NHK集団訴訟第1回公判での意見陳述(2)

NHK集団訴訟第1回公判での意見陳述(2)
以下は2月15日に東京地裁で行われたNHK集団訴訟での原告側の意見陳述の内容を紹介する。今回は柚原正敬・本会会常務理事・事務局長のものである。

意見陳述書

昨年四月五日にNHKが放映した「NHKスペシャル シリーズ JAPANデビュー・第一回『アジアの一等国』」を、なぜ未だに多くの人々が問題視するのか。それは、国民の税金と受信料によって運営している日本唯一の公共放送であり、NHKも「新放送ガイドライン2008」で公平・公正を謳いながら、その内容が偏向・歪曲していた上に、「やらせ」や「捏造」という恣意的編集が明らかになったため、視聴者に対する許しがたい背信行為と映じたからに他ならない。

当該番組に問題点は多々あるが、どこが「恣意的」編集だったのか、二点に絞って述べてみたい。

■「日台戦争」という呼称

当該番組には、台湾問題に携わっている者でも耳慣れない「日台戦争」なる呼称が登場する。番組のナレーションで「武力で制圧しようとする日本軍に対し、台湾人の抵抗は激しさを増してゆきます。戦いは全土に拡がり、後に『日台戦争』と呼ばれる規模へと拡大してゆきました」と説明するところで出てくる。

その出典の一つだという檜山幸夫・中京大学教授の『日清戦争|秘蔵写真が明かす真実』に当たってみれば、確かに第六章に「日台戦争」という小見出しの下、台湾の住民がいかに日本軍に抵抗したかが詳しく書かれている。だが、戦争の定義はされていない。「清軍兵士と異なり、彼らが頑強に抵抗した」ことをもって「日台戦争」と呼んでいるだけだ。

日本は下関条約で定めたように、平和裡に「二ヵ月以内に受け渡しを完了」できるものと思っていた。しかし、清国は手を拱くだけで何もせず、日本は武器を持った台湾側の抵抗に対しては武力を用いるしかなかった。確かに規模は決して小さくなく、このような武力衝突は戦争状態ではある。しかし、戦争は必ずしも宣戦布告を要件としてなされるわけではないものの、近代戦争ではほとんど宣戦布告されていることに鑑みれば、この戦いでは宣戦布告はなされていない。また、台湾側は台湾民主国のトップが早々に大陸に逃げたため、いわばゲリラ戦状態となっていたわけだから、それを安易に「日台戦争」と称するのは当を射ていない。ましてや日本軍の台北入城や台南入城は台湾人の有力者や商人などの一致した要望でもあったのだから、「日台戦争」という呼称は一面的で正確さに欠ける。

従って、この戦いは日清戦争という戦争後における治安回復のための所謂「掃討戦」に相当する戦いだったとするのが自然である。決して新たな戦争だったわけではなく、日本と台湾が戦争をしたという歴史的事実はない。

また、NHKはこの呼称が研究者の間で使われているとしているが、使っている研究者もいるという程度のことであり、教科書に登場したり、入試問題で使われるような一般化された呼称ではない。

この呼称を巡っては、平成二十一年五月二十六日に開いたNHK経営委員会でも問題視された。経営委員会で一番組を取り上げるのは異例だといわれるが、弁護士の小林英明委員が「このような歴史的事実がなければ、そのような内容の放送をすることが放送法に違反すると思いますが、どのようにお考えでしょうか」と問い質した。それに対して、日向英実・NHK放送総局長は「現代の専門家による新しい学会があり、『日台戦争』と呼ぼうということになっています」「日本台湾学会という学会があります。……そこの考え方です」と答えて、その根拠の一つと位置づけ、番組で使用した正当性を主張した。

しかし、当該番組の「資料提供」にも名前が出てくる日本台湾学会理事長の春山明哲氏に対し、私が六月二十五日に直接確認したところ、日向放送総局長発言を言下に否定し「学会ですから、用語を統一して呼ぼうということはありません。学会としても表明したことはなく、『日台戦争』という用語を題名に用いた論文も、私の記憶にはありません」という旨の返答だった。

従って、放送総局長答弁の嘘が明らかとなって正当性の根拠が崩れ、一部の研究者しか使っていない呼称をいかにも一般化されているかのように装って使用したのであるから、恣意的編集がなされたことは明らかであろう。

■「人間動物園」とパイワン族への取材

NHKは当該番組のナレーションで「当時、イギリスやフランスは、博覧会などで植民地の人々を盛んに見せ物にしていました。人を展示する、人間動物園と呼ばれました。日本はそれを真似たのです」と説明し、一九一〇年にロンドンで開かれた日英博覧会に参加した台湾・高士村のパイワン族の写真を掲げ、「植民地時代の差別」の象徴のごとく取り上げたのが「人間動物園」だ。

政府に提出された『日英博覧会事務局事務報告』では「本邦ノ品位ヲ損スルモノハ一切之ヲ許容セサルコトニ方針ヲ定メ而テ同時ニ英国当事者ノ希望ヲモ参酌シ」、「日本余興」として「一、会場内ニ日本家屋数件ヲ建築シ其ノ内ニ於テ日本物品ノ製作実演ヲ為スコト 二、「パノラマ」的ナル我田園ノ模型 三、アイヌ村落 四、台湾蕃人ノ生活状態 五、本邦演劇 六、独楽曲芸 七、活動写真 八、要馬術」を行ったことが記されている。

日英博覧会では何よりも「本邦ノ品位」に意を払い、日本物品の製作実演もすれば、演劇や手品なども行い、パイワン族ばかりではなく、アイヌ人もその生活ぶりを見せるために普通に寝泊りしていたのであり、戦いの踊りや戦闘の真似事もその中の一つだった。日本の品位を損するような「余興」は「一切之ヲ許容」しなかったのだから、パイワン族はむしろ「本邦ノ品位」を示すもの、つまり相撲などと同等のものとして披露された。

番組では「日本はそれを真似た」と、日本が主体的に「真似た」ように説明している。だが、NHKはこれまで「真似た」根拠について一切表示していない。その上、「当時……人を展示する、人間動物園と呼ばれました」と説明し、日英博覧会でも「人間動物園」と呼ばれていたと受け取られかねない説明をしているが、日英博覧会で「人間動物園」と呼ばれていたのかについても不明にしたままだ。

しかし、最新の研究によれば、日本は「真似た」のではなく、博覧会の主催者から請われたというのが歴史の事実だ。明治四十三年二月二十一日、パイワン族の派遣を要請した主催者である英国側の日英博覧会余興部を乙とし、日本側の台湾総督府民政長官だった大嶋久満次を甲として交わした「契約書」がある。その第一項目では「甲ハ日英博覧会中、台湾生蕃人二十四名ヲ右博覧会ニ出場セシムルコト」とあり、第三項では「甲ハ生蕃人ヲシテ日英博覧会会場ニ在テ乙ノ指定スル建物又ハ場所ニ生蕃人ノ生活状態ヲ作ラシメ公衆ニ示スコトヲ約ス」とある。

当該番組の説明では、日英博覧会が開催される経過やこのような契約書についての言及は一切ない。日本は英国側の主催者に請われ、「英国当事者ノ希望ヲモ参酌シ」てパイワン族などの「生活状態ヲ作ラシメ公衆ニ示スコト」を受け入れたというのが歴史の事実である。従って、日本が主体的に「真似た」とするNHKの説明は歴史事実と異なるのである。

また、日英博覧会に派遣されたパイワン族やアイヌ人たちは、あたかも檻の中で生活するようなイメージを喚起させる「人間動物園」と呼ばれていたのかというと、事実は異なる。日英博覧会でパイワン族がいたところは「台湾村落(The Formosa Hamlet)」と命名されていたのであって、決して「人間動物園」と表示されていた訳ではなく、そう呼ばれていたわけでもなかったのである。

だから、パイワン族の人々は日本から差別を受けたとは思わなかったし、逆にロンドンに滞在していることを得がたい異文化体験として捉え、文明化を学ぼうとさえしていたのである。それは、日英博覧会に参加したパイワン族の感想を見ればよく分かる。

日英博覧会から六年後、大正五年の『中央公論』七月号に掲載された中村古峡という作家の「蕃地から」という作品では、中村がテボ・サドガイという日英博覧会に派遣されたパイワン族の感想を取り上げ、中村の通訳者が「英国に居る間に台湾へ帰りたいとは思わなかつたか」と尋ねると、テボ・サドガイは「少しも帰りたいとは思はなかつた。却つて妻子を台湾から呼寄せて何時までも向ふに住んでみたかつたと答へたさうだ」と記している(山口守編著『講座 台湾文学』所収、河原功「日本人作家の見た台湾原住民」)。

また、日英博覧会から二十二年後、昭和七年に出版された鈴木作太郎の『台湾の蕃族研究』(昭和五十二年、青史社から復刻版)では、日英博覧会に派遣されたパイワン族が佐久間左馬太総督に述べた感想を「倫敦市街の宏壮佳麗なこと、商工業品の精巧なこと、機器機関の雄大なこと、人馬物貨の往来織るが如きこと又は金銀財宝の融通流るるが如きこと台北に幾十百倍なるかを知らない」と記している。

さらに、「翌四十五年五月十日より六月四日まで英国人『ウィリアム・プライス』氏が動植物採集の為に」訪台したとき、高士村のパイワン族の人々は「滞英中の恩に酬ゆるため」この英国人を招待して宴を開いたことも記している。この招待宴の席で、テイポ・サロンガイは「我等は未だ蕃地を発せざる前と入英後の感想とは全く一変じたのである。惟ふに世界中我等の如き野蛮なる人種はないであらう。速かに此の蛮習を脱せねばならない。之を脱せんとするには須く学問の力に依らねばならぬ。今後は力を子弟の教育に努め漸を逐つて開明の域に進み、英国までも留学すべき者を出し、終には世界の人々と同等の生活をなす日の来らんことを庶幾ふのである」と歓迎の辞を述べたという。

これに対して鈴木作太郎は「彼等蕃人と雖も教育を重んずる抱負は文明人と毫も変らないことが知れる。而して彼等は宴闌なるに及び約略記憶してゐた英語で応酬対話し一夕の歓を尽したとのことであつた」と、パイワン族が文明人と変わらないことを得心した様子で記し、その歓待の様子を驚きをもって紹介している。

テイポ・サロンガイは「今後は力を子弟の教育に努め……英国までも留学すべき者を出し」と歓迎の辞を述べた。昨年八月に来日したパイワン族の李文来氏は、高士村の教育程度は他の村と比べて高く、多くの優秀な人材を輩出していると、誇らしげに話していた。李氏自身も台湾では著名な国立高雄医学大学出身の医師で、台湾省議会議員もつとめた経歴を有している。これは日英博覧会に参加した高士村の人々が帰郷後、歓迎の辞で述べた誓いを守って教育に力を入れた結果であり、李文来氏の発言はそれを証している。

だから、日英博覧会に派遣されたパイワン族の息子の許進貴氏と娘の高許月妹さん兄妹や、来村の英国人が伝えた歌を今でも歌う華阿財氏などは「高士村の人々が共有する博覧会の美しい記憶として後世に語り継がれてきたものを、なぜ突然『人間動物園』という見方に変えてしまったのか。大変理解に苦しみます」と、NHKに抗議したのである。

つまり、NHKはこのような史料を無視し、日本は「生蕃人ノ生活状態ヲ作ラシメ公衆ニ示スコト」を受け入れた立場にもかかわらず、日本が主体的にパイワン族を「人間動物園」として「展示」して差別したという歴史にすり替え、歴史事実を捏造したのである。そして、それを傍証しようと許進貴氏や高許月妹さんを利用した。

NHKは「許進貴さん(兄)と高許月さん(妹)には、まず『父親たちパイワンの人たちが、イギリスに連れて行かれ、博覧会で見せ物になった』ことを説明し、その後、博覧会で撮影された写真を提示しながらインタビューを行っています」と説明している。

しかし、取材を受けた高許月妹さん自身は朝日新聞などの取材に「(NHKから)取材趣旨の説明はなく、突然来て父親の写真を見せられただけ」と説明し、NHKの説明を真っ向から否定している。つまり、「取材にあたっては、番組および取材の意図を事前に十分に説明し、理解を得る」と定めた「ガイドライン」に抵触するのは明白なことだ。

また、高許月妹さんは朝日新聞の取材に「涙を流したのは父を懐かしく思ったから」と話しているにもかかわらず、番組は、父が「人間動物園」として展示されたことをその娘が「悲しい」と発言して涙を流したように仕立て上げたのだから、これは明らかな捏造編集であり、「報道は事実をまげないですること」と定めた放送法に違反するのである。

さらに問題は、番組では高許月妹さんがパイワン語で話す場面を、字幕で「悲しいね。この出来事の重さ語りきれない」と映し出したが、朝日新聞は「パイワン語の専門家が発言を改めて約したところ『何と言えばいいか。(父のことは)よく分からない』となり、字幕とは符号しない」と指摘していることだ。

発言を的確に翻訳していなかったという朝日新聞のこの指摘が事実だとしたら、NHKは高許月妹さんの発言を捏造したことになる。翻訳ミスだとしても、翻訳検証を行わずに番組を制作したことになり、これではとてもパイワン人の「尊厳と基本的人権を十分尊重」しているとは言い難く、高許月妹さんの人権を侵害していることになるのである。

従って、NHKは番組出演者などからの抗議と訂正要求を受け入れ、速やかに謝罪して訂正放送すべきなのであり、これを以て私の意見陳述とする。

平成二十二年二月十五日

日本李登輝友の会常務理事・事務局長 柚原 正敬

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