産経新聞の人気コラムの一つに「台湾有情」がある。台湾と断交した後も唯一支局を
置き続けた産経新聞らしく、支局長が執筆するこの「台湾有情」は、他紙の台湾コラム
よりも味わい深いネタが多く、掲載頻度も多い。
昨日掲載された「廟に響く君が代」と題されたコラムでは、台南の飛虎将軍廟を取り
上げ、その中に「渡辺崇之」という名前が出てくる(下記に掲載)。
「台北在住の日本人駐在員」とあり、もしかしたらと思っていたら、当の渡辺氏から
「こんにちは。台北在住の渡邊です。ご無沙汰しております。写真の郵送有難うござい
ました。無事台湾に届きました。李登輝友の会の最近の一連のご活躍を、嬉しく、頼も
しく台湾より拝見しております」とのメールをいただいた。
そう、李登輝学校研修団の第1回卒業生であり、この3月に行った第6回の卒業生で
もある、台北で会社を経営している渡邊崇之(わたなべ たかゆき)氏からだった(新
聞では「渡辺」であるが、本当は「渡邊」)。写真とは、第6回研修時に李登輝前総統
とご一緒に撮影した写真のこと。
渡邊氏によると、産経新聞とフジサンケイ ビジネスアイが行っている「日台スカラ
ーシップ」に、今回より渡邊氏の会社がスポンサーとして参画し、李登輝前総統などを
表敬訪問するために訪台したスカラーシップ当選者を、今回より渡邊氏が飛虎将軍廟に
連れて行くことになったことが事の発端だったという。
飛虎将軍廟へ行ってみると、伴奏の「君が代」CDがとても聞ける状態ではなかった
ので、後日、新しいCDを渡して来たのだそうだが、この話を産経新聞の長谷川周人・
台北支局長が聞き付けて同行し、記事となった次第だそうだ。
記事には「CDプレーヤーも寿命が近づいている」とあり、渡邊氏は「これを読んだ
元自衛官の方がCDプレーヤーの寄贈を申し出てくれた」とも伝えてくれている。そし
て「今後も台湾に在住するからこその草の根交流を地道にやっていきたいと思います」
と結んでいる。
3年前の平成16年(2004年)10月30日に第1回目の李登輝学校研修団を始めてから今年3
月の第6回まで、卒業生は約250名。先般開いた「台湾のWHO加盟を支持する集い」に
しても、本会の催しでお手伝いいただいている20代、30代スタッフの多くは李登輝学校
研修団の卒業生がほとんどだ。みな、台湾が大好きだ。
渡邊氏も研修団参加が台北に進出する転機となっている。「台湾に在住するからこそ
の草の根交流」の充実を心から祈りたい。
李登輝学校研修団の卒業生は、台北へ行ったときは渡邊氏のお店に立ち寄って一献傾
けて欲しいものだ。
ちなみに、飛虎将軍廟のことを日本で最初に紹介したのは名越二荒之助・草開省三偏
による『台湾と日本・交流秘話』(平成8年、展転社)だ。名越・草開両氏とも日本李
登輝友の会の設立時以来の理事である。しかし、4月11日、名越二荒之助理事がお亡く
なりになっている。心からご冥福を祈ります。 (編集部)
廟に響く君が代
【5月11日 産経新聞「台湾有情」】
台湾南部の台南の郊外に、終戦前年の空中戦で米軍機に撃墜された日本海軍の零戦パ
イロット、杉浦茂峰少尉を祭る廟がある。「鎮安堂 飛虎将軍廟」。杉浦少尉は、集落
への墜落を避けようと機体を引き起こして、間一髪でその惨事を回避したものの、自身
は機銃掃射を受けて戦死した。
勇気ある行動に感動した地元の有志が、「少尉の霊を慰めよう」と、1971年に小さな
ほこらを建立。「商売は繁盛。宝くじも当たる」といった「霊験」も広まり、ほこらは
崇拝の対象となった。日の丸を掲げている廟内には、少尉の「神像」が遺族から贈られ
た遺影とともに祭られ、管理担当の曹芳さん(76)によれば、毎朝5時、村人が君が代
を斉唱する。
ところが、この君が代のCDが今年初め、連日の酷使に耐えきれず、不調になってし
まった。「(年間1000人を超す)日本人参拝者の訪問時にも君が代は欠かせない」から、
無理もない。
これを知った台北在住の日本人駐在員、渡辺崇之氏(34)が先月、廟を訪れ、「日本
人の勇気に手を合わせる台湾の人々に感動した。日本人として感謝したい」と新品を寄
贈した。実はCDプレーヤーも寿命が近づいている。曹さんはしかし、「杉浦少尉は命
をかけ村を守った。今度はわれわれが神となった少尉を守る」と話している。
(台北 長谷川周人)