第4回台湾建国烈士 鄭南榕先生を偲ぶ会「祭文」 [佐藤 健二]

本日、ここに第四回台湾建国烈士・鄭南榕先生を偲ぶ会を執り行うに当り、参列者を
代表して鄭南榕先生の御霊に謹んで申し上げます。

 鄭南榕先生は昭和二十二年(一九四七年)九月十二日、宜蘭県において父鄭木森氏、
母謝恵琛女史の長男として生を享けられました。長じて昭和四十七年(一九七二年)、
葉菊蘭夫人と結ばれて一女竹梅さんを儲け、幸福な家庭を築かれましたが、中国国民党
の不条理かつ過酷な台湾支配に対しては終始一貫台湾魂をもって対決を辞さず、白色テ
ロの横行する戒厳令下の昭和五十九年(一九八四年)に自由時代社を創設、週刊誌『自
由時代』を創刊されました。そしてこの雑誌に拠って蒋介石・蒋経国一族及び中国国民
党政権の暗黒腐敗政治の実態を白日の下に晒す正義の言論闘争を展開されました。先生
は度重なる発禁処分や当局の脅迫にも断じて怯むことなく、常に台湾の独立と民主化、
そして言論の自由を求めて闘い続けられたのであります。

 またこの間、昭和六十一年(一九八六年)には長期に亙る戒厳令を解除すべく五・一
九緑色運動を組織し、台湾においては戦後初の大規模集会を敢行されました。また昭和
六十二年(一九八七年)四月十八日、先生は多くの民衆の前で当時誰もが口にすること
を恐れていた「台湾独立」ということを声高に主張し、人々の心に大きな衝撃を与えま
した。この四月十八日という日は、その後全土に広がる台湾独立運動の始まりの日とし
て深く歴史に刻まれるべき画期的な日であります。さらに翌昭和六十三年(一九八八年)
十一月には台湾新国家和平運動の一環として、全土を遊説して台湾独立を民衆に訴え、
次いで十二月、『自由時代』誌上に許世楷・台湾独立建国聯盟総本部主席が起草された
「台湾共和国憲法草案」を掲載して、中華民国体制に真っ向から戦いを挑んだのであり
ます。先生のこの一連の独立建国へ向けての勇気ある行動が、台湾の人々に台湾人意識
を覚醒させ、中国国民党支配体制を大いに揺るがすことになりました。

 翌昭和六十四年そして平成元年一月、先生はこの「憲法草案」掲載の科で、高等検察
庁から反乱罪の容疑を掛けられことになりました、しかし先生は「言論の自由」を強く
主張して出頭命令を拒否し、一月二十七日より自由時代社に立て籠り、「国民党が逮捕
できるのは私の屍だけである」との烈々たる闘志を示し、抵抗七十一日目に当たる四月
七日午前九時五分、警官隊が自由時代社を包囲する中、終に自らその身にガソリンを注
ぎ、壮烈なる焼身自決を遂げられたのであります。

 その時先生の身体から発した一つの炎は、燎原の火の如くその後多くの人々の魂に次
々と燃え移り、台湾の民主化、独立建国運動へと発展していく滔々たる時代の潮流を生
み出しました。先生は正にわが身を捨てて、台湾独立運動の鬼神となられたのでありま
す。

 今般の総統選挙においては、時に利あらず、台湾独立を主張し続けてきた民進党が敗
れ、再び政権が中国国民党の手に帰してしまいました。しかし、かつての独裁政権時代
とは異なり、先生が火をつけた台湾魂は、台湾の多くの人々の心の中に、我々は台湾人
であり中国人ではないという魂の叫びとなって燃え盛り、もはやその火を誰も消し去る
ことはできません。

 ここに、鄭南榕先生の身命を賭した輝かしい功績を顕彰し、その魂を継承し、台湾独
立が一日も早く達成することを祈念するとともに、日本と台湾とが共に真の独立国家と
して盟約を新たにし、両国が手を携えて極東アジアの平和と繁栄に寄与できますように、
在天の御霊のご加護あらんことを、畏み畏み申し上げます。

 平成二十年四月六日

                       日台交流教育会副会長 佐藤 健二



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