た。その中でも烏来(うらい)の被害は甚大で、道路が寸断されるなど軍隊や消防、日本のNGO
が出動するほどであった。
2週間あまり経った8月24日、折しも青年部の台湾研修ツアーを終えて帰国するその日に高砂義勇
隊慰霊碑の現状を確認すべく烏来に向かった。MRTで新店駅までゆき、そこからバスで烏来まで
行くこととする。案の定、途中の清水巌で、ストップとなる。ここからは大きな車輌は通れないら
しく、清水巌で新北市政府が地元民用に用意した20人乗りのバスに乗り烏来まで行く。
もっとも、そのような情報はどこを調べても、またバス停にも一切出ていないため、新北市烏来
区と共同で慰霊碑を管理している「烏来郷高砂義勇隊記念協会」の方と連絡を取り合いながら何と
か烏来にたどり着いた。
烏来のバス停の待合所は川の上にせり出たように建てられている。台風の時は凄まじい雨量のた
め、川底から10メートル以上はあるこの待合所の床の部分まで水が上がったそうだ。その時の名残
で手すりが破壊されたままになっている。
烏来からは「烏来郷高砂義勇隊記念協会」の方のバイクに一緒に乗り瀑布公園に連れて行ってい
ただいた。道路には大きな岩がまだ放置されたままだ。瀑布公園周辺の道路は応急処置でアスファ
ルトではなくコンクリートのようなもので舗装され、公園入口は土砂で埋まっている。上を見ると
山の地肌が露出しており、そこから土砂が滑り落ちて来たことが分かる。
別の入口から倒木を避けながら遠回りしつつ、ようやく慰霊碑近くにたどり着く。慰霊碑の前に
あった鎮魂の鐘はそのままであったが、鐘の後にあった慰霊碑は完全に土砂で埋もれていて確認の
とりようがない。そして、その近くには慰霊碑の上に鎮座していた高砂義勇兵の銅像が無残にも転
がり、倒木と落石に埋まっていた。
お話を伺うと、朝4時から7時くらいにかけてものすごい暴風雨で、9時から10時ごろにかけて土
砂がずるずると滑り落ちてきたという。未だに地面が安定していないため、落ち着いてから確認し
たいとのことであった。
慰霊碑入口の左手に置かれたさざれ石や「鎮魂の碑」など関連する石碑などは土砂に埋もれてお
らず無事であったが、暴風にやられたのかブロックの一部が崩れ倒木が散乱している有様であっ
た。
この高砂義勇隊慰霊碑には最近、台湾人の大学生や高校生が訪れ勉強をしに来ていたという。自
分たちで台湾の歴史を学ぶために自主的に訪れているというのだ。今までは日本人が主となって訪
れ、英霊となられた戦歿高砂義勇隊の方々を悼み、感謝を捧げてきた。しかし今は、日台にとって
の大事な慰霊の場所であり、歴史を学ぶ場所という本来の役割を果たしている。この大事な場所を
もう一度、日台の絆を確認する場所として復興させたいと強く思った。