李登輝氏が日本に訴えた中華秩序との対決【下】[首都大学東京3年 和田 浩幸]

全日本学生文化会議という「学生にとって大切にすべきことや重要な問題について活
発に意見を論じ合い、次代の日本を担う人材にふさわしい見識を身につけるべく研鑽に
励んで」いる研究活動団体がある。

 昭和59年(1984)、全国の大学サークルである「日本文化研究会」「国史研究会」
「日本教育研究会」などの代表が集まり、サークル間の連帯と相互研鑽を深め、学問的
深化を図るために、日本の文化や歴史、日本思想、国際情勢等に造詣の深い当代一流の
先生方に顧問に就任戴き、結成されたという。

 オピニオン誌として月刊「大学の使命」を発行している。7月12日発行の第190号で「特
集/台湾前総統、『李登輝氏』訪日」を組み、「学生による台湾論」として下記の3編
を掲載している。

1、李登輝氏が日本に訴えた中華秩序との対決 首都大学東京3年 和田浩幸
2、李登輝前総統の靖国神社参拝の意義 甲南大学5年 坂 直純
3、日台連携に生きられた草開省三先生にお話を伺って 福岡教育大学4年 平田無為

 学生の論文だからと甘く見てはいけない。なかなか読み応えがある。本誌では全日本
学生文化会議の許可を得て、李登輝前総統の来日に関する和田浩幸氏と坂直純氏の論考
を順次ご紹介したい。いささか長いので、それぞれ2回に分けて紹介したい。

 これまで本誌で紹介した来日に関する論考やレポートなどはすべて李登輝前総統にご
覧いただいている。本稿ももちろんご覧いただく。自国に誇りを持つ若い世代に関心の
深い李前総統だ。目を細めて喜ばれる様子が目に浮かぶようだ。

 では、まず首都大学東京3年の和田浩幸氏の論考から紹介したい。文中の漢数字を算用
数字に改めたことをお断わりする。                   (編集部)

■全日本学生文化会議
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 TEL:03-3476-5759 FAX:03-3476-5710
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 申し込み先 shimei@lycos.ne.jp


李登輝氏が日本に訴えた中華秩序との対決【下】
―今、国家のアイデンティティが問われる時― 

                         首都大学東京3年 和田 浩幸

■李氏の台湾民主化に懸けるロマン

 多くの日本人が、固唾を呑んで一言一句逃すまいと熱い視線を注ぐ李登輝氏とは如何
なる人物なのであろうか。簡単にその歴史を振り返ってみたい。

 李氏の先祖は、大陸から渡ってきたいわゆる「客家」であり、李氏はその何代目かの
子として1923年台湾に生まれた。そこで受けた教育こそ台湾における日本統治時代の教
育であった。李氏は、その正統な学歴を歩み、公学校、旧制中学、高校を卒業し、京都
帝国大学に入学した。大学においては、農業経済学を学び、それが後に中国から渡って
きた国民党主席蒋介石の跡を継いだ蒋経国に登用されるきっかけともなった。

 大学時代は、万巻の書を紐解き、生とは何か、死とは何かということにつて真剣に考
え抜かれた。そのような気質ゆえであろうか、大東亜戦争期の学徒出陣の際には、帝大
のエリートでありながら、前線に向かい危険性が極めて高い歩兵に自ら志願されるほど
であった。

 大東亜戦争を生き残られ、戦後は台北大学、コーネル大学と更なる学問研鑽を積まれ
た。その後、1971年に国民党に入党、1973年には台北市長になられている。李氏自身は
政治の道を歩む気持ちはほとんどなかったが、蒋介石の死後、1984年には蒋経国によっ
て、副総統に抜擢された。そして、「総統職の継承は憲法に従って行なわれるべきもの
であり、蒋家のものが総統職を継ぐことはない」との蒋経国の意向もあり、彼の死後、
1988年7月国民党大会において総統職への就任が決まった。

 日本統治時代の教育を受け、戦後は祖国・台湾への憂国の情に燃えた李氏が大陸から
渡ってきて外省人と現地の本省人とを厳格に区別し、1947年の二・二八白色テロを実行
した国民党に入党したのは、不思議なことのように思われる。このことに関して、『李
登輝−新台湾人の誕生』の著者である角間隆氏は次のように述べられている。

「要するに、当時の台湾には『国民党』以外の政党が存在せず、李登輝氏が本当に『台
湾のために奉仕』しようとすれば、嫌でも国民党に入党せざるを得なかったのである。
(中略)
 そして、この瞬間(国民党総統として蒋介石時代の白色テロの全貌を明るみに出し、
同時に直接、犠牲者の遺族に陳謝した)から、かつて南京を首都に中国大陸全土に覇を
唱えていた『中国国民党』から、台湾の台湾人の台湾人のための『台湾国民党』へと、
党の性格そのものを根本から変えてしまったのだ。
 だからこそ、2000年3月の総統直接選挙の時に、『国民党』が予想外の敗北を喫して、
『民進党』の陳水扁候補が第4代総統(第10期総統)の座に就いて、歴史的な一党独裁時
代の幕引きをした際にも、李登輝氏は全く騒がず、
『これが民主主義なのだ』
 と呟いて、むしろ微笑みさえ浮かべて、21世紀を背負って立つ若き獅子に、心からな
る祝福とともに全ての権力を禅譲したのである。」(角間隆著『李登輝−新台湾人の誕
生』)

 李氏は、総統就任後、長きに渡って敷かれていた戒厳令の解除や「新党の結成」を認
める法案作成など矢継ぎ早に民主化への道を突き進んだ。そして、「いつか、かつて我
らのものであった中国大陸の覇権を取りもどさなければならない。今は、そのための力
を蓄えているに過ぎない」というかつての国民党の方針を一転し、99年の「台湾と中国
は特殊な国と国の関係である」という二国論の表明に象徴されるように、新しい台湾の
モデル、氏の言うところの「新中原」の確立へと着実に歩んで来られたのである。

 しかし、2000年の総統選挙において、出馬すれば再選が確実と思われていた李氏は、
政界引退を発表し、次の世代に総統職を譲渡する意向を示した。結果、民進党の陳水扁
が勝利し、中華世界において始めて国民による選挙によって、政権交代が果たされると
いう歴史的快挙が成し遂げられた。これは、李氏が訴え続けた台湾人による台湾のため
の政治が平和裡に実現された待望の瞬間でもあった。

■今こそ確立すべき日本の国家のアイデンティティ

 李登輝氏は、講演会において、台湾民主化の意義を我々に訴えかけ、かの共産党一党
独裁の中国にまで民主化のうねりを起こそうと言われた。これは、あまりにも果てしな
く不可能とも思えるような話であった。しかし、このような李氏の発言は不可能を可能
と思わせるようなプラスの力で満ち溢れているように感じられた。それは、李氏が歩ん
で来た「結果を残す政治家」としての存在感がもたらすものなのであろう。

 台湾において、国民による平和的選挙によって民主化が実現された。このことによっ
て、台湾は大陸の中共とは一線を画するようになったのである。中国でも1980年代、民
主化運動が盛んに行なわれていたが、1989年の天安門事件を境に、共産党政権への怒り
の矛先は反日という形に取って代わられるようになってしまった。

 そして、つい最近まで、日本政府は中国の歴史認識を中心とした反日政策に対抗する
ことができず、ただひたすら謝罪を繰り返すばかりだった。しかし、中西輝政京都大学
教授が「小泉前首相の靖国参拝を機に、歴史の季節から安保の季節へと変わりつつある」
と指摘される通り、いまや日中両国の情況は大きく変貌を遂げている。事実、今回の李
登輝氏の訪日に関して、反日勢力が期待した中国からの抗議はほとんどなかった。今後
の日中関係の在り方について、評論家の石平氏は以下のように述べられている。

「日中間の抱えている対立点と問題点のほとんどは、そもそも、完全に解決することが
不可能なものである。(中略)靖国問題もそうである。それぞれの民族的アイデンティ
ティ・国家理念・伝統文化の相違から生じてきたこの対立は、最初からいわば『文明の
衝突』として、妥協のできないイデオロギー紛争の側面を強く持つものである。
 つまり、諸々の解消法のない深刻な対立を抱えながら、それでもできるだけ安定した
相互関係を作っていくべきなのは、日中関係の宿命である。日本はこれから、国家の尊
厳を懸けて中国という巨大な存在と対峙しながら、この国との全面衝突という『最終局
面』だけは避けなければならない。大変な難題ではあるが、中国大陸の近海から引越し
することができない以上、日本という国はこのような宿命を背負っていくしかないので
ある。」(石平著『日中の宿命』)

 国家のアイデンティティの源泉である歴史で二度と負けない、という気概を持つこと
は勿論、我々自身が中華思想を凌駕するだけの国家理念を国内で打ち出していかなけれ
ばならないのだと強く思われてくる。

 李氏は、ご講演の中で前述の通り、「2007年は政治の年である」と述べられた。この
ことについて、講演会終了後に参加したメンバーで討論が為された。「この言葉の真意
は、それぞれの国家のアイデンティティをこの一年でどれだけ充電できるかということ
であり、学生集団である我々に言い換えれば、如何にして、日本文明の使命を内に秘め
た学生集団を形成できるかということである」という趣旨のことが自分にとっては非常
に心に残り、己のあり方を問われるような思いがした。

 安易な親中は勿論、外圧への反発だけでも駄目なのである。李氏が私達日本人に残し
た台湾民主化へのロマンに匹敵するようなものを自ら日本人として育んでいけるかどう
か、これこそが李氏が私達に問い掛けたものであり、このことをより一層追求する学生
集団を作っていかなければならないのだと考えさせられた。

 今回の李登輝氏のメッセージを心に刻み、中国と如何に対峙するか、また、中華秩序
に打ち勝つべく、日本文明に関する理解を深めていきたいと感じた。そして、それを友
らと共有すべく夏季の遊学事業に向けた取り組みに邁進していく決意を改めて強くした。
                                    (了)