李登輝先生のご回復を祈りつつ研修─第16回李登輝学校研修団報告(最終回) 浅見 正

今回で16回目を迎えた本会の「台湾李登輝学校研修団」は去る11月3日から7日まで行わ
れた。参加者は26名、団長は新潟県支部幹事で研修団常連の井貝正基(いがい・まさき)
氏、副団長は早大卒業後、英語教師を務めていた浅見正(あさみ・ただし)氏。

 研修に入る直前の11月1日に李登輝元総統が大腸癌の緊急手術を受け、研修生はご回復を
心から祈りつつ諸先生の講義を拝聴し、野外活動に望んだ。本誌12月8日号から浅見氏によ
る「研修団報告」を掲載している。本日はその第4弾(最終回)。


◆11月7日(月)研修第5日

10:00[課程6] 蔡焜燦先生による講義

 本来ならば校長の李登輝閣下からを特別講義受けるはずだったのだが、前述の通り急遽
老台北こと蔡焜燦先生がお出まし下さることになった。「李登輝閣下の代わりと言えばこ
の方しかいないでしょう、ということで無理を承知でお引き受けいただきました」とはス
タッフの片木さんのお言葉。

 私事を言わせていただくと、今回で4度目の台湾訪問だが、過去3回とも蔡先生のお話を
伺う機会を得て、そのたびに先生の口から発せられる日本および日本人に対する愛情と励
ましと期待を込めたお言葉に聞き入った。和歌、俳句、川柳、また軍歌や流行歌などを織
り交ぜながら、ご自身の、日本の、台湾の、戦前・戦中・戦後を私たちに語り聞かせる言
葉が湯水のごとくあふれ出て来るのに感嘆しながら耳を傾けた。「戦前の日本の教育は素
晴らしかった、私たちに公の精神を植え付けてくれたのが何より有難かった」と語る先生
の言葉を伺いながら、戦後教育しか知らない私は、戦前日本の教育を受けられた蔡先生に、
ふと羨望の念を抱く瞬間を持つこともあった。

 予定時間より少し早めにお見えになった先生は、1年前にお会いしたときより少しやつ
れた様子にも見えたが、「片木さん、この講師陣の名簿の中に僕の名前がないからこれで
帰ります。皆さんさようなら」といういかにも先生らしい冗談からお話が始まった。

 終戦の年の1月、当時22歳と18歳だった李登輝閣下と蔡先生が、それぞれ日本に向かう同
じ船に乗っていたことを後で知った話、今回の東北大震災における日本人の振る舞いに対
して中国人もロシア人も褒め称えていること、台湾大地震(1999年9月21日)があったとき
の李登輝閣下の見事な指導者ぶり、そのとき被災した台湾人の、日本人と同様の立派な振
る舞いが、実は60数年前まで行われていた日本の教育の成果がずっと受け継がれていたこ
とによること等を話された後、受講生たちからの質問に答える形で進めようと言うことに
なった。

質問:今回の大震災に寄せて台湾歌壇の方々から、被災者を含めた日本人および日本に対
   して心温まるお歌を寄せて頂きましたが、その和歌に見られる皆さんの日本語の表
   現力はどのように培われたものなのでしょうか。

答え:戦後、日本が引き揚げてしまい、中国語を押しつけられる時代になって、日本語世
   代の人たちの間に、何とか美しい日本語を守っていきたいという気運が高まってい
   き「友愛会」という会ができ、和歌、俳句、川柳を作り、時にはスピーチも取り入
   れ、日本語の力を高めようと努力してきた。

 日本語に対する否定的な環境に置かれたことが却って日本語に対する愛着を増すという
気運に繋がったのかもしれない、と思いながらお話を伺った。

 また、送られた台湾歌壇の和歌の中に蔡先生のお歌「国難の地震(ない)と津波に襲わ
るる祖国護れと若人励ます」があるが、あの大東亜戦争という国難に立ち向かおうとした
自分たちと同じように、現在の日本の若人たちに頑張って欲しいという気持ちを込めたと
いうこと、実際に立ち向かっている自衛隊員たちを自分の後輩だと思っているということ
を伺い、蔡先生の心は今でも日本人のままなのだと推察した。

 また蔡先生が「愛日家」という言葉をつくった経緯も興味深かったので紹介したい。

 日本で従軍慰安婦問題が起こった時、台南の大実業家許文龍さんが「蔡さん、僕、悔し
いよ」と言って、日本がいわれのない罪を着せられようとしているのが悔しくてたまらな
いという様子を見て、自分と同じように日本が好きで好きでたまらない人は単なる「親日
家」では言い表せないということで「愛日家」という言葉をつくったのだそうだ。愛日家
第一号は李登輝閣下、第二号が許文龍氏、そして第三号が蔡先生だそうである。

 次に「和歌の神髄は辞世の句であると思いますが」の質問に対しては、まず日本人と台
湾人にしかわからない「もののあはれ」を一茶のいくつかの俳句を取り上げて説明された
後、辞世の句と言われて真っ先に思い出すのは吉田松陰の「親思ふ心に勝る親心今日のお
とづれ何と聞くらむ」だと言い、「小楠公」こと楠正行(くすのき・まさつら)の辞世
「かへらじとかねて思へば梓弓なき数にいる名をぞとどむる」を挙げ、若干16歳の少年の
心境に触れつつ、「散る桜残る桜も散る桜」「裏を見せ表を見せて散る紅葉」と矢継ぎ早
に続き、「表見せ裏を見せずに支那紅葉」という即興川柳まで飛び出すという具合で、相
変わらずの蔡焜燦節を堪能。

 最後に今回の最年少受講生の一人、高校2年生の少女からの「私たち若者に一番伝えたい
ことは何ですか」という問いに対しては、内心「さすが」と思えるお答えだった。

「自分のふるさと、自分の国を愛しなさい。自分の国を愛することができて、初めて隣の
国を愛することができる」

「教育勅語を知ってますか。帰ったらしっかり勉強しなさい。宿題です」

 後の予定がせまっているので以上で先生との質疑応答は終え、引き続き終了式に移った。
副秘書長の郭先生から一人ひとり修了証書を受け取り、最後に蔡先生を囲んでの記念写真
撮影で第16回李登輝学校の全課程が修了の運びとなった。

 昼食後、引き続き台湾に残る人たちと別れ、専用バスで群策会を後にして松山空港発の
各便で日本に向け台湾を発った。

 今回の李登輝学校には様々な要素が凝縮されており、実に深い感慨と感動がもたらされ
た。まず1ヶ月後に総統と立法委員の同時選挙を控えた時期であったこと、李登輝元総統が
手術後の入院中であったこと、スタッフも併せて26名という比較的小人数だったこと、日
本李登輝友の会のツアーに共通することだが、基本的な志を共有する者同士でありながら
個性的で様々な経験を持つ魅力にあふれた嬉しい人たちの集団であったこと、などが挙げ
られよう。

 さらに特筆すべきは、たぶん初めて中学生、高校生が参加したこと。彼女たちが礼儀正
しく、素直で明るく、しかも好奇心と積極性を遠慮なく発揮したことが、他の全ての参加
者の好感を呼んだと思われる。

 日本人の大人達の頼りなさを憂い台湾の将来を楽観できない参加者たちにとって、自分
たちの意志を引き継ぐべき若者の存在を身近に確認できたは望外の喜びだった。学校を休
ませて敢えて2人を連れてきた父君への賞賛の声もあった。台湾大学在学中で李登輝学校の
台湾側のスタッフとして毎回働いてくれている早川さんも彼女たちの出現に心を新たにす
るものを得た様子だった。

 李登輝先生のご回復、蔡焜燦先生のご健勝、そして蔡英文女史の総統就任と民進党の躍
進を願って筆をここに置かせていただくことにします。                                                    (了)


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