台湾出身戦歿者慰霊祭 祭文
先の大東亜戦争において日本国のために散華され、この靖国神社に祀られる台湾出身の神霊に対し、眞に日本と台湾の共栄を切望している私達参列者一同は、謹んで感謝と報恩の誠を捧げます。
顧みれば、昭和十二年の支那事変勃発以降、台湾人は軍属として従軍を開始し、昭和十七年四月に陸軍特別志願兵制度が実施されるや、千二十名の募集に対して、志願者四十二万五千九百六十一名、志願倍率実に四百十八倍、翌十八年には千八名の募集に対して六十万一千百四十七名が応募し、志願倍率は五百九十六倍にも達しました。昭和十九年からは海軍特別志願兵制度が実施され、これにも志願者が殺到されました。このような熱狂的な志願兵への応募は、世界戦史の上で、類がないことと言われています。
このように台湾からは軍人八万四百四十三名、軍属十二万六千七百五十名の、合計二十万七千百九十三名が従軍されました。特に昭和十七年六月には五百名の強者を選抜、「高砂挺身報国隊」と名づけられた部隊が結成され、フィリピンの第二次バターン攻略に参戦し、降り注ぐ弾雨の中、次々と進路を拓き、橋を架けるなど、正規軍を凌ぐ大活躍をされました。殊に南方諸島特有の密林地帯での戦闘では、その敏捷性、優れた視聴覚、軍律を厳正に保持する姿勢・態度は実に立派なものでした。南方各地の戦場から生還した多くの日本将兵が「高砂義勇兵のお蔭で生き延びられた」と語っております。
また、昭和十八年五月から翌年にかけて、八千四百余名の台湾少年工が、希望に燃えて神奈川県の「高座海軍工廠」に入廠、戦闘機の生産に従事しました。しかし戦争末期の空爆により、派遣先の防空壕内で、あるいは夜勤明けの帰途などで六十名が尊い犠牲になられました。
このように、台湾出身者で戦歿された方々は三万三百四名の多きにのぼり、この内二万七千八百六十四名が、ここ靖国神社に鎮座なされておられます。
私達は、私達の今日がそうした皆々様の尊い犠牲の上にあることを、決して忘れるものではありません。
現在の平和は勿論、日本と台湾の深い絆は、御霊からの賜り物と受け止め、ここに深甚なる感謝の誠を捧げるとともに、そのご恩に報いるため、日・台共栄に一層努力することを、お誓い申し上げます。
平成二十一年十二月十三日
日本李登輝友の会 理事 伊藤 英樹
第五回台湾出身戦歿者慰霊祭 参加者一同