李登輝前総統と井沢元彦氏の対談は前編を終わり、この号から後編に入る。
ここではまず安倍総理の訪中がテーマとされる。この訪中については台湾支持派の中か
らも批判が起こったが、李登輝前総統は「布石として非常にいい」と高く評価する。そこ
には、一国の元首経験者ならではの見識が如実に現れている。
対談では温家宝首相の訪日にも触れている。まさに本日、中国から温家宝首相がやって
くる。李登輝前総統は安倍総理の訪中をどのような観点から評価しているのか──。
(メールマガジン「日台共栄」編集長 柚原正敬)
李登輝(台湾前総統)vs井沢元彦(作家)特別対談「台湾の選択、日本の将来」後編
安倍総理は中国と対等に碁を打てるのか?
【2007年3月14日発行(2月28日発売)SAPIO(第19巻第5号通巻411号)】
前回は台湾の現状を厳しく批判し、民主国家確立への決意を改めて表明した李登輝・台
湾前総統。作家・井沢元彦氏との対談後編では、安倍政権をはじめとする現在の日本につ
いて鋭く分析してもらった。李登輝氏および台湾にとって、いまの日本の政治、外交、そ
して国民はどう映っているのか。2人の提言から、21世紀の日台新友好時代への道筋を探
る。
井沢 私は安倍総理と同い歳で、彼の考え方には共感できる部分が多くあります。だから、
彼がやろうとしていることはよくわかるのですが、ただ、やり方が上手ではなく、国民の
支持率も下がっています。台湾総統として一国のかじ取りをされてきた大先輩としては、
安倍総理をどう評価されていますか。
李 私は日本での安倍総理に対する批判には疑問を感じますね。たとえば日本の雑誌には、
彼の訪中は間違いだと書いてありました。
井沢 そうですね。「裏切り者」扱いされています。
李 日本がアジアの中で現在の地位を保つためには、中国という存在を無視するわけには
いかない。顔を出して、何か約束を取りつけてくることが重要なんです。彼は中国に行っ
て「戦略的な信頼できる関係を築きましょう」と言った。こう言われたら胡錦濤は反対で
きないんですよ。
井沢 そうですね。「いやだ」とは言えません。
李 一般の国民にはなんでもないことのように思えるかもしれませんが、訪問してこうい
う約束を取りつけることが外交においては大事なことなんです。今まで中国は日本に対し
ていろんなへ理屈をぶつけてきましたが、それを抑えるためにも必要なことです。
井沢 中国は、首相は靖国神社に参拝するなといった難癖をつけてきます。
李 国のために命を落とした人々を慰霊する施設は必要ですし、首相は一国の指導者とし
て靖国に参拝しなくてはいけない。首相が靖国を参拝することに問題があるのだとしたら、
法律的に解決すればいいこと。そもそも私は靖国を宗教法人にしたことが間違いだったと
思います。
井沢 政教分離の原則を盾に、憲法違反と批判されますからね。
李 靖国神社というのは、明治時代は東京招魂社という名称だったでしょう。これは宗教
法人ではなくて国の機関だった。戦後、宗教法人にしたがために、まるで政府と宗教が関
係あるかのような言われ方をされる。
*靖国神社は明治2年6月29日に「東京招魂社」として創立され、同5年に社殿が落成、
同12年、「靖国神社」に改称されている。(メルマガ「日台共栄」編集部)
井沢 台湾にも革命や戦争で亡くなった志士や軍人が祭られている忠烈祠(ちゅうれつし)
という施設がありますね。入り口には儀杖兵が立って護衛しています。あれは国家機関な
んですか。
李 もちろんそうです。台湾総統は1年に2回、春季と秋季に礼拝に行きます。日本はそ
ういう部分も含めてちゃんとしていく必要はあると思います。
中国大陸と碁を打つには、布石を打たなくてはいけない。安倍総理がまず中国に足を運
んだのは、布石として非常にいい。
井沢 安倍総理の中国訪問を評価されているのですね。
李 彼は非常に考えて物事を進めています。多くの人々は「中国に行かない方がいい」と
言っていたし、実際に行ったら批判されたわけです。しかし、それがわかっていながらあ
えて行った。
温家宝首相が4月に日本を訪問するでしょう。いろんな話は出るだろうけど、安倍総理
は就任してすぐ挨拶に行ったのだから、温家宝は高圧的な態度をとれず、対等な立場で話
ができるんです。
井沢 そこまで見越しての中国訪問だったと。
李 私はそう見ます。昔の日本の外務省は、中国大陸が何か文句を言えば、駐日大使のと
ころへ飛んでいってペコペコ頭を下げていた。一体、何をやってるのかと。
私は日本の官僚や政治家を批判する立場にはないとは思いますが、あえて言わせてもら
えば、彼らの頭の中には個人の出世しかなく、国家という概念がない。国、人民が頭にな
いから、せっかく必死に勉強して東大出て官僚になったのに、中国人にペコペコするだけ。
対等な関係を築くための戦略がない。お互いを尊重して話し合える関係をつくるのが外交
でしょう。
中国には倫理観なき
愛国心しかない
李 もうひとつ、安倍総理は教育基本法の改正に取り組んだ。これも大事なことです。「
日本の教育と私」の中で書いたのですが、昔の日本のエリート教育で重視されていたこと
がふたつあります。第一に「教養」。自分の専門分野だけでなく、歴史、哲学、芸術、科
学技術なども勉強して身につける。第二に重要なのは「愛国心」。政治家になるために必
要なのは、国を愛すること、人民を愛することです。それが何より大切で、先ほども言い
ましたが、国や人民のことを考えないエリートはダメなんです。
井沢 中国ではさかんに愛国教育をやっていますが、自国さえ良ければいいという歪んだ
愛国心につながっている。倫理観なき愛国心と言いますか――。
李 愛国心と倫理観は本来直結するものです。だから、中国大陸に本当の意味の愛国心な
んてない。あるのは愛国主義や民族主義で、こういうのは結局、権力者がする遊び、民衆
をあやつる遊びなんです。
井沢 確かに、中国のエリート層は、庶民のことをまったく考えてませんね。
李 庶民の生活を考えるのではなく、庶民をごまかすことばかり考える。だから、庶民が
暴れだすことを非常に恐れる。中国では、朝廷が武力で討伐されて入れ替わるということ
がさんざん繰り返されてきたでしょう。
井沢 都市のエリート層が農民を苦しめ、農民が怒って反乱を起こし、その後天下を取っ
た「元農民」がエリートとなって農民をいじめる。その繰り返し。
李 エリートが愛国心をもっていないと、そういう国になるということです。日本は戦争
に負けたことで、戦前の制度をすべて否定し、経済さえ良ければいいと60年間やってきま
した。だけど、振り返るべき時期に来ているんですよ。でないと、日本はアジアにおいて
も世界においても主導権を握れない。
井沢 なるほど。
李 安倍総理が「国家安全保障会議」(NSC)(*1)を創設したことも私は評価してい
ます。
*1・‥これまで外務省、防衛省などが個々に行なってきた外交・防衛など安全保障政策に
関して、首相のもとに戦略や対応を一元的に決定することを目的として組織され、来年4
月に発足が予定される。米国では「National Security Council」と呼ばれる。
井沢 日本版NSCですね。首相を中心に官房長官、外相、防衛相の計4人が外交・安保
政策の意思統一をはかり、リーダーシップを発揮すると。私も非常に重要だと思います。
今まで日本は外交ではやられっぱなしでしたからね。
李 そう。「総理の独裁になる」という批判があがっているが、それは間違い。むしろ今
までは、大臣が勝手なことをやってきたわけでね。こういった組織を中心にして、閣僚が
話しあって考え方をひとつにしなければいけない。中国と対峙する上でもね。
私の場合も総統時代は、NSCのような組織(国家安全会議)をうまく使いました。国
家指導者は部下である大臣の意思統一をはかることが大切です。そういうことをしないから、あの厚生労働大臣みたいに失言をしてしまうようなね……。
井沢 よくご存じで(笑)。スキャンダルが次々に起きて、民心が離れています。
李 確かに、総理、少し脇が甘いなと。ただ、私も「人を見る目がない」とか「なんであ
んな人間を使ったんだ」と批判された経験はあります。それはわからないですよ。信頼し
てても裏切られることは誰だってあるでしょう。まさか大臣が「女性は子供を産む機械」
だなんて言うとは予想できないですよ。
井沢 まあそうですね。でも、安倍総理はちょっと優しすぎるんじやないかと。さまざま
な意見を吸い上げようとして、意見の合わない人も内閣に入れて苦労している。「切るべ
きは切る」と言っていたはずですが、徹底していない。
李 総理になったばかりだからですよ。切れないものを無理して切る必要はないと私は思
う。
井沢 そうですか。指導者の立場にあった方にしかわからないこともあると。私は少し性
急すぎたかな(笑)。
では、布石の次は、どこに定石を打つべきか。大先輩として、安倍総理にアドバイスを
されるとしたら。
李 安倍総理にはすべての資源と権力が与党にあるということを認識してほしい。国会も
与党が過半数を握っている。だから、国会ですべての問題を処理できるよう運営する術を
身につけることが重要です。
政治の世界では権力争いが必ず起きます。裏工作で政権を握った人は、しがらみを引き
ずりながら政治を行なうことになる。しかし、安倍総理は権力争いをせずに政権を握った
人です。ですから、日本国民の皆さんにも、もう少し寛大な気持ちで見守ってあげてほし
いと思います。
井沢 今の時点で安倍総理を叩かず、長い目で見たほうがいいということですね。
李 私は安倍総理は、政治家の家庭で生まれた人としては悪くないと思いますね。決して
お坊ちゃんみたいに感情に流されたりせず、自制力もある。彼はお祖父さんが苦労されて
いたのを見てるし、さまざまな問題をどう処理すべきか自分なりの回答をもっているはず
だと思います。
(次号に続く)