1月10日の朝日新聞夕刊「平成とは」で、「司馬遼太郎の案内人」と題して台湾の蔡焜燦氏が紹介されていた。
私は17年前に蔡焜燦氏の著書『台湾人と日本精神』(初めは日本教文社、のちに加筆して小学館文庫から出版)を読んで台湾の歴史と日本との深いつながりを知り、台湾人の日本に寄せる熱い思いを知って感動した。その後、産経新聞が企画した李登輝元総統に会ってお話を伺う台湾ツアーに5回参加した時、蔡焜燦氏が毎回歓迎夕食会を開いてくれた。蔡焜燦氏は私たちに日本がいかに素晴らしい国か、日本時代の台湾の教育がどれほど素晴らしかったなどを熱く語ってくれた。
また私がメンバーを募って台湾を訪れ、産経新聞の台北支局長だった河崎真澄記者と食事した時、ちょうど同じホテル内の宴会場で日本から来た大勢の人達との食事会を開いていた蔡焜燦氏の所に河崎記者が私を案内してくれ、蔡焜燦氏が日本人グループの皆さんに「日台交流に努めている上田真弓さんです」と紹介してくれて感激したのも懐かしい思い出だ。また蔡焜燦氏が来日して靖国神社に参拝された時にもご一緒して、たくさんお話を聞いた。
さて、朝日新聞のこの記事には何が書かれているのか興味深く読んだが、「蔡はビジネスや観光で頻繁に来日した。定宿の帝国ホテルで毎回のように会った。日本統治時代に日本人から差別されたこと、大陸から国民党がやってきて台湾語を禁じたこと。歴史や文化を丁寧に教えてくれた」と書いているので驚いた。日本時代の台湾を懐かしみながら日本の教育がどれほど素晴らしかったかなどをたくさん話したはずだが、そんなことはまったく書かれていない。
蔡焜燦先生のことだから日本のよいところをたくさん話したに違いないが、日本人に差別されたとだけ書いたのだ。この記事を書いた藤原秀人という記者は、こんなことを書いて蔡焜燦先生に申し訳ないと思わないのか。恥ずかしくないのか。蔡焜燦先生を裏切るようなことを書いて、自分が嫌にならないのか。ご自身のことを親日家以上の愛日家だと言っていた蔡焜燦先生のことを、まるで日本を恨んでいるかのように書いたのだ。
これを読んだ朝日新聞の読者は、蔡焜燦氏とはそういう人だと思ってしまうだろう。実にいやらしい、許しがたい記事だ。読者を騙すようなことを書いて、新聞記者としての誇りはないのか。一昨年亡くなった蔡焜燦先生が読んだら激怒するだろう。昔はこんな卑劣なことをする日本人はいなかった、日本精神はどこに行ったんだと嘆くだろう。朝日新聞は蔡焜燦先生が話したことを正しく伝え紙面で全部紹介して頂きたい。