【台湾民主化の父逝去】「アジアの巨星」。邪悪に挑戦した「台湾のモーゼ」
【台湾民主化の父逝去】「アジアの巨星」。邪悪に挑戦した「台湾のモーゼ」 「宮崎正弘の国際情勢解題」より 「わたしは日本人だった」。「台湾人にうまれた悲哀」と歴史的な名言残して 何回もお目にかかった。その情景が様々な …
Friends of Lee Teng-Hui Association in Japan Aichi branch
【台湾民主化の父逝去】「アジアの巨星」。邪悪に挑戦した「台湾のモーゼ」 「宮崎正弘の国際情勢解題」より 「わたしは日本人だった」。「台湾人にうまれた悲哀」と歴史的な名言残して 何回もお目にかかった。その情景が様々な …
【産経・正論】台湾のコロナ対策と後藤の遺訓 産経新聞2020年4月6日 井上 和彦(ジャーナリスト) 「ありゃ、日本はどうしちゃったんだろう? すぐ脳裏に浮かんだのが後藤新平のことでした …
岩手県と台湾の関係は深い。台湾の民政長官をつとめた後藤新平(ごとう・しんぺい)や「台湾糖業の父」新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)、勅任官の台湾事務局委員を外務次官時代につとめた後に首相となる原敬(はら・たかし)、東京帝国大 …
【nippon.com:2019年8月25日】https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00739/ ◆知られざる戦前の高級住宅街 台北市の地図を開くと、数多くの公園が確認できる。 …
【WEDGE infinity「日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔」:2019年7月30日】 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16897写真:李登輝さんご一家(後列右:李 …
【日本李登輝友の会:機関誌『日台共栄』7月号「台湾と私」(43)】 私が初めて台湾を訪れたのは、1992年12月、会社の報奨旅行だった。 いま思えば、1987年7月の戒厳令解除からわずか5年あまり、まだまだ世情不安な …
【公開講座】「台湾の世界遺産候補地」 拓殖大学では、一般の方も受講できる公開講座を開催していますが、そのひとつとして、7月20日に 「台湾の世界遺産候補地」と題したシンポジウムが開催されます。 講師は、一般社団法人台湾世 …
【知道中国 1913回】 一九・六・念一 ――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(7) 鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年) 先ず現地入りし …
――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(7)鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年) 続きを読む »
【WEDGE infinity:2019年3月9日】http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15579 政治家・李登輝の信念は「民之所欲、長在我心」である。1995年、現役の台湾総統として …