http://japan.cna.com.tw/topic/column/201608030001.aspx
写真:9枚を掲載
◇玉木家との出会い
「家族を選ぶ上で大事だったのは、一つの家族でいろいろなことを語れるということ」(黄)
総勢100人近い玉木家。移民一家としては最大で、孫やひ孫など大勢が一緒に暮らしている上、
皆が集まる「アップル青果」という場所があったというのが、玉木家を選ぶポイントになった。ま
た、玉代さんには7人の子供がおり、それぞれが様々な経験を持つ。さらに、3世にはミュージシャ
ンとして活躍する慎吾さんがいたことも決め手になった。だが、一家の撮影は決してスムーズだっ
たわけではないという。
黄監督が玉木家で最初に会ったのは玉代さん。第一印象は「怖かった」と苦笑する。
「おばあちゃんは警戒心が強い。『撮影したい、インタビューしたい』って言われたら『いい、い
い』と断るタイプ」(慎)
「わたしは一生懸命台湾語を話したのですが、『このおばあさん、インタビューしにくい、ハード
ルが高い』と思って。最初、台湾系移民の人が集まる雑貨屋で玉代さんと会ったのですが、他の人
は親しみやすかったけれど、玉木のおばあさんは難しいと思いました。そのあとも玉木家には自然
と行っていないんですよ」(黄)
そんな状況の中、一家と黄監督を結び付けたのは、玉代さんの息子の茂治さん。華僑会の中心的
存在の茂治さんと交流を深めるうちに、玉代さんの米寿の誕生会に招かれ、それをきっかけに玉代
さんとの距離も近づいた。そして次第に撮影をしてもいい雰囲気になっていったという。
◇初めて知った祖母の過去
移民3世の慎吾さん。台湾とのハーフだということは小さい頃から認識していたが、祖父母の移
民の歴史を知ったのは、「八重山の台湾人」を読んでからだという。
「本を読んで衝撃を受けましたね。おばあちゃんはああいう性格なので、(自分が)若い時は口喧
嘩をしたりしてたんですね。口うるさくて嫌いになった時期もあって。だけど本を見て、本当に苦
労して、生きるか死ぬかですよね。石垣に来るってことも。大変な思いをして石垣に来て、だから
こそ僕はここに存在してるんだ。逆に感謝しないといけないのにそういうことを知らないでおばあ
ちゃんに当たったりしていたので、反省もしつつ。ほかの石垣のおじいさん、おばあさんも昔から
交流はありましたが、どういう関係なのかは全く知りませんでした。説明されても理解出来なかっ
たと思う。でも本を読むと関係が分かって、それがきっかけで歴史に興味をもつようになりました
ね。それまでは全く無かったんですが」(慎)
慎吾さんは玉代さんの里帰りの旅に同行。台湾を訪れるのは実はその時が初めてだったという。
それにも関わらず、外の空気を吸った際、不思議な感覚にとらわれた。
「においが印象的でしたね。懐かしいし、『このにおい知ってる』と思って。外なのになんでって
思って。おばあちゃんのにおいがする(笑)。おばあちゃんと一緒に住んでるんですけど、おばあ
ちゃんの部屋のにおい。線香とか化粧品とかのにおいなんでしょうね」
◇近くて遠い… 八重山と台湾
タイトルの「海の彼方」には、近くて遠い台湾と石垣の複雑な悲しい歴史に対する思いが込めら
れている。
「台湾と石垣はとても近いですよ。フェリーでも一晩で行ける距離なのに移民にとっては遠い外
国。すごく遠い外国の海の彼方。そう考えるととても悲しい。国境の島とも言えるのに、そんなに
近いのに(かつては)密入国しないと行けないとか。今でも那覇を経由しないと行けない。とても
遠い。でも地図で見るとすごく近い。玉代ばあさんはラジオで台湾の宜蘭地方の台湾語ラジオを聞
いています。ラジオの電波が届くほど近いのに行けない。特に無国籍の時は台湾にも帰れないし、
日本人としても認められなくて。そういうのを考えると私は海が重要だと思いますね。八重山とい
う島で、すぐ海が見えるのに、台湾に行けない。台湾、石垣、どちらにとっても『海の彼方』です
よ。どちらにとっても遠い」(黄)
◇ドキュメンタリーの社会的責任
昨年、台湾生まれの日本人、いわゆる「湾生」の姿を追ったドキュメンタリー「湾生回家」が台
湾で公開され、興行収入3000万台湾元のヒットを記録した。湾生も、「海の彼方」で扱われる台湾
移民も、歴史に翻弄されながらも、これまであまり知られていなかった存在だ。黄監督は「ドキュ
メンタリーの社会的責任はみんながわからないことを発掘して、世の中に出すこと」だと力説す
る。
「八重山の移民については研究や論文もありますが、どれだけの人に伝わっているかはわからな
い。一般の人が読むものではないので。ドキュメンタリーは映画という媒体でより多くの人に見て
もらうことができます。去年の『湾生回家』もそうですが、それらはみんなが知らないけれど知る
べきテーマ。日本人としても、台湾人としても、自分の国の歴史の一つとして、一つの現状とし
て、今まだ存在するけれども長年忘れられてきた人の歴史や運命、どういう経緯でこうなっている
のかを伝えるドキュメンタリーは、社会的に必要だと思っています」
◇歴史を「感じてほしい」
「『人』のドキュメンタリーが好き」だと語る黄監督。ドキュメンタリーは知識を得るととも
に、いろいろなことを「体験」できるのが魅力だといきいきとした表情を見せる。
「今まで隠されていた歴史を『知らせる』というよりは『感じてもらう』。見て、一緒に旅をし
て、石垣にそういう人が存在するということを、映画の家族のストーリーに一緒に入って体験でき
る。それは映画の力であり、魅力ですよね」
台湾の観客の中には、作品を見て自分のおばあさんを思い出したという人もいたという。同作を
通じて自分の家族を思い出し、「自分の過去を反省して、未来を改めて考えてくれれば」と監督は
作品にかける思いをのぞかせた。
◇野外上映会や講座を開催予定
同作は台湾では9月30日、日本では来年春に公開予定。同作には映画祭版と劇場版の2バージョン
があり、一般公開では劇場版が上映される。映画祭版は家族の旅にスポットを当てているが、劇場
版は歴史的な要素がより多く加えられるという。公開を前に、台湾では様々な催しが企画されてい
る。
9月中旬には、石垣から最も近い東部・宜蘭のビーチで野外上映会を実施。上映後には音楽パ
フォーマンスも予定されており、慎吾さんもステージを披露する。慎吾さんは玉代さんのために
作った歌を「台湾語で歌いたい」と意欲的だ。
また、9月から10月にかけて、台北と台中で八重山の台湾人をテーマにした展覧会を開催する。
台中を選んだのは、移民の多くが台中や彰化の出身だからだという。さらに、台湾移民だけでな
く、沖縄と台湾の交流史など幅広いテーマを設定した講座を台湾各地の大学を中心に、書店やカ
フェなどでも複数回開く。
◇ ◇ ◇
黄インイク監督:
台湾・台東市生まれ、現在日本在住。政治大学テレビ放送学科を卒業後、日本に留学し、東京造形
大学大学院で映画専攻修士を取得。2010年に「五谷王北街から台北へ」でドキュメンタリーデ
ビューし、これまでに製作した作品は世界各地の映画祭に出品されている。2014年には映画監督の
河?直美がプロデュースした奈良国際映画祭とジュネーブ芸術大学の共同制作プロジェクトに参加
した。「狂山之海」の第2弾「緑の牢獄」、第3弾「両方世界」は現在製作中。
※画像は全て木林映画提供
(名切千絵)