本初の澎湖島(ほうことう)ツアー」をご案内し、9月に実施することになった。澎湖島は
日本とも歴史的な縁が深いにもかかわらず、「澎湖島観光」を謳ったツアーにはめったに
お目にかかれない。
中日新聞・東京新聞の台北支局長をつとめ、論説委員を経て、現在は台北に住んで大学
教師もつとめる迫田勝敏(さこだ・かつとし)氏が澎湖島に行った感想の一端を記事にし
ている。9月の澎湖島ツアーでも、この不思議な「日本軍上陸記念碑」に立ち寄る予定だ。
澎湖島 痛みは掘り返さずに
【東京新聞:2011年8月24日「世界の街から」】
台湾海峡に浮かぶ台湾・澎湖島は地図上では絶海の孤島に見えるが、実は日本との縁が
深い。日清戦争で台湾本島とともに日本に割譲され、日本軍は島の中心、馬公市に司令部
を置き、最盛時には七万人前後が駐屯。それだけに今も関連する遺跡が残っている。
その一つが日本軍上陸記念碑。碑は二つあるが、空港近くの林投地区にある記念碑は何
とも複雑だ。高い台座の上に碑があるが、周辺は野草が腰の高さまで生い茂り、入れない。
台座に続く低い石段への入り口をふさぐように道路が横断。その道路は少し高くなってお
り、ガードレールもあるので下へ降りられない。つまり記念碑に近寄れないのだ。
裏手の野草の少ない所を通って記念碑の下にたどり着く。記念碑は中央部分が一センチ
ほど削られ、そこに赤く上陸記念ではなく「抗戦勝利紀念碑」、裏には「中華民国三十四
(一九四五)年九月三日馬公要塞司令部」と彫られている。「日本軍撤退後、国府軍(蒋
介石軍)が上陸して日本の記念碑の文字だけ削って書き直したのだ」と古老が説明してく
れた。
このところ台湾では日本時代の遺跡の修復保護活動が増えているが、さすがに蒋介石軍
の記念碑となったものを元の日本の記念碑には直せないのだろう。野草を刈るなどの整備
計画も今のところないという。 (迫田勝敏)