6月26日から7月10日まで、東京・銀座の泰明画廊において「台湾の至宝 楊三郎展」が開かれている。李登輝元総統も称賛された、台湾最高峰の玉山を描いた「玉山日出」(1984年)などが展示されている。本展は日本初の楊三郎回顧展であり、展示作品の多くは日本初公開だそうだ。
楊三郎(1907年〜1995年)は子息の楊星朗によれば「10歳のとき小学校に通う道の途中に有った絵の具屋に飾っていた日本人画家塩月桃甫氏の絵を見て油絵の魅力に魅され」たという。1924年に京都の関西美術院に入学。1934年には李梅樹、陳澄波、廖繼春などと「台陽美術協會」を設立し、1930年代から戦後にかけ、台湾美術界に西洋美術の普及に大きく貢献した画家。
下記に泰明画廊の案内と中央通信社の記事をご紹介したい。
◆泰明画廊:台湾の至宝 楊三郎展 https://www.taimei-g.com/exhibit/yang_san-lang/2021/yang_san_lang2021.htm
—————————————————————————————–李登輝元総統も称賛 明治生まれの台湾人画家、楊三郎の回顧展、東京で開催中【中央通信社:2021年7月3日】https://japan.cna.com.tw/news/asoc/202107030002.aspx
(東京中央社)台湾の美術界に大きな功績を残した日本統治時代生まれの画家、楊三郎の日本初の回顧展「台湾の至宝 楊三郎展」が東京都内で開催されている。李登輝(りとうき)元総統に称賛された台湾の風景画のほか、親日家だった楊が日本語で書いた日記も見ることができる。
楊は1907(明治40)年、台北の裕福な商家に生まれた。宮崎出身の画家、塩月桃甫(とうほ)の油絵に感銘を受けて画家を志し、16歳で親の反対を押し切って渡日。翌年京都の関西美術院に入学した。在学中から頭角を現し、卒業後も日本や台湾の美術展で立て続けに入選。32年にはパリに渡り、フランスの秋サロンでも入選を果たした。帰国後は、台湾人画家を主体とする「台陽美術協会」の創設に尽力した。
同展では、生前精力的に世界を巡った楊が36年から91年にかけて描いた約半世紀分の作品を一挙展示。このうち、李元総統のお気に入りは、台湾最高峰の玉山(標高3952メートル)を描いた「玉山日出」。楊三郎美術館(北部・新北市)の村越のりこ代表によれば、冬の明け方に黄金色に染まった空と日の光を浴びた山々を描いたもので、見る者に希望と大きな力を与える作品だという。
展示作品はいずれも同美術館の収蔵品の一部で、大部分は日本初公開。村越氏は、新型コロナウイルスの影響で海外旅行がままならない今だからこそ、作品を通じて作者の感動を感じてほしいと呼び掛けている。
東京・銀座の泰明画廊で7月10日まで。
(楊明珠/編集:塚越西穂)
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