蔡焜燦先生が「榕樹文化」(2006年秋、第17号)に「これが殖民地の学校だろうか」と
題した一文を寄せ、母校である台湾・台中市の清水公学校の思い出をつづられたことを本
誌で紹介し、その全文を掲載したことがありました(11月4日付、第401号)。
その瑞々しい筆致に思わず引き込まれて一気に読んでしまいましたが、蔡先生はその中
に出てくる『綜合教育読本』を台湾で復刻、A5判(「文藝春秋」などの大きさ)の並製
本で、なんと552ページにも及ぶ大冊、重さは約1kgもあります。
表紙の紙は金色に光りつつも、縦書きであっさりと三行、右から「昭和十年八月」「綜
合教育讀本」「清水公學校」と墨色の楷書体で印刷されているだけで、とても上品な感じ
の装丁です。因みに、本の綴じ方は、辞書と同じ「糸かがり」という綴じ方で、何度開い
てもページが抜けにくいようになっています。この造本一つみても、蔡先生のお気持ちが
よく現れているようです。
この復刻された『綜合教育読本』の中で、蔡先生がその由来や復刻するに至る心情をつ
づられていますので下記に紹介いたします。
蔡先生から11月末に船便で『綜合教育読本』をお送りいただき、ご指示の関係各位に「
榕樹文化」のコピーを添付して寄贈いたしましたが、搬送の都合で表紙の角が少しつぶれ
たり、表紙が少し折れ曲がったりしたものが出ています。
つきましては、蔡先生のご了承をいただきましたので、そのような本でもよろしければ
ご希望の方には送料実費のみでお送りいたします。80円切手を5枚同封し、お名前とご住
所、「綜合教育読本希望」と記し、日本李登輝友の会までお送りください。ただし、その
ような本は10冊ほどですので、先着順とさせていただきます。 (編集部)
■切手のお送り先
〒102-0075 東京都千代田区三番町7-5-104号
日本李登輝友の会 『綜合教育読本』係
「綜合教育讀本」復刻について
昭和十年八月、台中州大甲郡清水街、清水公学校で、正式の学習以外の課外学習の為、
綜合教育讀本が発行された。
この綜合教育讀本発行の主旨は、当時、清水公学校の校長、川村秀徳先生が、本の序文
で述べられているが、当時、日本国内のあらゆる学校にもなかった、学校校内有線放送設
備が、清水公学校新校舎落成と同時に、日本全国に先がけて設置されたのである。そのた
め数百枚購入したあらゆる分野のレコードの内容を、活字にしてまとめたのが、この綜合
教育讀本である。
各教室にスピーカーが備え付けられ、学習は全校同時に放送されたり、学年別の学習に
使われていたり、全校児童が校庭で体操、剣舞、マスゲーム、行進の訓練などに使われて
いた。
当時、公学校三年生だった私は、高等科一年まで、讀本のありとあらゆるものを頭の中
にたたきこまれた。
又、四年生以上は、午前十時と午後二時に台北放送局は(JFAK)…因みに東京放送
は(JOCK)である…のニュース放送を聞き、その内容を各学年のレベルでノートする
勉強もあった。この設備は昭和二十年の終戦に、所謂日本教育の遺毒として、国民党政府
に取り壊された。
年を経る毎に、私は母校のこの設備に対する思いが強くなり、且つ、母校にこの設備が
あった事を誇りにする気持ちが高まってきている。生活が落ち着いてから、私はこの綜合
教育讀本の復刻を考えるようになったが、生来の無精者で今日まで手づかずであった。こ
の設備が出来たときから既に七十年、誰かがやらないといけない。幸い私のこの計画に共
鳴して手伝ってくれる心友もある。重い腰を挙げて、この仕事にとりかかった所以である。
願わくば諸兄姉、当時日本全国どこにもなかった設備を持った、私の誇りである母校の
歴史を、少しでも残したいという私のささやかな心願に、お褒めのお気持ちをいただけた
ら幸いである。
清水公学校第三十八回卒業生
蔡 焜燦
二〇〇六年仲秋