第12回「台湾李登輝学校研修団」に参加して[2]

[東京都 門 佳之]

 日本李登輝友の会が主催する「台湾李登輝学校研修団」(10月30日〜11月3日)は、今回で12回目を迎えた。毎回、台湾を代表する先生方を招いて講義をしていただき、間に野外見学などへ行き、最後は李登輝先生自ら講義をされ、修了証を授与するという流れである。

小生は韓国と縁を持ち、丁度10年前にソウルへ1年留学した。帰国後10年近く経つが、韓国について常々関心はあるものの、それとともに日本統治を15年も長く受けた台湾に対する関心が日増しに高まっていた。色々な情報に接する度に、両国を比較したくなり、何よりも李登輝元総統へ心酔していった。そして、今回の研修ツアーを知り参加を申し込んだ。李登輝学校はもちろん、台湾へ行くのも初めてである。渡台前、試しに旅行ガイドブックを眺めてみたらチンプンカンプンだった。韓国だけに慣れていたから、いわゆる海外初旅行のような気分だった。長くなることを承知で、今回の研修ツアーを振り返ってみたい。

研修とは関係ないことだが、台湾到着までに発見がいくつかあった。4月に仕事場を変えてから半年間利用していなかった日暮里駅の京成線ホームが、ついに改修が終わり上下2段のホームとなっていた。効率的になったのかもしれないが、外国人にも利用方法をしっかり把握してもらわなければ、返って戸惑う危険性があるのではないかといらぬ心配をしてしまった。

成田出発組は、日本李登輝友の会事務局の方を含め15人ほどで、事務局長の柚原正敬(ゆはら まさたか)さんも一緒だった。最近はメディア等方々で活躍されている方だから、近寄りがたい方なのかと想像していたが、細々(こまごま)とした仕事も含め、とても現場を気遣って下さり、研修中は個人的にも沢山お話して下さった。成田の出国審査では、指紋での自動通過を推奨され、おかげで帰りも含め、今後の海外渡航は時間を短縮できることとなった。

出発日の関東地方は天気晴朗で、高度何メートルだったのか分からないが、成田空港から東京湾、そして相模湾沿いを中華航空の機内から綺麗に見下ろすことが出来た。

「あそこがディズニーランド? 荒川? 羽田? 多摩川? 横須賀? 相模川? 東海道線?」

と自問しながら眺めていると、その先に見えてきたのが、雪化粧した日本が誇る富士山である。今夏20年ぶりに登った富士山をまさか上空から見下ろせるとは思わなかった。関東地方の地図を眺めているようで、母なる大地を見て感慨にふけっていた。

さて、桃園国際空港に降り立ち、台北から北へ1時間ほどの「淡水」が研修団の宿泊地である。正確には、「淡水」駅からひと駅南へ行った「紅樹林」駅にホテルがあり、その並び200メートル位のところに、研修場所の台湾綜合研究院がある。ここは淡水河口と接しており景色がよく、方々に高層マンションがそびえ立っている。不動産屋の店頭を除くと、3,000〜5,000万元(日本円にして1億〜1億5千万円)の物件がいくつも紹介されていた。日本との物価比較をしたら、実質3〜4億円くらいの物件なのではないか。

初日の夕食は、台北中心にある「喜來登大飯店(シェラトンホテル)」において、「台湾団結連盟(台灣團結聯盟)」の政党募金パーティーに招待された。

小生は和服に着替えて参加したが、過去11回の研修で和服参加者はいなかったとのことで、栄えある第1号となった。地下の大会場で我々研修団には3つのテーブルが用意されていた。この政党には精神的指導者として李登輝先生がいる。なにしろポスターには、黄昆輝党首よりも李登輝先生の顔のほうが大きく写っていた。

パーティー開会に伴い、李登輝・曾文惠ご夫妻が入場され、割れんばかりの拍手で迎えられた。李登輝先生と黄昆輝・台聯党首がそれぞれ30分ほどの演説をされ、その後は各種イベントやオークションなどが催された。最前列真ん中のテーブルに李登輝ご夫妻が座られたのだが、李登輝先生のところへは、ひっきりなしに人が集まっていた。事務局長の柚原さんが挨拶に行かれた時、李登輝ご夫妻は誰かからの頂き物に、

「フミエ(文恵)、こんなの頂いたよ」

と日本語で話していたそうだ。また、このパーティーでは台湾語だけが使われており、現地留学生や駐在員の研修参加者は、「こんなに台湾語だけの場所は初めて」とのことだった。

パーティーの半ば、隣のテーブルから50歳前後と見える男性二人がこちらのテーブルへ来て、神妙な面もちで、

「今日はありがとうございます。もし、台湾が独立するときは、どうか日本の皆さん、応援して下さい!」

と日本語で話しかけられてきた。

ところで、尾籠な話だが、和服の小生は用を足すのにトイレは必ず個室へ行かねばならない。天下の 喜來登大飯店(シェラトンホテル) のトイレは興味深かった。TOTO製まではいいとして、『流す』ボタンが、漢字も英語表記もなく、日本語表記だけだった。確かに5日間、方々でTOTO製のトイレを見かけた。研修場所の台湾綜合研究院もTOTO製で、洗面所の液体石鹸は『おす』という表記そのままであった。ここらへんの言語感覚は韓国と異なっているような気がする。似ているのは水の流れが弱く、トイレペーパーは添え付けのゴミ箱に捨てるということだが、近年ホテルなどでは流しても構わないようだ。

さて、二日目(10月31日)より、いよいよ本格的な研修が始まる。一人目の講師は、鄭清文(童話作家)先生。鄭先生のテーマは、『台湾の文学』。馬英九政権発足後、台湾における文学の教育は、古典の比率が上がり、大陸文学も増えてきているそうだ。鄭先生は、これに異を唱えている。台湾独自の文学をもっと取り上げるべきと主張する。鄭先生曰く、中国文学は貴族的で恋を語らないが、台湾文学は郷土文学で社会を描いているという。また、国民党政権時代の文学は宣伝・反共文学で、その対局として独裁に対する抵抗・写実の台湾文学が存在したとのことである。

元々台湾文学というのは30年くらい前まで認識がなかったそうで、それを研究しに行こうとした日本の 吉備国際大学 の岡崎郁子教授 が台湾の学者から、

「台湾文学ってなに?」

と訊き返されるほどだったという。講義終了後、質疑応答で小生は次のような質問をした。

「日本の国語教育においては近年、古典文学、例えば中国の孔子などの漢文も含め、もっと増やすべきではとの意見が出ているほどだが、先生は何故古典の比率が上がることに反対なのか?」

という問いに対して、やはり台湾と大陸は文化、言語など異なるという認識をされているようで、加えて、文法的に現代文と異なる古文を習っても意味がないという意外な答えが返ってきた。講義後の休憩時間に、参加者Sさんより、

「門さんの質問は全くその通りで同感です。でも、ひょっとして鄭先生の世代からすると、日本と違って歴史的に浅い台湾は、大陸から言語文化を受け継いできたという認識がないからかも知れないですね。私も意外でした」

とコメントして下さった。

続いての講義は、羅福全(元亜東関係協会会長)先生で、平成12〜16年まで駐日代表(駐日大使に相当)を勤められた知日派中の知日派と云ってもいいだろう。御年75歳だそうで、ほぼ人生の3分の1ずつを台、日、米で過ごされ、台湾人と云われなければ日本人にしか見えないほど日本語が流暢である。テーマは「世界情勢の中の台湾」。

まず、台湾を取り巻く現状から話された。鳩山政権発足は日本だけでなく、国際的にも変化を与える余地があるそうで、それは後述するが、台湾も馬英九政権発足1年半で大きく変わろうとしている。馬政権の傾中政策は、“終局統一”や“外交休兵(武力対立をしない)”などの標語からも分かるが、北京を満足させるものばかりである。実際に、国連加盟放棄や経済・文化面の統一が進もうとしている。

そういう現状下で、世界の中の台湾はどうなるのか。平成19年に国連の藩基文事務総長が、「台湾は中国の一部」と発言した際には、日米欧がこぞって反発した。このような背景には、台湾が中国に飲み込まれないためには、日米を中心として、常に台湾問題を「現状維持(Status quo)」にするという暗黙の了解がある。日米同盟が中国に対峙しているからこそ、台湾の現状が維持できるという『力の均衡』が働いている。その「力の均衡」状態を台湾が自ら崩して行ったり(馬英九政権のように)、日本が乱したりすることは(鳩山政権の外交の不安定さ)、中国がより台頭してきてしまい、東アジアの現状が維持できなくなると警鐘を鳴らした。

小生の拙文では分かりにくいが、羅先生は驚くほど分かりやすい講義で、その1時間弱のプレゼンテーション力にただただ感激してしまった。講義終了後、昼食も共にされ、途中から小生も横に座らせてもらいお話をしたが、明るくパワフルな人柄にとても惹かれた。

午後の最初の講師は、黄昭堂(台湾独立建国聯盟 主席)先生で、中華民国からの台湾独立を目指す政治団体の主席であるが、日本でも長く教鞭をとられていた。冒頭では李登輝先生のことを、

「あれ(李登輝)も、歳をとって耄碌(もうろく)してきたなぁ」

などと酒飲み友達を冗談で批判するなど、終始ギャグをふんだんに交えながら話をすすめられた。テーマは「馬総統下の台湾の状況」で、李登輝政権時代から現在までのおよそ15年の世論調査をまとめた資料を提示して下さった。このデータが圧巻であった。ちなみに国民党政権時代の世論調査は「どうも、あ・や・し・いんですよ!」と笑いを取っていたが、この世論調査に関して云えば珍しく公平だったとのこと。

まず台湾の独立についての意識調査では94年12月〜09年6月までの変化は、

「統一」と「現状維持後統一」を合わせた数値が 20.0%→9.5%
「独立」と「現状維持後独立」を合わせた数値が 11.1%→22.0%
「現状維持後決定」が 38.5%→34.7%
「永久現状維持」が 9.8%→26.0%

という結果となった。

もう一つ、アイデンティティの意識変化は、

台湾人:20.2%→52.1%
中国人:26.2%→4.3%
どちらでもある(※原文では「都是」としてある):44.6%→39.2%

という結果だった。

ちなみに、傾中政策の馬政権下で1年以上たったにもかかわらず、独立志向、台湾人志向の増加がこの間でも続いている。ここから云えることは、政権がどんなに中国へ傾いても台湾人は日々独立、台湾志向化しているということであり、もう馬英九を意識する必要が実はないのだと主張された。

終了後、小生は個人的に質問へうかがった。気になったのは中間派である。一見、中間派は数字的な変化があまり見られないが、これは中間派→独立派へと移った一方で、統一派→中間派へと移動しているからではないか。先生も同じ意見で、加えて「これからは中間派の数値が変わってくるだろう。今はまさに過渡期だ」とのことであった。一見笑いが先行してばかりだったが、データに基づいた核心に触れる講義であった。

丁度、黄昭堂先生の講義中に蔡焜燦先生が挨拶に訪れ、黄先生が最後に「私が最も尊敬する方です」と紹介して交替された。蔡焜燦先生は説明することもないだろうが、恐らく台湾一の愛日家と云っても良く、司馬遼太郎『街道をゆく─台湾紀行』の中で“老台北”の尊称で登場することでも有名である。その蔡先生が、この度台湾側の「台湾李登輝友之会」会長に就任されたので、挨拶に来られた。しかし、開口一番、

「今日は、本当は来たくなかった」

と仰った。

「自分にとって今日は忌日です。あの蒋介石の生まれた日(10月31日)だから」

とのことであった。そして、蒋介石時代の白色テロについて2つのエピソードを語って下さった。一つは、国民党の『呉伯雄』前主席の伯父(父親の双子の兄にあたる人)が、日本統治時代に裁判官となり、戦後も公正な方だったが、何の理由もなく国民党によって殺され、その殺され方も残忍で、男の局所まで潰されていたという。

もう一つのエピソードは、戒厳令時代に「火焼島(現在の緑島)」と呼ばれる政治犯収容所、要は島流しに遭った人が集まる場所のことで、ある日、収容犯が一日休みと云われた。蒋介石の誕生日だったのである。それを知らないある収容犯が「今日は何曜日?」と訊いた。この「何曜日」という言葉が台湾語で「拝幾(ッパイ クィ)」と云うそうだ。

台湾語で日曜日は「禮拝日」と呼び、月〜土曜日は「拝一日〜拝六日」と呼ぶのだが、不幸なことに「拝幾(ッパイ クィ)」と云う言葉が、「拝鬼(鬼=蒋介石)」と偶々同じ発音だそうで、勘違いされたこの収容犯は、この一言で刑が3年延びたという。

蔡焜燦先生は、お年を召したからなのか、以前テレビで見たような強い口調ではなかったが、もの静かに淡々と重々しくお話される姿は、心からあの蒋介石政権を憎んでいることがひしひしと伝わってくるものだった。この「ッパイ クィ」という言葉を覚えて日本へ帰って下さいと仰り話を終えられた。

ちなみに、蔡先生からは立派なパイナップルケーキのお土産が参加者一人一人に振る舞われた。

初日最後の講義は、呉明義(玉山神学院元院長)先生で、テーマは「台湾原住民の歴史」。冒頭、昭和9年生まれで小学校途中までしか日本語はやっていないから聞き苦しいかと思うと断りを入れられた。しかし、当時の担任や校長先生の名前をしっかりと覚えていらっしゃった。小生は担任の名前は覚えているが、校長先生の名前は誰一人覚えていない。

台湾の原住民の発生起源には3つの説があるそうで、南方からの海外発祥説、二つ目は大陸発祥説、三つ目が興味深かったのだが、本地発祥説というものだった。台湾の原住民が東南アジア、オセアニア、南米の方まで移動して行ったという、移動のベクトルが逆なのだ。実際に、はるか離れた民族が台湾原住民の文化と類似しているものが幾つもあるという。歴史をほとんど知らない小生は、台湾が17世紀、オランダとスペインにそれぞれ南北に進出され、その後鄭成功政権へと変遷して行く過程を初めて知った。鄭成功が日本人との間にできたハーフだったということも初めて知った。

講義後の質疑応答で、小生はオランダとスペイン統治に関する質問をした後、テーマとはあまり関係のないことだが、先生の小学校時代の日本についての思い出を聴かせてほしいとお願いした。すると、3曲ほど当時の歌を綺麗な声で歌って下さった。司会者が、先生は美声で名高い「アミ族」出身の方だと説明してくれた。

あっという間の一日だったが、これほど充実した講義は大学時代でもなかったような気がする。学生時代は最前列で平気で居眠りしてしまう最低な学生だったから、果たして起きていられるだろうかと不安だったが、むしろ周りより一人熱中して聴き入っていた。

夕食の会場には、どこかで見かけた老人が同席していた。映画『台湾人生 』の主役の一人、蕭錦文(しょう・きんぶん)さんである。さすが日本李登輝友の会である。そういう方と簡単にコンタクトが取れるネットワークを持っている。

蕭さんは乾杯前に、大東亜戦争前のアメリカの航空写真を見せ、アメリカは台湾総督府周辺を既に戦争前から偵察に来ていたのだから、日本は決して侵略国家ではないと声高に叫ばれた。映画を拝見した旨を伝え、写真を一緒に撮ってほしいとお願いすると、

「いいんですか、こんな年寄りと撮って?」

と笑顔で一緒に撮ってくださった。別れ際には、

「どうぞお体にお気をつけて」

と小生が云わなければならない台詞を先に云われてしまった。現在二・二八紀念館でボランティア解説員をされている蕭さんのところへ再会を強く誓った。

ホテルへ戻ってから鍵を落としたと思って、一人レストランへ戻り、初めて自力で現地の方と会話をした。言葉は全く出来ない。「キー(key)」をただ連呼するだけ。店員は栓抜きを持ってきた。身振りで訴えていたらやっとこさ通じ、探して下さったのだが、「メイヨ(ない)」と云われた。「ニーハオ」「シェイシェイ」とともに知っていた3つの言葉のうちの一つであった。初会話がなんとか成立した。と思ったら自室のカバンから鍵が出てきたので我ながら呆れ返ってしまった。

翌11月1日の午前最初の講義は林明徳(台湾師範大学教授)先生で、テーマは「台湾主体性の追及」である。

林先生は、日本統治時代から現代までの歴史を追いながら、現在の台湾のおかれている状況をお話された。日本統治時代の末期は皇民化が進み、その反発として台湾人意識が芽生えたが、蒋介石政権は、日本的なもの、台湾的なものいずれも全て排除し、中国的なものを“’高圧的に”植え付けようとした。日本統治の成果は、西洋文化・文明を日本を通して取り入れられたことであり、また識字率も85%まで高まり(同時期の中国は25%)、日本的な道徳観念が浸透していた。そういった文化的ギャップが、結果的に二・二八事件やその後の白色テロを生んだ原因であるとのことであった。

しかし、長年国民党政権下で台湾人意識は薄れ、大陸の悪質文化を流入させてしまい、李登輝政権以降に修正されつつあったが、馬英九政権で元に戻ろうとしている。結論として、台湾は主権があるものの法的に不正常なため、中国と対峙するには引き続き日米の動向が重要で「パワーバランス」の維持が必要である。期せずして前日の羅福全先生と同じことを云われた。日台が大陸に幻惑されることなく自主的に主体性を持つことが肝要とのことであった。

次の講義は、黄天麟(台日文化経済協会副会長)先生で、元第一商業銀行頭取、陳水扁政権時の国策顧問という台湾経済界の重鎮である。テーマは「台湾の経済とECFA」。この「ECFA(エクファ)」という名前をここで初めて使用したが、実は初日から何度かこの横文字が聞こえてきていた。黄先生がテーマとして採り上げたので他の先生方も話題の重複を避けていた。しかし、今回の研修で最も重要なキーワードだったと云える。

まず黄先生が前段階として説明されたのが、日台のここ20年の停滞状況である。とりわけ昨年の金融危機で最も被害を受けているのが両国で、共通しているのは対中傾斜・投資が著しいということである。加えて日本の円高政策は経済を弱体化させているとして円高奨励の榊原英資氏(早稲田大学教授)を痛烈に批判していた。

さて、黄先生は経済の「周辺化現象」を強調される。小さい経済圏が大きい経済圏に吸い寄せられ、やがては飲み込まれるという現象である。台湾は中国へ投資すればするほど、自らが弱体化して行き、気付いた時には中国経済の一部に取り込まれてしまいかねない。そこで問題となるのが「ECFA(Economic Cooperation Framework Agreement:両岸協力枠組み協議)」である。

恐らく日本にいては、ほとんど聞き慣れない、というか、誰も報道しないからだが、台湾では俄かに大きな問題となっている。馬英九政権が極端に対中傾斜している最たる政策である。FTAの台中版で、台湾を法的に独立国家として認められないところから生まれた名前のようだ。もし、これが台中間で進むと、双方の関税は撤廃されるだけでなく、台湾は中国以外との国々とFTAを結べなくなり、全て中国を通してモノ・金などが流れる仕組みとなるので、完全に台湾の周辺化現象が起きると予測する。もちろん、その先には政治・軍事を含めた統一が待っている。まさに「Eventual Colonization(終局的植民地化)Framework Agreement」と皮肉った。

黄先生からすれば、台湾は日本・韓国・ASEANをはじめ欧米諸国とFTAを結び、アジアは日台韓、ASEAN、中国の三極構造となることが望ましいと考えている。しかし、ECFA推進により台湾が中国に飲み込まれれば、中国とFTAを結んだASEANも飲み込まれていき、対中投資著しい日本もいずれは中国に周辺化されるかもしれず、中国一極の構造が出来上がってしまうと警鐘を鳴らす。その意味で、日本の動向も大変重要であるとのことであった。ここでも「力の均衡」が叫ばれている。

ECFAについては、初日に政党募金パーティーをやった台聯はもちろん大々的に反対しており、羅福全先生、黄昭堂先生、李登輝先生など全ての先生が反対している。しかし、現実に馬政権は異なる。質疑応答で、柚原事務局長が、まさに誰しもが訊きたかった質問をぶつけた。

「日本では一切報道されないECFAだが、実際どう展開して行きそうなのか?」

との問いに、黄先生は今の状況下ではECFAが締結されるのは止められないが、台湾側から条件を付けて結べるかどうかがカギであるとのこと。その条件とは、例えばECFAを結んでも台湾が他国とのFTAを結ぶ余地を持たせられるかどうかなどである。要は完全に周辺化されない予防措置がとれるかどうかである。この問題は今回の研修団誰しもが危機感を持ったと思われるインパクトある講義であった。ちなみに、

講義とは別の酒の席で、柚原事務局長が「日台間FTA構想を提唱した最初の人が中川昭一さんだったから、本当に惜しい人を亡くした」と語っていた。

この日(11月1日)の午後から翌2日は野外見学で、李登輝学校研修では初の「金門島」へ赴いた。

金門空港はタラップで乗り降りするという今時珍しい空港で、写真撮影も一向お構いなしであった。確か韓国では軍事機密上撮影は禁止されていたような記憶がある。面積約150平方メートルの金門島は、大体川崎市と同じくらい(142平方キロメートル)だが、川崎市が長細いのに対し、金門島の形は四国とそっくりである。

大陸の厦門(アモイ)と最短2キロしか離れていないこの島が中国領になっていないことが不思議なほどだが、半世紀前にはここを舞台に大変な砲撃戦が国共間で行われ、50万発も打ち込まれた砲弾が材料となって今は特産の『金門包丁』として売られている。小生も一丁買って母の土産にした。

1日半かけて観光地を回ったが、地下壕などの戦跡は激戦が繰り広げられていたことがよく分かる。中でも大陸と最も近い「馬山観測所」では、参加者の携帯電話が台湾ではなく中国側の電波に変わってしまうという珍事が起きて盛り上がった。中国側からすれば、いつでも金門島は奪えるから敢えて手を出さずに、事が起きた時ら利用するのではないかと邪推してしまう。

11月2日の夕方に淡水へ戻り、唯一の自由時間を参加者二人と台北中心へと地下鉄で観光に出かけた。新しい地下鉄は、日本と同じように女性専用車両があったり、駅のエレベーターも完備されていた。興味深かったのが、車内の飲食が禁止されており、それを破ると罰金を払わなければならないということだった。一方で、携帯電話は平気で使用していた。

外資スーパーの「カルフール」のお菓子売り場は、日本のお菓子が半分近く占めており日本語表記もそのまま、ついでに韓国企業のお菓子も進出しており、ロッテ、ヘッテなどのお菓子がこれまたハングル表記でそのまま陳列してあった。

11月3日最終日の朝は、ホテルから自転車を借りて隣駅の「淡水」まで30分で往復してきた。訪問介護ヘルパーの小生はどうしても公道を自転車で一度走ってみたいと思い、危険なスクーターの行列と一緒に自転車で並走したが、今思えば2時間後に李登輝先生と対面できるというのに随分とスリリングなことをしたものである。

和服に着替え、いよいよ李登輝先生との対面である。SP付きでサングラス姿の李登輝先生が登場した。あとで聞いたところによると、白内障の手術をされ、9月の来日時にもサングラスをかけていたのはそれが理由だそうである。

椅子に座られ、1分近くだろうか、一人一人の顔をゆっくり観回し、「金門島はどうでしたか?」と2、3お話をされてから、「今日は『台湾が直面する困難』という題でお話しようと思います」と原稿に目を向け本題へ入られた。

中国の大国化により、現在の台湾は指導者層がはっきりとした政策を打ち出せないまま“うわついてしまっている”。馬英九政権のことである。今の台湾は主体性なきまま、中国に踊らされ、根拠もなく結論ありきで物事を進めている。台湾の「意志」が欠落していると主張された。台湾が国際的に信頼されるためには、民主的な政治をしっかりと信頼されるものにしなければならない。台湾人の抵抗意識や確固たる意志が、結果的に中国をためらわせる要素となる。中国の悪口を云うことはないが、実態を世界に知らしめることが肝要で、中国一辺倒で交流するのではなく、日本などとも交流を深めねばならない。

講義中にいくつかエピソードを語って下さったが、李登輝先生が総統に就任して間もない頃、まず内戦に終止符を打たんがため国家統一委員会を設置し、国家統一綱領を作成することで、外省人の反発を抑えようとされた。これには李登輝先生の目論見があって、国家統一綱領を作成しようとすれば、必然的に統一が不可能だという結論に達すると分かっていたそうだ。外省人は見事に嵌められたのである。

また、馬政権が「九二共識」をもとに台中関係を促進しようとしていることについても李登輝先生は批判をした。92年に台中間で交渉された第1回協議で、中国側が「一つの中国」原則を持ち出したが台湾側は拒否したにもかかわらず、馬英九はあたかも合意したものとして今の政策を進めているそうである。李登輝先生は、就任間もない馬英九と会った際に、はっきりと「嘘をついたらいけない」とたしなめたそうだが、聞く耳持たずとのことである。

一通りの話が終わると、李登輝先生は、

「どうです、皆さん? 日本も同じでしょう?」

と鳩山新政権の迷走ぶり(特に東アジア共同体構想について)を批判していた。

「なんだか、日本は落ちたような気がするなぁ」

と我々にとっては冗談にならないような冗談も云われた。

 李登輝先生は、この日の40人の研修団のために、しっかりと原稿を作成されて来ておられた。以前の研修では原稿がなかなか仕上げられず夜中の3時までかかったこともあったそうだ。まさに、座右の銘「誠實自然」を実行されている。ついでに、李登輝先生は対談した漫画家小林よしのりさんのことを「よしりん」とあだ名で呼び、漫画もちゃんと読んでいるようだ。この日は9月の日比谷公会堂での講演と異なり、度々原稿から外れて、ちょっとした経験談などを語ることが多く得した気分であった。

「87歳になるけどね、まだ(ゴルフは)18ホール回れるんだ。あらかたの検診は済ませたから、もうやらない。あと5年は頑張る。やる人がいないもんだから私がやるしかないんだよ」

と笑顔で話されていた。その元気なお姿に頭が下がる。最後は一人一人に修了証を手渡され、お別れとなった。87歳だというのに、毎日のスケジュールはびっしりと詰まっているようで、すぐに次の予定へと向かわれた。

 一連のスケジュールが終了し、研修団も住まいの地域によって分かれて帰国の途に就いた。帰りの機内では、柚原事務局長と隣の席となり、李登輝友の会のことをはじめ沢山のお話をしていただいた。ちなみに、柚原さんの住まいは、小生が訪問介護で廻っているエリア内で、いずれ仕事中にばったり会うかもしれない。

あっという間の5日間だったが、ご覧の通り途方もなく長文となる程充実した研修となった。一先ずは、台湾語を習おうかと考えている。

李登輝先生はじめ講師の方々、事務局の皆さん、参加者の皆さん、そしてここまで読んでいただいた方々に心よりお礼申し上げる。

※上記の研修内容は、筆者の記憶と記録のみをもとに思い起こしているので、一部事実と異なることが記されているかもしれませんが、ご了承願います。大まかには間違っていないと思っております。

●第12回・台湾李登輝学校研修団 無事に終了
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