思えるほどで、私にとっては氏との電話は常に真剣勝負だった気がする。
 それでも体調のよいときには茶目っ気のある冗談を挟んだり、よしんば優れない場合でも、敢えてこちらから可笑しい話題を提供したりすると、しゃがれて消え入りそうなか細い声で「ふ・ふ・ふ」と笑った。
 こういうときの氏は、眼光鋭く人を寄せ付けない風貌からは想像もできないほど、陽気でお喋りの好きな心楽しい台湾人であった。
  ・尾(ボエ)牙(ゲエ)や口には出せぬ火の車    霊芝 
(*現在の「尾牙」は主に社員一同を労う行事)
  ・賓客にバナナごときを出すなんて   〃

 氏の“人となり”を「人嫌い」「仙人のような」と評する人々がいる。
「仙人」との印象は、確かに台湾版・川端康成といった瘦身で人を射抜くような鋭いまなざしの外観からも、世俗を離れて山に住む暮らしぶりからしても、あながち的外れとは言えないのだが、本質的なところで氏が世俗を嫌い、人を疎ましく思っていたか?となると、私はそうではないと思う。
 氏が本当に人嫌い・世俗嫌いであったら、上句みたいな、川柳(せんりゅう)かと見紛(みまが)うような“うがち”(=裏の事情をあばいたり、人情の機微など微妙な点を巧みに言い表すこと)のきいた句や、明るくてユーモアたっぷりに人々を描きとめる句など作れるはずがない。
 俳句の底流には自然への情があり、川柳には人間への愛と慈しみがある。
 だから一見皮肉っているかに読める上句の底には、悲しくも滑稽な人の営みや思いへの共感があり、さらにそれを別の次元から見つめている作家・黄霊芝の、人間に対する温かなまなざしを私は感じてならないのだ。

 ちなみに俳句に関して少し触れておくと、日本の俳句と台湾のそれとでは持ち味が違っている。
 日本では「自然」が第一義であり、俳句とは自然が及ぼす人の心の動きや日常生活を諷(うた)うもの。そのため自然の範疇でも特に「時候」の変化によって起こる現象を「季題」とか「季語」といい、十七文字を支配する最も大切かつ大きな力を持つとされている。
 日本の俳句の句風は台湾に比べると多分に「静」である。それは自然というものに耳を澄まし、目を凝らし、心を添わして詠む文学だからであり、さらには日本古来の文学的土壌も加味されて、例えば「秘すれば花」といった感情を抑えることによって広がりを増す品格が好まれたり、あるいは滑稽な人事句だったとしても、その奥に潜んでいる人生の寂しさや深い味わいを引き出すような、落ち着いた心持ちの句を良しとする。
 これに対し台湾の俳句は台湾人らしい陽気さとおおらかさを備え、大雑把にザクリと光景や人心を掴む傾向が特徴であり、お国柄とでも言おうか興味・関心の対象は自然よりもむしろ人間にあり、目で見て分かる事物に即した句が多いように思われる。

 この特徴の違いが顕著に反映されているのが「歳時記」で、日台ではその目次の序列が異なっている。
 全てに目を通してはいないが、日本の主だった「歳時記」の目次の配列は、「時候」「天文」「地理」「人事」「動物」「植物」の順で、時候・天文・地理=自国の“自然”に関わる項目に最も重点がおかれ、その次に“人事”がくる。
 他方『台湾俳句歳時記』では「人事」が筆頭にきて、「自然・天文地象」「自然・植物」「自然・動物」と続く。つくづく人が好きなお国柄なのだと思う。
 日本の三つに細分化された「自然」は、台湾では「天文地象」一項目にくくられ、また動植物の順も、台湾は動物より「植物」が先に配されて多くのページを割き、鮮やかな色どりの花や豊富な果実が南国の台湾という風土を浮き彫りにしている。
 いつだったか氏が「『俳句はあくまでも“詩”である。詩がなくて、目に映った物や情景を伝えるだけではただの報告になってしまう』と、私は句会や勉強会で言っているんだけど」と、句作上の心得を話しておられたが、現実的な人の営みに興味・関心があるがゆえに、ともすれば即物的に陥りやすい台湾人の句風を戒めた言葉ではなかったかと、今にして思う。   
・あひる食ふ渡世(とせい)の話いつも銭   霊芝


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