された。昨年4月18日に屏東・高雄方面の視察から始められた台湾一周の旅は、この花蓮・
宜蘭方面視察で一周となり、昨日、同行の記者団と懇談会を開いた。
会見で李登輝元総統は「自分の死後は荼毘に付した後、骨灰を玉山に撒いてほしい」と
語ったという。中央通信社が伝えているので下記に紹介したい。
本年7月3日、李元総統は貧血と低血圧による体調不良のため台北栄民総医院に入院、椎
骨(ついこつ)動脈狭窄と診断されて12日に動脈を広げるステント留置手術を受けられ
た。しかし、原因不明の発熱が続き、29日になってようやく退院された。
ただ、なかなか体調は思わしくなく、8月24日、董事長をつとめる李登輝基金会の「2013
年・募金晩餐会」に出席し、退院後初めて公の席に顔を出されたもののスピーチは長女の
李安妮さんが代読された。
9月10日、訪台した自民党青年局の小泉進次郎局長の招きにより、台北市内のホテルで
「安倍晋三首相のリーダーシップ」と題して講演されたが、これは退院後初めての講演と
なった。ようやく体調が戻りつつあることを感じさせた。そして10月23日、「生命の旅」
をしめくくる花蓮・宜蘭の旅に赴かれたのだった。
大腸癌で開腹手術をされてから2か月半で総統選挙に出馬した民進党の蔡英文候補の応援
に駆け付け、今度は退院後3ヵ月で地方視察に出かけられた。すでに11月末にも地方視察を
予定されているという。何とも強靭な意志力だ。李元総統は来年1月15日には満91歳を迎え
られる。
なお、記者懇談会で開陳された「自分の死後は荼毘に付した後、骨灰を玉山に撒いてほ
しい」という話は、これが最初ではない。本会でも案内している月刊「MOKU」2013年9
月号で明かされている。恐らくこれが嚆矢だろう。
◆月刊「MOKU」の李登輝元総統対談「“私は私でない私”という真実」頒布のご案内
http://melma.com/backnumber_100557_5902699/
李登輝元総統、「亡くなったら自分の骨灰を玉山に撒いてほしい」
【中央通信社:2013年10月25 日】
http://japan.cna.com.tw/news/apol/201310250004.aspx
写真:記者懇談会に臨む李登輝元総統
(宜蘭 25日 中央社)元総統の李登輝氏(90)はきょう記者団の質問に答え、台湾の最
高峰である玉山に登ってみたいが体の状況が許さないので、自分の死後は荼毘に付した後、
骨灰を玉山に撒いてほしいと語り、「今まで行ったことがないから死んでから行く」と述
べた。
李氏は2012年4月から“生命之旅”(命の旅)と称して台湾各地を視察する旅に出ている
が、今月は23日から3日間の日程で東部・花蓮と宜蘭の旅を行い、花蓮では東華大学で講演
を行い門諾(メノー)病院を訪問した。きょうの行程が終了すれば台湾を一周したことに
なるが、これを受けきょう午前、記者団向けの懇談会が開かれた。
取材陣の「台湾を一周してほかにまだ行きたい所はあるか」との問いに、李氏は30数歳
で「農復会」に入ってから台湾中の市町村はたいてい回ったので、あとは玉山に行きたい
が体の状況が許さず、死んだ後火葬してもらい骨灰を山に撒いてほしいと語り、「玉山に
は行ったことがないので死んでから行きたい」と述べた。
李氏はまたこれまで訪れたことのない北東部の港町、基隆についても語り、港務局や肥
料会社が土地のほとんどを占めている同市は都市計画が困難で問題が少なくないと指摘し
た。記者団がラバーダック(黄色い巨大アヒル)に会いに行きたくないかと聞くと、高雄
港でのアヒル招致は大成功だったと陳菊・高雄市長を評価しながらも、自分は基隆に行く
のはよしておきたいと答えた。
【農復会】 米華経済協力協定に基づき1948年南京で設立された「中国農村復興聯合委員
会」。現在の行政院農業委員会に引き継がれた。
(編集:谷口一康)