6月下旬に台湾の李登輝元総統が沖縄を訪問され、氏が揮毫された台湾出身戦没者慰霊碑の除幕式と慰霊祭に出席した。そして関係者や多くの日本人と交流を深めた。
95歳のご高齢となった今も、台湾と日本の交流に全力を尽くしておられるお姿に感動する。
李登輝氏は2007年に長年の念願であった靖国神社を参拝し、戦死して祀られている兄との再会に涙を浮かべた。同時に靖国神社に祀られている約2万8千人の台湾人を慰霊した。中国や韓国が日本に慰霊碑などを建てる時には、必ずと言っていいほど日本への恨みが込められている。しかも嘘だらけの歴史に基づく憎しみだ。しかし李登輝氏の思いは、戦死した台湾人への純粋な慰霊の思いだ。今でこそ台湾を旅行する日本人が増えたが、きっかけを作ってくれたのは李登輝氏だ。
それまでは台湾を旅行する日本人は非常に少なく、台湾がテレビで取り上げられることはほとんどなかった。中国や韓国を旅行する日本人は多く、マスコミは日本を批判する中国と韓国のことばかり報道していた。なぜ日本を愛する近くの台湾を紹介しないのか本当に不思議だった。
2002年に李登輝元総統は日本の大学で講演する予定だったが、中国がらみの様々な妨害で実現できなかった。せっかく書いた原稿を日本人に読んでもらおうと、産経新聞が全文を掲載した。その内容が台湾の発展に尽力した八田與一の話だった。
ここから多くの日本人が台湾と日本の深い関係を知るようになり、台湾との交流が活発になったのだ。
日本で話が聴けないなら台湾に行って聴こうと、翌年産経新聞が企画したツアーに私も参加し、李登輝氏のお話を聴いて感激した。私は産経新聞のツアーに連続五回参加して李登輝氏のお話を聴き、毎回感銘を受けた。八田與一の話は日本の教科書に載り、マスコミも台湾について報じるようになり、台湾が大好きな日本人が増えた。
原稿の全文を掲載し、ツアーを企画したのは、産経新聞の台北支局長だった河崎真澄記者だ。
私はその後も何度か台湾を訪れ、河崎記者に紹介してもらった日本語世代の台湾人の方々から貴重なお話をたくさん伺った。志願して日本兵になった方、二二八事件で父親を殺された方、高砂義勇兵の慰霊碑建立に全力を尽くした方など、日本を愛してやまない方々の話を聞いて、その熱意に心を打たれた。しかし皆さんご高齢で、多くの方が亡くなった。台湾で直接聞いた話を日本の人たちに伝えていかなければならないと思っている。
親しくしていただいた台湾の方々のご冥福をお祈りします。
そして李登輝元総統のご健康をお祈りします。