http://mainichi.jp/articles/20171009/k00/00m/030/042000c写真:「蔡焜燦先生を偲(しの)ぶ会」で蔡氏の遺影を前に、出席者にあいさつする三男の清水旭 さん=東京都新宿区のホテルで(2017年10月8日、鈴木玲子撮影)
日本と台湾の交流に尽力し、今年7月17日に90歳で死去した台湾人実業家の蔡焜燦(さい・こんさん)さんを追悼する「蔡焜燦先生を偲(しの)ぶ会」が8日、東京都新宿区のホテルで開かれた。日台交流の民間団体などによる同会実行委員会が主催し、約200人が出席した。
蔡氏は、作家の司馬遼太郎氏の著書「街道をゆく 台湾紀行」の取材で案内役を務め、作品に「老台北(ラオタイペイ)」として登場する。
日本統治下の1927年に台湾中部・台中市に生まれ、旧日本軍に志願し、日本で終戦を迎えた。戦後は台湾に戻り、体育教師などを経て電子機器会社を設立した。台湾の李登輝元総統と親交が深く、日本語教育を受けた「日本語世代」の代表的人物の一人。日台交流の深化に尽力し、短歌愛好会「台湾歌壇」の代表も務めた。
出席者たちは白色の菊の花を献花した後、全員で黙とうをささげた。李元総統から寄せられた弔辞が代読され、その中で李元総統は、蔡氏が司馬氏の案内人を務めたことなどに触れ「(蔡氏は)日台関係に風穴を開ける大きな功績を残された方の一人。台湾の文化から風土、宗教、台湾人の気質にいたるまで、台湾に関するありとあらゆる知識を司馬先生に授けた」とたたえた。蔡氏の三男で日本国籍を取得した清水旭さん(60)があいさつし、「最後まで日本と台湾を愛した偉大な父でした」と語った。【鈴木玲子】