昨年11月17田、私が敬愛する大先輩、黄昭堂台湾独立建国聯盟主席が急逝した。黄昭堂
氏は1964年に起きた陳純真スパイ事件を契機に、聯盟の前身である台湾青年社に入り、以
来半世紀近く台湾近現代史と共に歩んだ。
黄昭堂先達についての思い出は多い。いつも穏やかでユーモアたっぷりに、相手の話を
ゆっくり聞いてから発言する。めったに怒らないが、一度怒り出すとすごい。こんな一幕
があった。
70年代の末、ワシントンDCでの会合に米国在住の郭雨新、彭明敏、カナダから林宗義、
イギリスから黄彰輝牧師ら長老が揃い、黄昭堂氏と私も参加した。開会早々、当時の聯盟
主席である張粲●批判の話ばかり。じっと黙っていた黄昭堂氏が立ち上がり、「粲●はわ
れわれを代表する主席だ。もしこの会が張主席を批判する会なら私は退席すると怒り出し、
「黄文雄、出よう」と言う。この剣幕に圧倒され、黄牧師は「まあ誤解しないで下さい。
これからの運動のための反省会だ」となだめた。
黄昭堂氏から「思いやりが足りない」とたしなめられたことがあった。実に重い一言で
ある。この一言が以後、私が心配りに気をつけるようになったのをはじめ、日本文化を研
究するきっかけになった。
黄昭堂氏の人となりについて、私が最も共感共鳴するのは以下の三人の言葉である。
「台湾独立運動は、黄昭堂の人生そのものだ」(羅福全)。「生涯の中で、出会った最も尊
敬する最高の人物」(金美齢)。「いつも、皆がいちばん嫌がることを自分一人で背負って、
誰もが欲しがることを全て他人にさし上げる。こういう人物は世の中で彼一人だけだ」(周
英明)。
最後に黄主席と会ったのは昨年10月、台湾である。23日に蔡英文選挙事務所設立の集い、
翌日に拙著『哲人政治家 李登輝の原点』の発表会、25日に聯盟事務所での打ち合わせで
顔を合わしたのが最後だった。本人も予期しなかった急逝だっただろう。
黄昭堂主席から、昔、渡部昇一先生に世話してもらったと聞かされた。私が渡部氏の著
書に「台湾独立を支持しない日本人は偽善者だ」と書いてあることを話すと、主席は「我々
にとっては神様のような人だ。会って最敬礼したい」と言った。それが私と交わした最後
の言葉になった。
50を過ぎてからは、家族の中で49歳まで生きた者は一人もいなかった、自分が最長寿だ
というのが口癖だった。神に召されるまで30歳の寿命を神から賜った。「台湾のためにも
っと頑張れ」という神意だろうか。私の母はクリスチャンであるが、私は無宗教者である。
それでも私は、黄主席と私の母の神に感謝したい。
涙の代わりに、感謝する以上に、これからさらに一生懸命に、黄主席の未完の道を進む
ことを誓いたい。
(●=洪の下に金)