インタビュアー:西見 由章(産経新聞編集委員、前中国総局長)【産経新聞:2023年1月18日】https://www.sankei.com/article/20230118-AN4RWDPX4BPRVA763FVY6SIQOM/?220293
ネズミの仲間のヤマアラシは天敵が近づくと針状の剛毛を逆立てて身を守る。このため肉食獣も容易には手を出せない。中国による武力侵攻の脅威が高まる中、台湾軍の元高官や米軍事専門家が台湾当局に「ヤマアラシ戦略」の早急な導入を促している。
「空母対空母、戦闘機対戦闘機、戦車対戦車という伝統的な『対称の戦い』で、台湾が中国と争う力はない。双方の国防予算は20倍以上の開きがある」
台湾軍の制服組トップを2017〜19年に務めた李喜明・元参謀総長が昨年11月、産経新聞などの取材に台北で応じた。李氏は任期中、中国との軍事力の格差が拡大し続ける中で「非対称作戦」に台湾防衛の活路を見いだし、同作戦を核心とする「全体防衛構想」を打ち出した人物だ。
台湾の非対称作戦はヤマアラシ戦略とも呼ばれる。巨大な捕食者を前に大量の小さなトゲで身を固めるヤマアラシのように、強大な侵攻軍に対して分散型の小型兵器によって中国軍に深刻な痛み(打撃)を与え、占領を許さない策である。
「台湾が中国を抑止するために必要とするのは非対称戦力だ。それは、遠距離からの攻撃を受けにくく機動的で、精密打撃が可能な大量の小型兵器だ」と李氏はいう。ウクライナ軍は携行式の対戦車ミサイル「ジャベリン」や地対空ミサイル「スティンガー」などの非対称兵器でゲリラ戦を展開し、侵攻側のロシア軍を苦しめてきた。ウクライナ戦争前から非対称戦の重要性を叫んでいた李氏の先見性がうかがえる。
ただし李氏は「ウクライナは失敗者でもある」と指摘する。プーチン露大統領による侵攻を抑止できず、結果的に国土が廃墟(はいきょ)と化したからだ。プーチン氏がウクライナ側の善戦を事前に予想していたら侵攻は決断しなかっただろう。「最良の手段は敵を抑止し、手を出させないこと。そのためにも台湾は早急に準備を整え、中国の侵攻を成功させない能力があることを示さなければならない」
李氏によれば、安全保障上の抑止力は3種類ある。核兵器などの報復能力を相手に認識させる「懲罰的抑止」と、米国などが同盟国を守る「拡大抑止」は、いずれも台湾にはない。台湾は核兵器を保有していないし、同盟国も持たない。また米国は台湾有事への対応を明確にしない「あいまい戦略」を維持している。バイデン米大統領が何度か口にした軍事介入も法的根拠はない。米国が台湾有事の際にどうするのか、「実際に衝突が起きる以前の全ての分析は臆測でしかない」(李氏)のが現実だ。
台湾に残された道は、相手の攻撃を物理的に阻止する防衛力を持つ「拒否的抑止」しかないと李氏は強調する。では李氏が描く中国軍撃退のシナリオとはどのようなものか。今回の取材や昨年9月に出版された李氏の著書「台湾の勝算」を基に概説したい。
中国人民解放軍は台湾周辺で大規模な演習を実施し、侵攻をカムフラージュする。1500発以上保有する中短距離の弾道ミサイルや巡航ミサイルによって突然攻撃に転じ、台湾の飛行場や港湾、レーダー基地、発電所といった軍事・インフラ施設を徹底的に破壊。航空優勢を得た中国軍は、主力の侵攻部隊が強襲揚陸艦や民間の貨物船に乗り込み台湾海峡を渡る。
◆小型兵器は爆撃を生き残る
一方、台湾側は爆撃により戦闘機や大型艦艇に壊滅的な打撃を受けるが、分散配置していた機動式の小型兵器は大半が生き残る。沿岸に配置された車載式の対艦ミサイルや小型ミサイル艇、多連装ロケット砲、携行式ミサイルなどだ。
中国軍の上陸部隊が台湾近海に進入するや、台湾は敵の指揮管制艦と揚陸艦に海、岸、空から集中攻撃を加える。小型ミサイル艇や沿岸の対艦ミサイルが主力だ。上陸部隊の防御が最も脆弱になる水際でも、陸上発射型「ヘルファイア」ミサイルなどの精密兵器で致命的な打撃を与える。
それでも侵攻部隊の上陸を許した場合、台湾陸軍は持久戦で相手の戦力を削る「縦深防御」を展開。さらに志願制により創設した「国土防衛部隊」が、都市や山間部で正規軍と協力しながらゲリラ戦を行う。
つまり李氏の主張は、端的にいえばこうだ。軍艦や戦闘機、戦車といった伝統的な大型兵器は緒戦のミサイル攻撃で甚大な損害を被る。しかも、伝統兵器は質・量ともに中国が大きく凌駕(りょうが)している。限られた防衛予算をそうした高コストの兵器につぎ込むのではなく、爆撃を生き残り侵攻軍に深刻な打撃も与えることができる小型の非対称兵器に注力し、侵攻を抑止すべきだ─。
ただし李氏の退役後、全体防衛構想への転換は進んでいない。「私の後任者は(同構想を)あまり気に入っていない。軍用機や軍艦をつくり、戦車を買うという元の路線に戻ってしまった」と李氏はいう。非対称兵器の重要性は蔡英文政権や軍上層部も理解しているが、最新鋭の戦闘機や軍艦などは最低限の保有でよしとする全体防衛構想には軍内の抵抗も根強い。実際、中国軍による武力行使の一歩手前の威圧行為「グレーゾーン事態」への対処において、最新鋭の戦闘機や軍艦は有用だ。国民の士気向上にも役立つ。さらに、米国からそうした兵器を購入することは政治的な意義もあるからだ。
◆台湾の単独勝利は高いハードル
また、台湾単独で勝利する目標は高いハードルである。米シンクタンクの戦略国際問題研究所(CSIS)が9日公表した机上演習の結果によると、26年に中国軍が台湾に侵攻すると想定した24回のシミュレーションのうち、中国が明確に勝利したケースが2回あった。米国が直接介入しないシナリオと、日本が厳格に中立の立場をとり在日米軍基地を軍事作戦に使用させないシナリオだ。
一方、台湾軍単独でも台北陥落までは10週間かかり、中国陸軍は死者2万3千人を含む7万人が死傷するという結果も出た。速戦即決で自軍の死傷者を極力抑えたい中国当局にとっても非常に厳しい数字だ。台湾が非対称戦力の導入を進めれば中国軍の苦戦は一層顕著になる可能性がある。
CSISの報告書は「ヤマアラシ戦略の価値は机上演習でも示された」と指摘する。特に、米国からの購入が決まった車載式「ハープーン」対艦ミサイル400発は、緒戦で侵攻軍を弱体化させるのに大きな効果があったという。
ただし同報告書は、台湾では非対称戦略の導入が進んでいないとも分析している。台湾に残された時間は多くない。
(編集委員、前中国総局長)
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