載したところ、本誌にもいろいろな方からお悔やみをいただきました。ここにご紹介して
改めて哀悼の意を表するとともにご冥福をお祈りいたします。また通夜、告別式の日取り
も再度ご紹介いたします。 (編集部)
■斎 場 代々幡斎場
〒151-0066 東京都渋谷区西原2-42-1 TEL(03)3466-1006
京王新線 幡ヶ谷駅下車、南口出口より6分
小田急線 代々木上原駅下車、北口1より6分
http://www.yoyohata-saijyou.jp/
■通 夜 11月14日午後6時〜
■告別式 11月15日午前11時〜
■周英明(しゅう えいめい)先生
1933年(昭和8年)、福岡県八幡市に生まれる。1946年(同21年)、台湾に帰国。1956
年(同31年)、台湾大学電気工学科卒、「歯を食いしばって兵役(空軍少尉)を終え」、
1957年、台湾大学助手。1961年(同36年)、「激烈な競争を勝ち抜き」27歳にて日本文
部省国費留学生として東京大学大学院修士課程に留学。同時に台湾独立運動に従事。1964
年、早稲田大学留学中の金美齢氏と結婚。1968年、東京大学大学院博士課程修了(工学
博士、マイクロ波工学専攻)。1975年、台湾独立建国連盟日本本部委員長。月刊「台湾
青年」発行人(孫明海)。東京理科大学講師、助教授、教授を経て、1996年、理工学研
究科長、社団法人回路実装学会会長。2000年8月28日、40年ぶりに祖国・台湾の土を踏む
。2006年11月9日、大腸癌のため日本国にて逝去。
金美齢先生
日本李登輝友の会のニュース(メールマガジン「日台共栄」)で、周英明先生のご逝去
を知り、驚愕しました。ご病気であることもまったく知らないでいたので、金先生にお目
にかかりながら何も消息お伺いせず、礼を失したことをお詫びします。
今回紹介された周先生のご経歴を改めて読み、初めて李登輝先生にお会いする機会を共
に与えていただいたときに、周先生が「こうして今、私が台湾に来ることができるのはま
さに李登輝先生のお蔭なのです」と挨拶された日を思い出します。
私の記憶に残る周英明先生は、端正な顔立ちと物静かな語り口をもった優しい紳士であ
りました。秘められた闘志はどんなにか熱かったのでしょう。
遠くからではありますが、心よりご冥福をお祈りいたします。
[愛知県 鈴木 方人]
周先生の訃報、青天の霹靂で驚きました。言葉になりません。
先週末から台北へ行っていて、昨日帰ってきました。週明けのお通夜・告別式には参り
ます。
[栃木県 H・T]
覚悟はしていたのですが、もう周先生にお会いできないかと思うと、本当にかなしい気
持でいっぱいです。
こうして台湾に興味をもったのは、周先生からのあたたかいご指導があったからこそだ
と、思っております。4年前の台北高雄市長選挙に金美齢先生のツアーでご一緒したこと
が、昨日のことのように思い出されます。
台湾にいる間、何かこうしたことがあるかとは思っておりましたが。台湾にいるのが歯
がゆくも感じます。
人間には人の死からでしか、わかることができない生きる意味というのがあると思いま
す。私の場合、それは日本語世代の築いてくれた日台の遺産を受け継ぎ、日台共栄のため
に微力ながらも、一生懸命努力することなのではないかと改めて思いました。
格好悪いですけど、涙があふれて止まりません。台湾の地からご冥福をお祈り申し上げ
ます。
[台北 古市 利雄]
お悔やみ申し上げます
【11月13日 花岡信昭メールマガジン!).348号】
【訃報】周英明氏(東京理科大名誉教授、電気通信工学)
周英明氏(しゅう・えいめい=東京理科大名誉教授、電気通信工学)9日、大腸がんのた
め死去、73歳。通夜は14日午後6時、葬儀・告別式は15日午前11時、東京都渋谷
区西原2の42の1、代々幡斎場。喪主は長男、士甫(しほ)氏。
台湾民主化運動でも知られ「日本よ、台湾よ」などの著書がある。(11/11 05:04)
以上、産経の訃報記事。
謹んでご冥福を祈りたい。温厚、誠実な方だった。台湾民主化運動の闘士らしからぬ、
といっては語弊があるが、その情熱を心の中にぐっと秘め、常に穏やかさを漂わせていた。
産経のこの訃報記事は共同通信の配信のようだが、周英明氏は評論家、金美齢氏のご主
人であるということに触れていない。これは何か理由があったのだろうか。共同配信を使
って地方紙のいくつかには掲載されたが、産経以外の全国紙には見当たらない。これもよ
く分からない。
遅ればせながら、周英明氏の訃報とお悔やみをこのメルマガに掲載するのは、そうした
事情による。
周英明氏は日本で生まれ、戦後、台湾に帰った。金美齢氏は日本統治下の台北で生まれ
る。
その2人が運命的な出会いを果たしたのは、共に日本に留学したためだ。昭和30年代、
周英明氏は東大、金美齢氏は早大に留学、台湾独立運動を通じて知り合い、結婚する。
当時の国民党政府によって2人はブラックリストに載せられ、パスポートを剥奪される。
このため「第2の祖国」日本で不安定な生活を余儀なくされたが、2人の子どもを育て上
げる。金美齢氏は、その凛としたものの言い方で、日本の現状や台湾との関係などをめぐ
り、鋭い論評を続けておられることは、いまさら言うまでもない。
民主化された台湾の土を再び踏むまでに40年の歳月が必要だった。その間の事情は夫妻
の共著「日本よ、台湾よ」(扶桑社)に詳しい。
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