【「台湾返還」の真実】中華民国自身が否定していた「台湾返還」

【「台湾返還」の真実】中華民国自身が否定していた「台湾返還」
【「台湾返還」の真実】中華民国自身が否定していた「台湾返還」 

日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載

             日本李登輝友の会 事務局長 柚原正敬
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 日本は昭和20(1945)年に台湾を中国(当時の中華民国)に返還した、という記述がま
かり通っているという現状がある。果たしてこれは歴史の事実なのだろうか。

 そこで本誌前号で、月刊「正論」5月号掲載の鼎談(猪瀬直樹・東京都副知事、八木秀
次・高崎経済大学教授、野田数・東京都議会議員の「日本は自衛のために戦った─マッカ
ーサー証言を取り上げた都立高校教材の衝撃」)を取り上げ、野田都議の『江戸から東京
へ』(東京都教育委員会編纂・発行)の本年度版では「日本の敗戦によって、台湾は中国
に返還」という記述が削除されたことを伝える発言を紹介、その指摘に猪瀬副知事も同調
していたことをお伝えした。

 また、結論として「台湾を領有し統治していた日本は、中華民国に施政権を移譲しただ
けで、返還はしていない。だからサンフランシスコ平和条約で台湾を放棄できたというの
が歴史の事実だ」と述べた。

 すると、読者の方から「平和条約では台湾は我が国の権限を放棄しただけで、『施政権
の移譲』を何処の国にも行っていません。このことを友の会として主張することは止めて
下さい。誤解を招くだけです」という指摘をいただいた。

 前号では、サンフランシスコ平和条約で日本が施政権を移譲したとは述べていない。い
ささかサンフランシスコ平和条約の説明が不十分だったので、このような誤解を招いたの
かもしれない。そこで、改めて「台湾返還の真実」について、1945年に何があったのか、
1951年署名のサンフランシスコ平和条約では何が決められたのかについて述べてみたい。

■台湾返還という歴史捏造の原因

 台湾を領有していた日本は大東亜戦争に敗れた後、マッカーサーが9月2日に発した蒋介
石の国民政府(中華民国)に降伏せよという「一般命令第一号」に従い、1945年10月25日
に台湾の台北市公会堂(現・中山堂)で行われた中国戦区台湾地区降伏式に臨んだ。

 この降伏式で日本は中華民国による台湾・澎湖諸島接収に応諾署名した。「台湾澎湖列
島の領土人民に対する統治権、軍政施設並びに資産を接収する」という「行政長官第一号
命令」を受け入れる。

 するとこの日、中華民国を代表して降伏式に臨んでいた台湾省行政長官の陳儀はラジオ
を通じ「台湾および澎湖列島は正式に中国の版図に再び入り、すべての土地、人民、政治
はすでに中華民国国民政府の主権下におかれた」という声明を発表する。

 実は、これが「台湾返還」という歴史捏造の真の原因だった。中華民国は台湾接収を命
じられただけにもかかわらず、中国の領土に復帰(光復)したと宣伝したのである。これ
によって、台湾人は中華民国の国籍に組み入れられた。

 その後、蒋介石の中国国民党政府は毛沢東率いる中国共産党軍との国共内戦に敗れ、19
49年12月、接収していた台湾に逃げ込み、居座らざるを得ない状況となる。大陸に帰ろう
にも帰れない状態が続く。それ故、占領軍にすぎない自分たちが台湾に居座る理由を失っ
てしまうため、「返還」に固執しなければならなくなった。つまり、中華民国に都合のい
い勝手な宣伝が「台湾返還」を定着させてしまったのだった。

■サンフランシスコ平和条約と池田首相答弁

 ところが、中華民国が宣伝するように、日本が台湾を1945年10月に中華民国に返還して
いたとするなら、その後、日本は1951年9月8日に署名したサンフランシスコ平和条約にお
いて台湾・澎湖諸島を放棄することになるが、なぜ放棄できたのか説明がつかなくなる。

 日本がアメリカをはじめとする連合国諸国と署名したサンフランシスコ平和条約は、そ
の第2条b項において「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求
権を放棄する」と謳っていて、これをもって日本は台湾と澎湖諸島を放棄した。中華民国
に施政権を移譲するなどとは定められていない。

 このサンフランシスコ平和条約では、日本は台湾と澎湖諸島しただけで、その帰属先に
ついては述べられていない。その帰属先を決定する権限はいったいどこにあるのだろう。

 サンフランシスコ平和条約の日本側の全権団の一人に池田勇人・大蔵大臣が入ってい
て、後に首相に就く。

 その池田が首相在任時の昭和39年2月29日、衆議院予算委員会において、台湾の法的地位
について重大な発言をしている。その発言を下記に紹介してみたい。

≪サンフランシスコ講和条約の文面から法律的に解釈すれば、台湾は中華民国のものでは
ございません。しかし、カイロ宣言、またそれを受けたボツダム宣言等から考えますと、
日本は放棄いたしまして、帰属は連合国できまるべき問題でございますが、中華民国政府
が現に台湾を支配しております。しこうして、これは各国もその支配を一応経過的のもの
と申しますか、いまの世界の現状からいって一応認めて施政権がありと解釈しておりま
す。したがって、私は、台湾は中華民国のものなりと言ったのは施政権を持っておるとい
うことを意味したものでございます。もしそれ、あなたがカイロ宣言、ポツダム宣言等か
らいって、台湾が中華民国政府の領土であるとお考えになるのならば、それは私の本意で
はございません。そういう解釈をされるのならば私は取り消しますが、私の真意はそうで
はないので、平和条約を守り、日華条約につきましては、施政権を持っておるということ
で中国のものなりと言っておるのでございます。≫

 つまり、台湾の帰属先はカイロ宣言やポツダム宣言で決められているのではなく「連合
国できまるべき問題」だと答弁し、台湾の帰属先は未定だと述べたのだった。

 また、この国会答弁のとき日本は中華民国と国交を結んでいたが、「台湾は中華民国の
ものなりと言ったのは施政権を持っておるということを意味したもの」とも答弁してい
る。

 つまり、日本が1945年10月の降伏式で受け入れた「行政長官第一号命令」に記す「台湾
澎湖列島の領土人民に対する統治権」とは施政権のことだった。

 施政権とは通常、立法・司法・行政の三権を指している。すなわち、日本は中華民国に
施政権を移譲しただけで、領土は「返還」していなかった。だから、サンフランシスコ平
和条約に署名した連合国諸国は、日本が条約締結時まで台湾を領有していたことを承認し
ていたがゆえに「放棄」も成り立ったのだった。世界が台湾を日本の領土と認めていたこ
とは、このサンフランシスコ平和条約が立証していると言えるだろう。

■「台湾返還」を否定していた中華民国

 実は、このサンフランシスコ平和条約を、中華民国自身が平和条約発効直前に日本と調
印した「日華平和条約」で承認している。

 中華民国は中華人民共和国とともにサンフランシスコ講和会議に招請されなかったため、
日本との戦争状態を「日華平和条約」の締結によって終了させた。その発効は1952年8月の
ことだが、調印はサンフランシスコ平和条約が発効する7時間30分ほど前の4月28日に台北
で調印されている。

 日華平和条約の第2条には以下のように定められていた。

≪日本国は、1951年9月8日にアメリカ合衆国のサン・フランシスコ市で署名された日本国
との平和条約(以下「サン・フランシスコ条約」という。)第2条に基き、台湾及び澎湖諸
島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが
承認される。≫

 中華民国がサンフランシスコ平和条約を承認したということは、この平和条約調印時ま
で日本が台湾を領有していたことを連合国諸国が認めたのと同様に中華民国も認めたこと
になる。つまり、中華民国に台湾を返還していなかったことを中華民国自身が認めたこと
に他ならない。これは、中華民国自身が「台湾返還」を否定したことになる。

 また、池田首相が答弁したように「施政権」の移譲であったことを中華民国自身が認め
たことになるのである。

 いささか長くなってしまったが、台湾返還問題にはこのような経緯があるので、先の本
誌で「中高の教科書は『返還』ではなく『施政権の移譲』と記述するよう今後とも文科省
に求めてゆきたい」と記した次第だ。

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